さよなら

「突然訪ねて申し訳ございません。私、一と申します」

時雨は丁寧に頭を下げて、女に名乗る。
椿は時雨の後ろにいたのと、時雨の圧倒的な存在感と美貌で、女は椿に気付かない。
その様子に時雨は静かに椿の手を強く握った。


「一昨日、御宅の椿君を保護したのですが…」

時雨に見とれていた女は、その言葉に表情を一変させた。
ようやく時雨の後ろにいた椿にも気付き、女の顔つきは歪んでいく。


「…、どうぞ中にお入りください」

女は喉から絞り出すような声で、時雨達を招き入れた。


家の中は綺麗に整っていて、家族写真が飾られていた。
どの中にも椿は写っていない。
時雨の隣に座る椿は、時雨の手を強く握りしめて俯いている。
女が主人を呼んできます、と2階に上がっていった。


「大丈夫、離さないから」

そう伝え時雨は椿の手を強く握り返した。
椿の不安は取り除くことは出来ない。
けれども、握っている冷えた手に、少し温かさが増した。


「お待たせして申し訳ございません」

女が連れてきた男は、頭を軽く下げ時雨の前に座った。
値踏みするような視線が時雨に注がれる。
時雨はそんな視線を一瞥するように、男に視線を向けた。


「その子が申し訳ございませんでした」

2人が平謝りをして、顔を上げるのと同時に椿を睨みつける。
俯いていた椿は、びくりと体を震わせた。


「お礼は後ほど、致しますので、今日のところはお引取りください」

2人は立ち上がってもう一度頭を下げる。
しかし時雨は立ち上がる気配を見せなかった。
静かに2人を見つめる。


「すみませんが…。私は、貴方方にこの子をいただく権利を貰いに来ました」

時雨はそう言って、にっこりと笑みを浮かべた。
その途端、女が発狂するように、立ち上がり椿の首元をテーブル越しから掴もうと手を伸ばす。
手が伸びてきた瞬間、体を震えさせ、顔をゆがめる椿。
すぐに時雨が伸びてきた手を叩き落して、椿を抱きしめた。


「そんなことできると…!! 誰がここまで育ててきたと思って、この…ッ!!」

「育てた? ろくに食事も与えずに殴り、蹴りつけることを育てるというのですか?」

その言葉に女が顔をしかめた。
男も時雨の冷めた表情に恐怖心を抱いたのか、がくりと項垂れる。


「…てめぇ等を消す事なんて簡単なんだ。二度と、椿に関るな。関わったら、一の家を敵に回すと思え」

低い声で唸るように伝える時雨に、2人はたじろいだ。
それから項垂れて、椿のほうへ顔を向けることも無い。
突然、扉が開いて体は小さいが高校生ぐらいの男の子が入ってきた。


「うわッ、綺麗なお客さん、いらっしゃい…ってあれ? なに今更帰ってきてんだよ…この愚図が」

突然降りてきた子どもは、椿を見た瞬間がらっと態度が変わり椿を貶す。
時雨はすっとその子どもの胸元を掴みニヤリと笑った。


「客がいるのにその態度か。愚図なのは君だよ」

それから、子どもを突き放すと椿を連れて家を出た。
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