名前を呼ぶ
「椿、起きて」
時雨の声で椿は目を覚ました。
体温計を渡されて、それをそっと脇にさして体温を測る。
見たところ熱がだいぶ下がっていた。
「ロイがお粥持ってきてくれたから、少しでいいから食べな」
頷いた椿に、スプーンを渡した。
少しだけ口にしてすぐにスプーンを置く。
「まだ無理そうだね。先に薬飲んでもう少し寝ようか」
そう言って椿に薬を渡せば、椿はこくこくと頷きながら薬を口にした。
その様子に時雨は椿の頭をなでてやる。
「お粥置いてくるね」
そう言ってお盆を持ち部屋を出ようとした。
「ぁ…、」
「…椿、いま…」
聞こえた小さな音に振り返ってみれば椿が喉を押さえてる。
すぐに近寄れば、椿がぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「今、声が…」
ぽろぽろとこぼれる涙を拭きとってやるのも忘れ、時雨は椿の喉にあてられた手に柔らかく触れる。
それからその手を取って握り締めた。
「し、…ぐ、れさ…ん、」
控え目に洩らされた声は、想像していた通り鈴のような音色で、時雨は目を見張った。
それから強く抱きしめる。
「椿」
名前を呼べば、綺麗な声色が返事をくれた。
時雨は髪を撫でて椿を強くかき抱く。
高い体温など気にせずに、強く抱きしめれば椿は答えるように腕を時雨の首にまわした。
「良かった」
小さくつぶやかれた言葉に、椿は首をかしげる。
「良かった、このまま聞けないんじゃないかって思ってたから。椿の声が聞けてすごくうれしいよ」
難しい言葉を使わずに椿に伝わるように話せば椿は笑みを浮かべた。
「椿、呼んで」
「しぐれ、さん」
何度も名前を呼ぶように促せば、椿は震える声で何度も時雨を呼んだ。
些細な行為に、椿はまた涙を零す。
今度は時雨はそっとその涙を拭き取る。
それから壊れ物を扱うようにそっとまぶたに口づけた。
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