願い
「これさ、同じ物はないんだって」
井上が囁いて、有岬は頷く。
そっと、その小さなぬいぐるみを両手で優しく包み抱きしめた。
小さな体が少し震えていることに気づき、井上はそっと頭を撫でる。
「携帯に付けるから、有岬もつけて」
有岬からぬいぐるみを受け取り、携帯も受け取る。
それから、綺麗なチェーンを外し、携帯に取り付けた。
有岬に携帯を渡し、自分のものを取り出す。
井上の携帯に、有岬とペアになっているぬいぐるみを付けた。
繊細な仕草に有岬は頬が赤く染まるのを感じる。
「…有岬、あのな」
こてん、と首をかしげると井上が苦笑する。
柔らかな頬を撫で、井上は話を続けた。
「この前、有岬のお兄さんから、お前のことを聞いたんだ」
井上の話は有岬の予想しなかったものだった。
てっきり夜景がきれいだね、今日は楽しかったね、そう言う話をするのかと思っていた。
急なカミングアウトに、有岬の指から携帯が滑り落ちる。
カシャンという音に、有岬ははっとし、拾おうと膝を折った。
有岬の手が届くより先に、大きな手が携帯を拾う。
携帯を拾った井上は、有岬の手をそっと撫で、その手のひらの上に置いた。
それからゆっくりと携帯を握らせ、その手の上からそっと両手で有岬の手を握る。
「話を聞いて、俺はお前を守りたい、側にいたいって思った」
ぎゅっと握った手を放し、小さな体を抱きしめる。
少しだけ震えているのは寒さなのか。
井上は自分の体温を移す様に、有岬をきつく抱きしめた。
「有岬…」
漆黒の髪をそっと梳いて、気づかれないよう口付ける。
柔らかな髪はさらりと音を立てて、有岬の頬に触れた。
「…寒くなってきたな。そろそろ帰ろう」
井上が急に離れて、有岬は動けなかった。
そっと井上に背中を撫でられ、ようやく動くことができる。
車に戻ると、車内はまだ温かく、有岬は息をついた。
「寒くない? 大丈夫か?」
頷き返せば、井上は車を出す。
色々整理したくても、さっきから鼓動が鳴りやまない。
井上の体温がまだ残っていて、有岬は体を抱きしめた。
寮に着けば、もう一度井上に抱きしめられた。
一瞬だったけれど、井上の吐息が額に触れて、息を呑みこむ。
「有岬、気をつけて」
井上はそう言うと手をひらひらと振った。
有岬もその手にゆっくりと振り返し、一度頭を下げてから自分の部屋へ向かう。
周はもう寝ただろうか。
色々話したい。
自然と部屋に向かう足取りは早くなった。
「お帰り…。顔真っ赤だな」
部屋へ帰ると、周が出迎えてくれた。
コートを脱ぐとすぐに周がハンガーにかける。
それから有岬の頭を撫でて、話す様に促す。
“色々ありすぎて、沸騰しそう”
「楽しかったみたいだな」
“うん、すごく。…デートみたいだった”
「デート?」
“先生がそう言ったの”
「井上が? あいつもやるな」
周が面白そうに笑い、有岬も思わず笑う。
未だに早い鼓動を落ち着けるように、有岬は深呼吸した。
「ん? うさ、携帯のキーホルダー変えた?」
“うん。…お揃いなの”
「井上と? …良かったじゃん。うさ、ブランシュ好きだもんな」
携帯を周に渡し、見せる。
良かったな、と、呟く周の声はとても優しかった。
「うさが真っ赤な理由は?」
“…あのね。先生、傍にいたいって言ってくれたの。すごく、格好良くて、あの、”
「落ち着け。大分冷えてるみたいだな。…惚気は後で聞くから、お風呂入っておいで」
周の少しだけ恨めしそうな声に有岬は笑う。
わかった、と返し、お風呂場へ向かった。
俺とあの子の事情 end
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