20150129 児手柏と国広 興元が持ってた刀についてちょいと整理。 今自分が知ってるのは「児手柏包永」と「国広」の脇差。 ◆児手柏(このてがしわ)包永 包永っちゅう人の作で鎌倉時代の刀。 義晴→幽斎に下賜されて、二尺六寸(約80p)あったのを使いづらいから短くしたそう。 特徴は刃紋。ふつう刀の刃紋は表裏ほぼ同じになるのに対し、児手柏は表裏違う紋だったので、スーパー文化人幽斎は万葉集の 『奈良山の児の手柏の両面にかにもかくにもねじけ人の徒』 (奈良山の児手柏みたいに裏表どっちにもうまいこという嫌な奴だわ〜) ていう和歌にかけて、「児手柏」と銘を刻んだとか。 幽斎の遺品として興元の手に渡ったみたい。PHP『細川幽斎』の遺品引渡しの記述にはそんなこと書いて無かったんですけどね。あれっ… のちのち忠興元が和解するとき、家康が仲介として仲を取り持った際の仲介料として召し上げたよう。(刀剣名物牒には500貫って書いてあるみたい!) そのあと頼房が養母のコネで貰い受け、水戸家に伝来してたようだけど関東大震災で焼失してしまったとか。オオオ… でもいくつか写しは現存してるみたいです!やったね! 写しの詳細→http://www.iidakoendo.com/info/item/a455.htm ◆国広脇差 国広の脇差。とうらぶの堀川くんと作り手が同じかその一門が作ったんでしょうね。 現存していて今は個人の方が所有してるそうです〜うらやましい どうやら『国広大鑑』という書籍によると、慶長13年年紀の欄にこの刀の詳細が記載されていて、「長岡玄蕃頭源興元令作之也」との銘が入ってるようです。 ちなみに慶長13年は春に忠興と和解した年でもあるのです。なので多分上の児手柏を手放しちゃったのでそれの代わりとして作らせたんだろうな〜と勝手に思ってます。かわいい〜 2010年に熊本で行われた細川家展で展示されたようでしhttp://www.artgene.net/detail.php?EID=5660 |