春雨/銀妙




それは妙と新八の父親が亡くなって1ヶ月ほど経った頃だった。

しきたりや生活などの雑事に追われ、妙も新八も悲しむ間もなかった。
だがようやく一息着き、まだ真新しい父親の位牌を眺めているうちに、いつの間にか泣けなくなってしまったことに妙は気付いた。

涙が、出てこない。

心のうちでは父親を亡くした悲しみと、これから新八と支えねばならない暮らしの不安で荒れ狂っているというのに。
頭の片隅でそれらを冷静に眺めているもう一人の自分が妙にリアルで、妙は小さくため息をついた。

泣いている暇があったら、考えねば。
悩んでいる暇があるなら、行動せねば。

立ち上がって居間に戻ると、新八がテーブルに突っ伏して眠っていた。
まだあどけない顔をしているのにうっすらと目の下に隈が出来ているのをみて、妙は固く唇を引き結びながらそっと毛布を掛けた。



それから数年。
その後新八とアルバイトに明け暮れていた妙は、かぶき町の夜の蝶に辿り着いた。

いつものように仕事を終えて店を出ると、湿った空気が鼻先を包んだ。
お店で傘を借りなきゃダメかと一瞬思ったが、
軒先から手を差し出してみても雨粒が当たらないことを確認すると、妙はゆっくりと歩き出した。

辺りは当然のことだが静まり返っていて、妙の草履の音だけが小さく響く。

店であったやりとりがボンヤリと妙の頭を掠めた。

父親と同じくらいの歳の男だった。
テーブルに着いたときは普通だったが、酒が入るにつれて絡み始めた。
宥めてもすかせても機嫌を直そうとしなくなり、肩に手を回したり髪に触れようとしたりして手に負えなくなってきたので、男の腕を払いのけたら言われた言葉。

『―――気の強い女だな』

もちろん指を逆にぼきっとやって丁重にお引取りいただいたが、男の言葉が頭の隅でしつこくわだかまっていた。

亡き父親とその男は全然似ていなかったが、父が生きていたらその位の歳になっていたかしら、と思ってしまったのが原因だろうか。


ゆるゆると流れ出す遠くて近い過去の記憶。
新八のあどけない寝顔と、固く結んだ自分の唇。


ぽつり、と雨粒のひとつが妙の唇に優しく落ちた。


気がつくと、いつの間にか雨が降り出している。
立ち止まって空を見上げると、空は雲も見えないほど暗い。

そこから絶え間なく、頬に、唇に、額に、髪に。
まるでキスをするかのように雨粒が優しく落ちる。

妙は小さく、息をついて目を閉じた。



このまま溶けて、一緒に流れていけばいいのに。
地面に滲みこんで、川に流れ出て、海に辿り着いたら、空に上って真っ白な雲に。



妙が雨の中で立ち尽くしてると、不意に傘が差し伸べられた。
妙がその主を見上げると、彼は困ったような呆れたような顔をしていた。

「…何してんの?帰りが遅いって新八が心配してるぜ?それにいくら暖かくなったからって、こんなに雨に当たったら身体に毒だ」
「……そうね」

ようやく妙が囁くように返事をすると、銀時は髪をくしゃりと掻き混ぜた。
そして妙の頭をポンポン、と軽く叩いてボソリと呟くと、妙の手を引いて歩き出した。

――― 一生懸命がんばりすぎんのもな、身体に毒なんだよ

半歩前を歩く大きな背中が、春の雨の中に滲んで見えた。
気付くと雨よりもずっと温かい滴が、妙の頬を滑り落ちていた。



(050418)拍手ログ






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