柔らかな
春のリクエスト祭り
井上×有岬
庵様
この土地に引っ越してきてからもう五年という月日が流れた。
道幸は小学校の教師を続けていて、今年は新一年生の担任をさせてもらっている。
春の陽気とともにやってきた小さな教え子たちは元気がいっぱいで、道幸も毎日楽しい日々を送っていた。
お帰りなさい。
ゆっくりと動く唇に口付けてから、我が家に入る。
有岬は最近では小さな雑貨を作って、近所の雑貨屋に売りに出していた。
あまり成長しなかった小さな手が作り出すぬいぐるみやブックカバーは、かわいいと評判で雑貨屋の店長に大変気に入られている。
今日も道幸が仕事に出ている間は、居間でぬいぐるみを作っていたようだ。
「有岬、病院行ってきた?」
こくりと頷いた様子を見て、病院の先生の書いた手紙を受け取る。
鞄と春コートを手渡してから、その手紙を開きながらソファーに腰を掛けた。
「…本当か」
手紙の内容に、道幸は口元を押える。
それから鞄とコートを定位置に置いてきた有岬が嬉しそうに笑った。
隣に腰をおろし、道幸の手を握る。
「…、せ、ん、せ」
聞こえてきた、微かな声。
震える手を握る小さな手が、温かくて道幸は目頭が熱くなるのを感じた。
その柔らかな声は、まるで春の風のような温かい。
拙い話し方だけれども、その声だけで気持ちがいっぱいいっぱいだった。
「有岬、うさ…。有岬」
何度も名前を呼んで、つないでいた手を離し、抱きしめる。
小さくて守っていかなければならないその身体を抱きしめた。
「す…、き」
耳元で聞こえてきた言葉に、本格的に涙が零れる。
愛おしい人の声。
死ぬまでに聞けたらいい、と夢のような願いだった。
その夢が、かなって、柔らかな声が耳をくすぐる。
ぶわぶわとあふれ出す思いが、涙となって零れた。
「…く、ごめん、涙が、」
ポンポン、と道幸の背中を優しく撫でた。
有岬は温かい道幸の体温を感じながら、いつもしてくれるように撫でている。
髪を梳いていると、道幸が身体を離し、まっすぐに有岬を見つめた。
「め、まっか」
白く細い指先が伸びてきて、道幸の目元を撫でる。
嬉しそうに微笑む姿が愛おしくて、道幸も小さく微笑んだ。
その小さな手を取り、指先に口付けた。
「有岬、結婚しよう」
左手の薬指に口付け、そう囁く。
有岬の手が震えていることに気付き、道幸は有岬に視線を移した。
「はい、」
赤く染まった頬を緩め、今度は有岬が目元に涙を浮かべる。
柔らかな声が嬉しそうに返事をするのを聞いて、道幸はまた頬に涙が伝わるのを感じた。
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