小説 | ナノ



待ち遠しい、その日

若月先生と付き合い出して数ヶ月の月日が流れた。
けれど表沙汰に出来る事ではないので、学校ではいつでも「教師」と「生徒」。
その関係に不満がないとは言えないが、それでもいいと思った。
それが原因で辛い事や苦しい事もあるけれど、あと一年も経たないうちにそんな壁は壊れるのだから。
いつだって若月先生は私を想ってくれている、そう思っているし私もそうだ。
そこに愛があるのなら、こんな関係苦じゃない。
そう言ったのは誰か。
だけど、実際はそう上手くいくものじゃないと思う。

「…わかってるのに」

わかってる、卒業するまでは知られたらいけない事くらい。
わかってる、若月先生は大人で私は子供だって事くらい。
頭ではわかってるのに、心は正反対に動き出す。
早く卒業したい、早く大人になりたい。
そう思ってしまうのは我儘だろうか。
そう思ってしまうのは私が子供だからだろうか。
誰もいない、静かな放課後の教室。
開け放たれている窓から、外にいる運動部の掛け声が規則的に聞こえるだけだった。
本当は保健室に行きたいけれど、生憎今日は先生は仕事が忙しいらしい。
昼休み、色々な書類が机の上に置かれているのを見てしまったのだ。
先生は面倒くさそうにしながらも、わりと真面目に取り組んでいたのを覚えている。
流石にそんな先生の邪魔はしたくない。
確か、もう少し経てば終わる量だ、とか言っていたっけ。
ならもう少ししてから保健室へ行こうと、私は夕日が見え始めた空を眺めながら思っていた。

保健室にひょいと顔を出すと、待ち構えていたように先生の入れよ、と言う声が聞こえた。
それに嬉しさを感じつつも、戸を閉める。中に入ると、机の上に置かれていた書類が消えているのに気が付いた。

「終わったんですか?」

病人用に用意されているベッドに腰を掛けながら言った。
ここが、私の定位置。
目の前に先生がいて、窓の外の景色も眺められるとてもいい場所。
ついと窓の外を見ると、忙しなく動いている人影が何人分もあった。
私の言葉に椅子をこちらに向け、頬杖を付きながら先生が少し呆れたように言う。

「あんなんとっくに終わった」
「先生にしては珍しく、ちゃんとやってましたもんね」

笑って言えば、馬鹿にしただろ、と眉間に皺を寄せる先生。
馬鹿にしていたの半分、感心していたの半分というところなのだが。
けれど、実際先生が頭いいとは思えない、なんて口が裂けても言えない。
先程まで吸っていたのだろうか、灰皿の中の消した煙草から煙が燻っていた。
する事も会話もなく、ただそれをぼぅっと眺めていると、先生がため息を一つ。

「オレ様を差し置いて、何処見てんだ?桜川?」

頬杖を付いたまま、意地悪く笑う先生にえっ?と視線を煙草から先生へ移す。
するとこちらを見つめる先生と視線が絡まり、顔に熱が集まるのがわかった。
ふい、と堪らず視線を逸らせば、椅子から立ち上がった先生がこちらに歩み寄ってくる気配がする。
あっと言う間に距離を詰められ、視線を彷徨わせていると顎に手が添えられた。

「なぁ、ヒトミ…?」

口の端を上げたまま見つめて、低く私の名を呼ぶ。
二人の時だけ呼ばれる、私の名前。
教師として呼ぶ苗字ではなく。
誰か見ていたらどうするんだ、なんていう概念が私の頭から無くなってしまった。
慌てて視線を逸らそうも、近くにある先生の顔から逃れられなさそうだ。
顎に添えられていた手が、肩へと移されてその私よりも大きく骨ばった手に小さく反応する。
クツクツと喉で笑う先生がなんだか色っぽい気がした。

「せ、んせ…?」

震える唇がやっとのことで、それだけを紡ぎ出す。
先生は冗談めかして私をベッドへと押し倒し、顔の横に手を付いた。
ギシッと先生の重みが増してベッドが軋む。

「せ、先生、冗談は…」
「冗談じゃねーんだけどな…?」

押し返そうと先生を押すがびくともしない。
こんな状態、私の心臓がもたないと先生を見るが、ニヤリ、と先生の八重歯が覗いただけだった。
絶対に反応を見て楽しんでる…!
そう思うも、それが言えるわけでもこの状況が変わるわけでもない。
放課後の学校は静かで、外にいる運動部の声が何処か遠くに聞こえていた。

「ここ学校、ですよ…?それに」
「関係ねぇな、オレ様にとっちゃ」
「だ、誰か来たらっ…」
「見せつけてやるよ、コイツはオレ様のモンだってな」
「そんなこと、したらっ!」
「目障りな虫が付かねぇだろ?」

押し倒された格好のまま、どうにか逃げ出そうと先生に言うも、呆気なく返されてしまう。
完全に先生のペースになってしまった。
こうなったら逃げられない。
そうこうしているうちに先生が耳元に近付いてきて、思わず身を固くした。

「オレ様が、どれだけ我慢してるか…教えてやろうか…?」
「っ!!」

低い甘い声が私の耳に滑り込む。
顔にこれ以上ないくらいに熱が集まっていた。
それを感じた後、耳朶に緩く噛みつかれる。
敏感に感じてしまう身体が恨めしい。
ビクッと身体を揺らすと共に漏れる、いつもとは違う自分の声。
その時に外から生徒たちの声が耳に入り込み、慌てて口を手で押さえるも先生がその手を退けてしまう。
止めて、と言おうと口を開いたらその言葉を呑み込むように口を塞がれた。
先ほどまで煙草を吸っていたからだろうか、少しだけ煙草の味が口の中に広がった。
目をギュッと瞑り、先生の服を無意識に掴んだら、すぐに唇を離す先生。

「っ…ぁ、若月、せんせ…」
「早く卒業して…大人になれよ」

我慢出来なくなんだろーが、とため息混じりに言われた。
それを聞いて、あぁ、自分だけじゃないんだとなんだか嬉しくなって。
暖かい気持ちになって微笑んだら、先生に眉を寄せられた。
でも嬉しくて、幸せで。
卒業も大人になるのもまだ先だけれど、先生も待ってくれてる。
もし卒業して、ちゃんとした彼女になれたのなら。
そう思うと口元が緩む。
もし大人になったのなら、何が待っているのだろう。
若月先生は先生じゃなくなる。
そうしたらなんと呼べばいいのだろう、若月さん、龍太郎さん、先の事を思うと心が躍る。
早く大っぴらに出来たらいいのに、と思いながら私は呟く。

「…若月先生」
「ん?」
「大好き、です」

そう言って笑ったら、わしゃわしゃと頭を撫でられた後にさっきより少し長い、甘い口付けが降ってきた。


2012/06/11

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