珍しく、妙は憂鬱な気持ちを吹っ飛ばすことができずにいた。 「……疲れてるのかしら」 ため息を一つついて、午後の柔らかい日差しに照らされた外を眺める。 ここ1・2ヶ月の間に、スナックすまいるではホステスの3分の1が入れ替わった。 店を去っていく同僚達は、留学の目標額が貯まったから、という事情もいれば、結婚が決まっただの、身請けされることになっただの、一概に羨ましいとはいえない事情もあったりするのだが。 周りの人生は着実に進んでいっているのに、相変わらずな毎日の中で妙ひとりが取り残されているような感じがする。 そう、相変わらずな毎日。 スナックで働き始めてからはそこそこ収入が安定してきて、家計をやりくりするのも大分楽になってきていたが。 新八の雇い主である無責任雇用者のお陰で、しばしば月末はスリリングなものになったりする。 新八は新八なりに自分の剣を探しているのだから、思う存分やってもらいたい。 多少足りない分は、自分でどうにかしようと思っていたし、自分ならどうにかできる、と妙は考えていた。 実際これまでのところ、割と順調にいっていた。 水割り一つ、相槌一つが自分達の生活を支えているんだという自覚は、一本の芯のように妙を支えているようにさえ感じていた。 しかし自分と同じ年の頃の娘達の転機を、ここ最近たくさん目にし過ぎたからだろうか。 それまで自分を支えていた芯のいくつかが重荷のように思え、息苦しくなることが増えてきた。 人それぞれの人生。 自分のと較べるなんて馬鹿げている。 そう頭では分かっているのだが、油断するとそれに押し潰されそうになる。 自分がしっかりしなければ、大切なものまで手から滑り落ちてしまうというのに。 「…ダメだわ。気分転換に新ちゃんの様子でも見てこようかしら」 このまま一人でいるのが段々堪らなくなってきた妙は、差し入れのお茶と羊羹を持って万事屋へ向かった。 「こんにちは。…あら、お留守なの?」 万事屋のドアを開けると、誰もいないように静かだった。 鍵もかけないで無用心ね、と部屋に入ると、ソファの上で銀時がジャンプを顔に載せて惰眠を貪っていた。 差し入れをテーブルの上に置くと、妙は銀時の向かいのソファに座った。 聞こえてくる、規則的な安らかな寝息。 窓から差し込む、蜂蜜色の陽の光。 まるで別の世界に入り込んだような、優しい時間の流れ。 このまま時が止まってしまえばいいのに、とぼんやり思った。 「静かね…ねぇ銀さん、新ちゃんと神楽ちゃんはどうしたの?」 どうせ銀時には聞こえていないだろうと独り言のように呟くと、不意にのそりと銀時は身を起こした。 「あ〜、定春の散歩ついでに特売品の買出しに行ってるんだよ」 「‥‥起きてたんですか?惰眠を貪っているようにしか見えなかったわ」 「ソレ置いたときに何となく目が覚めたんだよ」 銀時はテーブルの上に置かれた差し入れを指差した。 内心ビックリしていた妙だったが、気を取り直して立ち上がった。 「じゃあお昼寝を邪魔しちゃったお詫びに、お茶でもいれましょうか」 「お茶じゃなくていちご牛乳とかがいいなぁ…ってヤカンを構えるのはよせ! それ熱湯入ってるから!シャレにならないから!お茶有り難く頂きます!!」 「わかればいいのよ」 はい、と2人分の湯飲みを置くと、妙も落ち着いて一口啜る。 銀時はというと、早速持ってきた羊羹に食らい付いている。 日頃頼りなく見えても、いざと言う時はきらめくのよね。 普段は私に易々と殴り倒されてくれるけど、本気出されたらきっと敵わないわね。 新ちゃんならまだ勝つ自信はあるんだけどな。 思わずくすりと笑うと、銀時は怪訝な顔をして妙を見た。 「なんだよ、気持ち悪ぃなぁ。なんか悪いものでも拾って食った?」 「ホホホ、面白いこというのはこの口かしら?お前に言われたくねーよ」 「いだだだだスンマセン調子に乗ってスンマセン!!」 抓っていた銀時の頬から手を放すと、妙は思わずため息をついた。 「どうしたんだィ、ため息なんてついて。 ため息一つつくごとに、幸せが一つ逃げていくっていうぜ?」 「そうね…」 そのまま妙は黙り込んでしまった。 私も、男だったら。 男に生まれていたら、もっと稼げるのに。剣も握れるのに。 いえ、性別の問題じゃないわね。 もっと強くなりたい。どんなときでも背筋を伸ばしていられるように。 突然、妙の視界が真っ暗になった。 銀時は妙の目を手で覆ったまま、隣に腰を下ろした。 「‥銀さん?何?」 「ドクターストップ。言っとくけど、アラレちゃんじゃねぇよ?」 「何よ、ワケわかんないこと言ってないで離して」 「ダーメ。いいから、まず深呼吸。ハイ吸って〜」 「…」 近くから響く声が何となく心地よくて、妙は言われた通り深呼吸をする。 吸って、吐いて。吸って、吐いて。 気がついたら銀時に膝枕され、横になっていた。 「あ〜、何があったか知らねェが、あまり煮詰まっちまうと焦げちまうぜ?」 「…そんなに煮詰まった覚えはないんですけど」 「バカお前、青白い顔で眉間に皴が寄ってたぞ。 ちゃんと寝てんのかよ?睡眠不足は美容の大敵っていうじゃんか」 「ふふ、ちゃんと寝てますよ」 伝わってくる銀時の体温が暖かい。 そういえば膝枕してもらったのって、何年ぶりかしら。 こうしていると子供の頃に返ったようで、ひどく安心する。 不意にじんわりと涙が滲んできた。 父上や母上のことを思い出したからかしら。 どうしよう、涙をうまく止められないわ。 「‥遠慮しなさんな。誰が見てるわけでもねぇし」 そういって銀時は妙の涙を拭って、あやすように背中を軽く叩いた。 「‥‥ありがとう」 「まぁ、気にすんなって。タオルだったらいくらでもあるからよ」 そして銀時は、妙が泣き止むまでずっと静かに傍にいた。 (041123) |