忘れたく、ない

「はい、砂糖とか必要だったら、そこの容器から取って」

「ありがとうございます」

「…今までの流れは整理できた?」

「はい」

安曇の返事に、時雨は頷いて紅茶に手をつけた。
それから一息ついて、また話を続ける。


「若葉と母は、初めは普通に過ごしていたよ。普通の幸せな母子家庭」

「…その時に俺は若葉と出会いました」

「そう。だから余計に辛いな。…俺は秋雨から若葉の情報を貰っていた。秋雨は若葉と接触できるからね」

「若葉と2人で公園にいるとき、良く秋雨さんが来ました。それは、貴方が秋雨さんに頼んだからですか」

「そうだよ。怖い思いさせた?」

いえ、と答える安曇は少し笑みを浮かべた。
まだ、若葉が幸せだった頃を思い出しているのだろう。
その笑顔は少しだけ切なそうだったから、時雨はそう感じた。


「それから何ヶ月経ってから、秋雨が若葉の様子が変だ、と言い始めた。きっとその時からネグレクトが始まっていた」

「…秋雨さんから聞いていたんですか」

「ああ、…聞いていたけど、俺は何も出来なかった」

「何も、…少しは、若葉の顔を見てあげればよかったじゃないですか…!!」

「わかってる。一番、君が若葉の死を誰よりも悔やんでいるように、俺は後悔している」

「後悔したって遅いです!! 若葉は、あなたに会いたがっていた!!」

その言葉に時雨はやるせない表情を浮かべた。
知っていた、と、時雨は小さな声で伝える。
安曇はそんな時雨に、手を振り上げた。
ぱしん、と時雨の頬を安曇の手のひらが叩いた。


「…すみません…」

「いや、君に頬を張られることをしたとわかってる。俺はあの時逃げていた。助けたいとか口では言っていたのに、結局は一の家を離れることが出来なかった」

時雨の言葉に、安曇は涙を浮かべた。
今さら…、と小さく呟いた安曇はそれから顔を覆う。
やっと見せた16歳の表情に、時雨は安心した。


「俺がこんなこと言うのは、許されないんだろうけど…、君はまだ若いから」

「それ以上、言わないで、ください…。俺は、若葉を忘れたくない…!!」

切なそうにあげられた声に、そっと時雨は立ち上がった。
彼は今、必死に忘れることから抗っている。
それを邪魔してはいけない、と時雨は、空き部屋の暖房のスイッチを入れた。


「今日は泊って行きな。あっちに空き部屋があるから、そこ使っていいよ。なにか必要なものがあったら、そこにいるから呼んで」

すみません、と小さく洩らされた声に、時雨は薄く笑みを浮かべ、落ち着くまでこもってていいからと告げた。
安曇は時雨に一瞥してから空き部屋に向かう。
時雨も、安曇の背中をそっと押してから書斎へ向かった。
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