「今日は夜月さんが来るからうさは図書室に行けませんよ」

移動授業の時、周とすれ違い言われた言葉に、井上は落胆した。
最近は図書室で会う度にいろいろな有岬を知れて、楽しかった。
その習慣になりつつある放課後の図書館で会うことが、今日は休みのようだ。
井上は気持ちが沈んでいると思いつつも、準備室で仕事をこなす。

コンコン、と重い扉がノックされた。
どうやら考え込んでいるうちに眠っていたようだ。
低い声でどうぞ、と答えると、入ってきたのは、常連のうちのひとりだった。
今日は他の生徒がいないようで、井上は少し怪訝に思う。


「どうした? ほかの奴は?」

「今日は大事な話があるから、ひとりで来たんだ」

「大事な話?」

そう問いかけると、光は頬を染めた。
何事かと思いつつ、話す様に促すと、光は頼りなさそうな歩きで井上の傍まで来る。
綺麗に染められた髪を見て、すぐに注意されそうだ、と楽観的に眺めた。


「先生、俺さ」

「ん?」

「俺ね、先生のこと、好きなの」

大事な話とは告白のことだったようで、井上は不意をつかれ、思わず黙ってしまった。
告白してきた光は恥ずかしそうにうつむいている。
急な告白に、井上は困った表情をしてしまった。
丁度顔を上げた光にその表情を見られ、内心、しまったと思う。


「困らせてごめん。…でも、言いたかったの」

今にも泣いてしまいそうに眉の下がった光に、井上は黙った。
応えなければいけない。
できれば、傷つけないように。
そう思った井上は静かに頭を下げる。


「ごめん。生徒をそういう風には見れない」

光の瞳から涙があふれ始める。
元気が取り柄な光には珍しく、静かな涙だ。
井上はやるせない気持ちになり、光にハンカチを渡した。


「ごめんな」

井上の口からは、謝罪の言葉しか出てこない。
哀しい答えを聞いた光は、準備室を飛び出す。

先生は、俺をひとりの人間としてみてくれない。
教師と生徒じゃなくて、ひとりの人間と見てほしい。

準備室から飛び出した光は止まらない涙を拭わずに、ゆっくりと歩く。
追いかけてくる気配のない扉を感じながら。


ふと窓の外を見ると、辺りは暗くなっている。
有岬はそろそろ寮に戻る、と夜月に伝えた。


「ああ、そうだね。暗くなっている。寮まで送ろう」

“うん。お兄ちゃん”

「有岬? どうした、そんな悲しい顔をして」

“お兄ちゃんは、好きな人いる?”

コートを羽織りながら有岬の指の動きを追うと、夜月の想像していなかった問いかけを貰った。
答えに困りながらも有岬の様子を眺めると、有岬がそういう悩みを抱えていることに気づく。


「有岬が聞きたい質問に答えるのは難しい」

“どうして?”

「兄さんは、人を好きになったことがないからね」

“そうなの? …あのね、僕、今好きな人がいるの”

「そうなのか? どういう人か教えてくれるか?」

“ううん、内緒”

寂しそうに笑う有岬をそっと抱きしめる。
いつの間にか大人になり始めた有岬の額にそっと口付ければ、夜月は少し安心した。
まだ、この子は自分の腕の中にいる。
まだ、守ってあげられる。
夜月は重たい気持ちを抱え、有岬から体を離した。


「周が寮で待っているんじゃないか? 帰ろう」

こくりと頷いた有岬の手を握り、校医に別れを告げ、ふたりは寮へ向かった。
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