20150310 児手柏と国広A やっとまとまった情報得られたのでこんどは文献の引用をぽんぽん載せていきます〜デジタルライブラリーは偉大だわい ◆児手柏 『故今村長賀翁記』によると初代手掻包永の作。工房が奈良の東大寺転害門の門前にあったようで、てんがい→てがいと訛りこの名になったそうです。 『大日本刀剣新考』もともと幽斎の愛刀で、かつて戦場で銃弾に当たったけれど鞘に負傷はなく、鞘を抜いて刀身を確認してもなにも異常がなかったそうな。(つよい)これを奇として幽斎→家康に贈って、家康は関ヶ原の時に佩刀にしてたそうです。興元かんけいなさすぎやん でも刀剣名物牒のほうにはちゃんと『息玄蕃頭〜』と記載されているのでうまいこと判断しがたい〜〜〜個人的には興元に渡っていたらいいなあと思うばかりです そののちは、とうらぶの燭台切光忠とおなじ水戸徳川家で所蔵されておりますね。関東大震災の時には新小梅町の水戸徳川家屋敷(いまの隅田公園あたり)で焼失。 児手柏は完全に焼失はしていなかったけれどとても再刃できるような状態ではなかったそうです。 …って書いたけど現存してましたね。よかったよかった ◆短刀 堀川国広 以後『国広大鑑』からの抜粋 銘→城州一条堀川住国広造 慶長十三八月日 長岡玄蕃頭興元令打之也 長さ→1尺2寸(約36cm) 特徴 ・表に図案化された梵字の彫り物(たぶん大日如来) 大日如来の梵字の意味は、「あらゆる災厄苦難を除き・将来への道が明るく開けるよう、福徳と長寿を授ける」 ・裏には独鈷の彫り物 独鈷(どっこ)…両端が分岐していない金鋼杵。本来インド古来の武器であり密教では煩脳を払う目的の法具。 ・「令打之也」の銘文はほかにその例を見ない 国広の刀ではこれだけそう彫られてるってことなのかしら。しっかしなんで普通入れない銘文を入れたのかも不思議である キリシタンなのに密教か…そうか…となりました。 神道とかキリスト教の道具が刻まれてる刀とかないのかしら。鍔に南蛮チックな装飾入れてるなら刀身にもやってそうなもんだけどね。 梵字は後世には単なる装飾ものが多かったようです。国広大鑑の写真を見る限りだと、大日如来っぽい。違ってたら踏んどいてください。 この年の春に家康の仲介で忠興と和解したばかりだけど、まだ一応長岡姓のままぽいですね。元和3年に談判衆になった時の書状には「細玄(細川玄蕃)」とあるので、10年くらいで色々環境も変わってたのかな〜〜 国広の短刀に自分の出世とか、期待とか、いろんな願い事こめてたのかなあと思ったり。 あと彫ってある大日如来なんですけど、当時のキリシタン用語でゼウス=だいうす(大日如来)というのがあるので、もしかしたらゼウスの方の意味で入れたのかもしれない。刀ひとつでもいろいろ感慨深いです |