20150525 晋州城攻防戦




『太閤記』より、文禄元年(1592)の晋州城攻防戦での最終決戦で興元が出ているのですよ。日付が6月になっていますがおそらく10月の誤りかと。



かねて云定しごとく、竹たばを付、西楼を堀際に上、城中を見下し、鉄砲にて射すくめ、六月十一日之早朝に結橋を、ひた/\と、堀へ投入/\、時の声を挙、堀へ飛入/\、結橋を打かけ、我をとらじとこみ合上りければ、結橋多くは折て、半より辷落(まろびおち)、其功空しく成ぬ。
長岡越中守舎弟玄蕃允、只一人結橋の左右に多く歩の者を付置、「吾城中に乗入まで、一人も此上りはしに上るべからず。若上りたるにおいては、汝等が首を給らん」と、堅く制しをき上りしかば、結橋折もやらず上りしを、見る人どつと感じつヽ、扨も/\と計なり。頓て堀に手をかけ、乗入んとせし処を、城中より鑓長刀にてつき落しければ、痛しや堀そこへ落にけり。




たぶん士気上げ?とかの意味もあったんだろうけど、さすがに一人で上るのはいろいろと無茶すぎだなと
『文禄・慶長の役 文学に刻まれた戦争』では最後の激戦を飾ったのは牧使・金時敬の負傷と双牽馬の倭将(興元)の死である、という解釈で死んだことになっています(死んでないです)
この日興元は細川軍の先手当番だったようで、「自身城ニ乗入候迄者、一人茂橋ニ上申間敷」と厳命しています。
上りきったところで城内にいた敵方に鑓で突かれて転落、その時の怪我がだいぶ酷かったようで、幽斎が「玄蕃と与八郎(松井康之嫡男)は大丈夫??名護屋まで帰陣しておいで」といった旨の手紙を書いております。






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