好きなものが知りたい
「俺も、椿の一番好きなものが知りたい。書いてごらん?」
そう書くように促された椿は、一番はじめに時雨さん、と小さな文字で書かれた。
そのあとに、一番好き。の文字も添えられる。
「…俺も、椿が一番だよ」
時雨はそう言って頬へ口付ける。
その口付けに、椿は真っ赤に頬を染めてペンをきつく握りしめた。
“しぐれさんは、恋人がいるの?”
書かれた文字に、時雨は一瞬あっけにとられた。
恋人はいるの?
まず、時雨が驚いたのは、恋人という言葉を椿が知っていること。
今までに一番興味を示さなかったことだった。
ロイと秋雨のことは、椿の中では家族のような感覚でとらえられているのだろう。
次に驚いたのは、椿が自分のそういった事情に興味を示したことだった。
今までは、好きなもの、嫌いなもの、最近のことなどしか興味を示さず、人間関係は知りたがらなかった。
その椿が、自分に興味を示す様になったのだ。
「恋人はいない。けれど大切な子ならすぐそばにいるよ。…俺は椿が大切だよ」
“僕は、大切な子?”
「そうだよ。今こうやって話しているのも、こうやって触れるのも、椿が大切だから、一緒にいる時間も好きになるんだよ」
“うれしい”
時雨の言葉に、椿は笑みを浮かべながらペンを走らせた。
その様子に時雨も笑みを零す。
“僕も、しぐれさんが、大切で、何よりも一番”
「ああ…」
そっと強く握られたペンを放すように、指を撫でて椿を抱きしめる。
小さな腕はそっと時雨の背中に回り強く抱きしめられた。
恋愛感情というものを知らないのか、椿から向けられるのをそういった感情として受け取っていいのか分からないが、時雨は『今はこれでいい』と心の中で呟く。
伝える術が無くなった椿は、気づかれないように小さく身動ぎをして時雨との距離を縮めた。
温かい体温に寄りそうにように、きゅっとしがみつく。
しぐれさんは、僕を大切だって言ってくれた。
信じていい、とか、好きだって言ってくれた。すごく、それがうれしい
心の中の声はお互いには伝わらない。
けれども2人の距離は、今まで以上に近くなった。
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