誘拐?
練習は体育館で早着替えをするだけだった。
せっせと着替えているのだけれど、もたついてしまい、後ろの人にせかされてしまう。
課題はもたもたしないことだな、と思いながら、汰絽はカバンを手に取った。
「よし君、帰ろ」
「おう」
教室で携帯を見ていた好野に声をかけ、教室を出る。
むくの幼稚園までは一緒に帰ることになっていた。
ぼんやりと歩きながら、幼稚園につくと、好野がむくを抱き上げて嬉しそうにする。
「むくかえろっか」
好野に挨拶をしてから、むくと手をつなぎマンションへ向かう。
その途中、目の前から二人組の男が歩いてきた。
「…春野汰絽か」
男が汰絽とむくの前で足を止めた。
それから確認するようにポケットから写真を取り出して照らし合わせる。
その仕草に夏休みのことを思い出して、汰絽はむくを後ろに隠すようにした。
「どちら様ですか」
震える声で尋ねると、むくがきゅっと汰絽のズボンを握った。
目の前の男は落ち着いているのか、汰絽とむくを交互に見ながら、隣の男に声をかける。
黒いTシャツを着ている男は、その男の言葉に頷き、こちらに視線をよこした。
「ちょっと話をしないか」
「五十嵐、いい」
黒いTシャツの男はそういうと、汰絽の空いている手を掴んだ。
ぐいっと引き寄せ、顔を近づける。
「ふ…、確かにいい趣味してるな、あいつ」
「ちょ…っ、やめてください!」
「騒ぐな」
「騒がずに、いられますか、やめてください!」
むくを傷つけないように手を離し、汰絽の手を握っている男の手を払おうとする。
今にも泣きだしそうな声が聞こえてきて、むく、大丈夫だよ、と声をかけた。
五十嵐と呼ばれた男がむくを抱き上げて、黒いTシャツの男の足を蹴る。
「子どもの前ですよ。やめてください、東条さん」
「ッチ…」
黒いTシャツの男…もとい、東条は汰絽の手を離しついてこい、という。
むくは五十嵐に抱かれたままなため、汰絽は抵抗できずに東条の後ろを歩いた。
「…ここどこですか」
「俺らのアジトみたいなもん。…で、こいつは?」
東条に連れられてやってきたのは、閉店したバーのようなところだった。
二階に連れていかれ、ソファーに座らせられ、隣には東条が座っている。
手を出してくるつもりはないのか、汰絽の前のテーブルにはお茶が出された。
「お前、わるものだな!」
むくがむっとした顔をしながら、汰絽の腕の中から東条の腕をぺしぺしと叩く。
先ほどまで泣き出しそうだったむくも、東条という男が手を出してくることがないと思っているのか、東条にちょっかいを出していた。
そんなむくを不安に思いながらも、汰絽はカバンから携帯を取り出す。
「ちょっと連絡していいですか」
「どうぞ」
「…変な人ですね。ふつう連絡できないようにするんじゃないんですか?」
「別に、春野に恨みがあったりするわけじゃねえから」
風太からの着信がたくさん来ている。
履歴からコールし、電話を掛けた。
「すみません、風太さん。あの、東条さんとか言う方に連れてこられて、えっとここどこですか?」
『おっ、まえなあーっ! 東条んとこのアジトだろ! ああもう、ビビったわ…』
「…ごめんなさい」
『いや、無事ならそれでいい。これから行くから…、気をつけろよ?』
「え?」
『いや…まあ、待っててくれ』
電話が切られて、汰絽は首を傾げながら携帯を鞄にしまう。
隣の東条がむくを見て、笑っている。
「おじさん、たぁちゃんに意地悪するな!」
「しない。それにおじさんじゃない。壱琉だ」
「いちる?」
「そうだ。お前は?」
「むくはむくだよ」
ぺしぺしと叩いていた手を止めて、東条を見つめる。
にかっと笑ったむくは汰絽の腕の中から壱琉のところに移った。
「いちる?」
「おう」
「いちるー」
「おう。なんだよ、むく」
「いちるー」
妙に懐いたむくにこっそりため息をついて、汰絽はその様子を眺めた。
この人は何がしたいんだろうか、と思いながら、そばに立っている五十嵐に視線を向ける。
ずっと無表情で一階を眺めている。
一階には東条のチームの仲間がいるようだ。
「おしっこ」
「トイレか。五十嵐、つれてってやれ」
「はい」
壱琉の膝から降りたむくは五十嵐に抱えられトイレに向かっていった。
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