有岬の心
日差しの強さも弱くなり、薄暗い雲が空を覆う季節。
図書室に早めに暖房が入り、心地よい。
ごうごうとなる暖房の音を聴きながら、有岬は隣に座る井上に視線をずらした。
閉じられた本の間に井上の手が挟まれている。
井上が読んでいた本は、有岬が彼に進めた本だ。
彼は自分の腕を枕に、こちらを向いて眠っている。
すうすうと聞こえてくる穏やかな寝息に、有岬は思わず微笑んだ。
さらさらとしたミルクティ色の髪はいつも綺麗に整えられている。
そっと手を伸ばして、柔らかなそれに指先で触れた。
指の間を井上の髪がすり抜けるのを見て、急に体が熱くなる。
熱くなり始めたと感じた時にはもう、きゅう、と胸が締め付けられていた。
それは有岬が知っている感覚だった。
自分が恋い焦がれている本たちによく表現されたもの。
きゅう、と締め付けられた胸に、頬が赤く染まっていく。
―…先生のこと…、好きなんだ。
浮かび上がった好きという文字に、有岬は胸に手をあてた。
とくん、とくん、と肋骨に向けて動く心臓。
この感覚が、「好き」
胸に刻みつけるように、唇を動かした。
眠っていた井上を見て、不意に眼鏡の存在が気になった。
眠るときには眼鏡が邪魔だから取ってくれ、と周に頼まれている。
井上も周と一緒かな。
そう思い、そっと銀縁の眼鏡を井上の顔から取った。
かたんと小さな音を立て、眼鏡を机に置く。
綺麗な鼻筋。
長い睫毛。
形の整った唇。
そっと自分の唇を指先で撫でる。
大好きな恋愛小説は、最後は甘やかなキスで終わる。
綺麗な鼻筋を眺めていると、不意にその鼻筋に口付けたくなった。
ごめんなさい…
心の中で謝りながら、有岬はそっと鼻筋に唇を寄せた。
「ん…。有岬、ごめん。寝てた」
ふるふると首を振る可愛らしい仕草に、井上は思わず笑みを零す。
それからそっと有岬の黒髪を撫でた。
窓から見える空がだいぶ暗くなってきている。
有岬の隣の椅子には荷物がまとめて置いてあった。
「待っててくれたのか」
“ううん。荷物、今まとめたばっかりです”
ポケットから取り出した携帯に文字を打ち込んだ。
有岬の優しい嘘にありがとうと呟いて、もう一度頭を撫でる。
頭を撫でられて嬉しそうな表情をしている有岬に、小さく笑った。
“周が迎えに来たみたい。帰ります”
「ん? …あぁ」
携帯を閉まい立ち上がった有岬の後ろについて、図書室から出る。
柱に手を当て、有岬の頭を撫でた。
愛らしいふわふわの髪の毛。
いつのまにか、癖と言っていいほど自然と有岬の髪を撫でてしまうようになっていた。
軽く苦笑して顔を上げると、有岬を待つ周が目に入った。
じっと、感情があまり感じられない表情で、井上をじっと見つめている。
少し冷たいものを感じる視線で、あまりいいものではない。
周から視線を離して有岬を見つめる。
周のものとは違って、とても心地の良いものだ。
―…まだ離れたくない。
有岬の表情が語っている。
きっと、まだまだ話したいことがあるのだろう。
可愛らしい顔が、少し寂しそうだ。
「沖田が待ってるぞ」
井上の言葉に有岬は彼の手を取って、また、と指先で伝える。
それからぱっと手を放し、手を振った。
遠くなっていく有岬と周を眺めた。
ふたりは楽しそうにじゃれあいながら歩いている。
落ち着いて歩くころには、周が有岬の荷物を持って隣を歩き、時折有岬の腰に手を回していた。
仲のよさそうなふたりの様子に微笑む。
けれど、どこか胸の中で感じる違和感。
それは次第に大きくなってくる。
楽しげなふたりから視線を逸らし、井上は化学準備室へ向かった。
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