20150111 興昌vs忠興A


前のやつよりは怒ってないけど、興昌(興元嫡子)の行動に口出ししてる忠興。これも大日本史料からです。

◆元和6年10月16日 忠興→忠利
一.曾喜太郎殿、妻吉左殿、玄番(興昌)いつも路次迄迎に被出候、われ/\下向之事、下ル哉らん不下哉らん不知様に仕度候間、右之衆被出候事かしく可被留候、右之外にも若被出さう成衆は可被留候事
一.われ/\下向知衆にも被申間敷候、為其申候、以上


それと寛永8年3月にも、興昌と妻吉左(使用人の奥さんかしら…)のやりとりについてまたちょっと怒ってた忠興。
興昌vs忠興のやつにも書いてあった『絶言語候』って言葉がここにも出てきてるのでだいぶぷっつんしてるようです





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