君の隣に-靖臣視点-

「倉沢せ…」

「オミ」

また苗字で呼び掛けたヒロ君を制すると彼は少し黙ってしまった。
学校を出て駅の方へ歩く。
向かう先はカラオケ。

…ヒロ君と出逢った僕のバイト先で、ずっと見ていたことを話そうと思ったから。

街中に来ても離さない腕に彼が何度か僕を見たが敢えて気付かない振りをした。
いつもは裏口から入る店へ表から入るのは少し新鮮な気がした。
ヒロ君の様子を窺うと、キョロキョロと辺りを見渡している。


「あれ。今日は客?」

「売り上げの貢献に。…二階の角、空いてます?」

カウンターにはバイト仲間が入っていた。
僕は他の部屋と少し離れている部屋を選ぶと掴んでいた腕を離して、今度は手を引いた。
二階の多くはパーティールームのせいか今の時間、人は少ない。
特に誰ともすれ違う事なく目的の部屋へ辿り着いた。
先に彼を入室させ、自分は扉側へ腰掛ける。

…話が終わるまで、この部屋から出すつもりは無い。

躊躇う彼を隣へ座らせて、そこで漸く目線を合わせた。
眼鏡無しの顔と、この場所。


「…え。オミ先輩、まさか」

僕を見ていたヒロ君が何かに気付いて目を見開く。
…ヒロ君は以前、頻繁にこの店に来ていた。
来る頻度が高ければ自ずとスタッフと顔見知りにもなる。
僕はこの店でバイトをしている時だけ眼鏡を外していた。
学校や私生活では眼鏡をしているけれど、元々そんなに眼が悪い訳じゃない。
店で外しているきっかけはほんの些細なことで、今ではすっかり忘れてしまっている。


「僕はずっとここでバイトしてた。ヒロ君が真昼君と来てた頃から」

真昼君の名前を出すとヒロ君の表情が陰った。
ヒロ君は真昼君が居なくなってから来店していない。
…僕は。彼の方へと向き直り、そっと伸ばした手でもう片方の手も捕まえてしまう。
両手を捕まえたまま、ヒロ君の眼を見て視線が重なるのを待った。
落ち着かない様子だけど、もう逃がしてあげるつもりは無かった。
やがて、躊躇いがちに向けられた眼が僕のそれとぶつかる。
それを合図に口を開いた。


「ずっと見てたよ。楽しそうに歌う姿も真昼君を励ましてる所も」

思い返すヒロ君はいつだって一生懸命だった。
それを見てるだけで頬が緩んで幸せな気分になれたし、今も思い返すだけで暖かな気持ちになれる。
僕をこんな風に出来るのは今、こうして捕まえてるヒロ君だけ。
彼だけだ。


「もう一年もヒロ君を見ていたんだ。何度も諦めようと思ったけど無理だった。君が好きだよ」

捕まえたヒロ君の両手を自分の手の中に隠して笑い、彼の顔を覗き込む。


「好きじゃなきゃ毎日会いになんて行かないよ。僕はそこまで暇人じゃない」

笑いながらそう続けると、ヒロ君の表情から強張りが次第に取れてきた。


「でも、名前とか…」

「ヒロ君が聞いてくれたら教えてたよ。聞いて欲しかったんだ、君にはね」

少しだけ声のトーンを落として囁くように告げる。
すると、彼の頬がうっすらとだけど朱に染まった。
…あれ? もしかしたら僕、砕け散らなくても大丈夫なのか?


「俺…には?」

自信なさ気に問い返すヒロ君が堪らなく可愛く見える。
頷いて肯定する。

「そう。ヒロ君には」

「…じゃあ名前。オミ先輩の名前、知りたい」

目線を下げ、俯き加減になっていたヒロ君が顔を上げた。
そうして真っ直ぐ僕を見た。
そんな彼に僕はいつものように笑って告げた。
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