大切な存在
今度は、時雨が書斎があっちにあるからと指さした方からばたばたと大きな音が鳴った。
その音は、徐々に近づいてくる。
「っ、つ、椿がっ」
「時雨さん!?」
「椿が、」
大きな音は時雨が出していて、両手には椿が抱えられている。
抱えられている椿はぽかん、とした顔をしていた。
「椿の声が戻った」
「椿君、声が? …え?」
「…ろい、さん、さあさん」
「わぁ…思ってた通りの声だ」
安曇は下ろされた椿を見詰めた。
長い灰色の髪がふわふわとしている。
青色の瞳が、安曇を貫いた。
「だ、れ?」
「椿、安曇だよ」
「あ、ずみさ? こんばんは」
「そう、安曇君、この子は椿」
「椿君ですね、こんばんは」
「ロイから聞いた?」
「はい。かぜ、大丈夫なんですか」
「熱が下がったし、それに、ロイや秋雨にも教えたかったから」
「あ…、ロイ、椿の喉見てくれるか、喉が痛んでないかが気になって」
「はい」
時雨は優しく椿をおろすと、ロイの方へ背中をそっと押した。
それから安曇の方へ向きなおす。
「秋雨から聞いているだろうけど…、椿も若葉と似たような状況だったんだ。椿の場合は、虐待だったんだけど」
「それも、聞きました。でも、話すことができないとは…」
「聞いてなかった?」
「はい」
「さっき、話せるようになったけどね」
そう話していると椿がロイに見せ終わったのか、時雨の服をつかんで来た。
その様子に笑みをこぼせば、椿もふんわりと笑う。
「しぐれさん」
名前を呼ばれて視線を合わせるようにかがめば、椿がきゅっと抱きついてくる。
抱き上げてあげれば、椿はしがみついてきた。
「眠たいの?」
ふるふる、と首を振る椿に、時雨は首をかしげる。
安曇はそんな様子を見て、軽く笑った。
この人は、苦しんでいた。けれど、大切な存在を見つけたんだ…
そう思い、いつか、自分も…と心の中で呟いた。
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