金曜日

金曜日の夜。
有岬はベッドから降りて、夜月の部屋の前にいた。
しゃがみこんで待っていると、部屋の中から電話を取る音を聞く。
そっと中を覗き込むと、夜月が携帯を片手に眉間を押さえていた。

扉を強く押し、夜月へ駆け寄る。
背伸びをして、携帯に手を伸ばした。


「有岬っ」

夜月の声を無視して、有岬の指先は携帯をかすった。
井上のどうしましたか、という声が聞こえて、有岬の目元からぽたりと涙を零れる。
夜月の手から携帯が落ち、有岬はすぐにそれを拾った。

かちかちと電話口を爪で叩く。
どうか、どうか、気付いて。
そんな思いで、何度も叩いた。


『…有岬…?』

不意に、携帯から井上の声が聞こえる。
有岬、と呼ぶ優しい声。
息を飲む声が聞こえて、有岬は目を瞑った。


『有岬っ』

足が崩れ、その場に座り込む。
井上の名前を呼ぶ声が、有岬の涙を増やした。
先生の声、変わってないね。
電話口で伝えられない切なさに、唇をかむ。


携帯を夜月に取られた。
携帯の電源を切られ、有岬はどうして、と手を動かした。
夜月は疲れたようにベッドへ腰をおろし、冷たい目で有岬を見る。


「部屋に帰りなさい」

冷たい声に、思わずぽたぽたと涙がこぼれる。
今度の涙は、井上の声を聞いたときのような、幸せの涙ではなかった。


“お兄ちゃん、どうして…”

夜月の言葉の通り、ふらふらと立ちあがって部屋を出る。
壁伝いに渡り、自分の部屋へ帰った。
部屋へ向かう足が進むたび、寂しくて、悲しくて涙がこぼれた。
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