20141212 秀忠の談伴衆


元和2年(1616)12/21に定められた秀忠の談伴衆について。

元和三年正月五日条の『本光国師日記』

立花右近殿(宗茂)極日廿一日之返書来、御放衆相定
丹五郎左(丹羽長重)・佐備前(佐久間安政)・細玄(細川興元)・立左・猪内匠(猪子一時)・三因州(三好一任)・本田若州(本多一継)・野伊与(野瀬頼次)以上八人
四人宛一日替之番手之由申来、唯心(日野輝資)・禅高(山名豊国)・一斎(水無瀬親具)・朽河(朽木元綱)なとは、番手と候は、気つまりに候はん間節々に出仕仕候へ之由、仰出之由申来」



談伴衆…将軍が古今の文学や武道の知識を広める事により、政務に利益をもたらせるために定められた。これに任じられる者は知識経験豊富で、長年の武功ある者や、学者に限られていた。娯楽相手の御伽衆とはちょっとニュアンスが違う。
将軍の前に出頭できる特定の大名という政治的意味合いの強いもののよう。


定日出仕は8人、不定日出仕は4人。元和2年の一覧には、定日出仕の者は武功ある信長・秀吉時代の取り立て大名で、不定日出仕の者は知識経験豊富な人物、毎日出仕の者は三・甲・遠州出身の旗本と書いてあるらし。
※国学院大学地方史研究会の『史翰 十八』参考。







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