8.油で繋ぐ二人の手

城下へ連れて行ってもらった晩のこと。
さすがにむっとさせられたとは言ってもお礼を言わないのは失礼だと思い、元親さんの部屋を訪ねた。ぶっちゃけ言っちゃうと夜にお殿様の部屋訪ねるのもどうかとも思うけれど何も言わずに寝るのはできなかった結果だ。


「元親さん、失礼してもいいですか」
「おう」


襖を開ければ廊下よりも蝋燭のおかげで明るい部屋。元親さんは文机に向かっていて、仕事をしているようだった。


「どうした?」
「…今日城下へ連れて行ってもらったのでお礼を言おうと思って」
「んなもんいいってのに」


私に向き直ると元親さんはそう言って笑った。
それでもお団子をご馳走になった身の私にはお礼をしないということはできなかった。


「とっても美味しかったので…ありがとうございました。 
 お世話になってる上にご馳走していただいたのに私は何もできなくてすごく申し訳ないんですけど」
「律儀だな。俺に礼をしてえってか?」
「はい、私にできることがあるなら」


普段私を子供扱いする元親さんにこんなことを言ったら軽くあしらわれるだろうか。だけど、ずっとお世話になりっぱなしの私。
今度は食い下がりたくなかった。



「ふーん、礼なあ」


意外な事に元親さんは何か考える素振りを見せた。


「ま、でもその前にだ。ちょっとこっち来い」
「え、はい?」


距離を縮めるとまたあの晩のように手を握られた。
ちょうど文机にあった小さな瓶を取り、私の手の上に垂らした。


「また荒れてんじゃねえか」
「ちょっ、待ってください、私の手なんか」
「…元は綺麗な手なんだからよ。
 こっちは不便なこともあるだろうが名前はいつも頑張ってる、これぐらいはしねえと俺の面子が立たねえだろ」
「そんな…」


特別扱いだ。
やっぱりそう思う。気持ちとかじゃなくて、ただ私がいたのが未来だったから。
なんとなくだけど、良くしてもらってても元親さんとは壁を感じてしまう。


「それに俺の好意だ、ありがたく受け取れっての」
「…受け取りたくないです」
「は?」


私を見て目を少し見開いて驚いていた。今までもこうやって反抗されたこと、きっとないんだろう。
しかも元親さんからの好意を。誰だって素直に受け取ってるに決まってる。だけど私は受け取りたくなかった。


「失礼だってわかってます。だけど元親さんはこういうこと他の女性にしないんでしょう。
 私だけにするのは私がここの人間じゃないから気を遣ってるんですよね。ありがたいことだってわかってます、わがままなことだってわかってます…だけど私、そんな特別扱い、嫌なんです」
「名前…」


だけどもう既に私に油が垂らされた状態。元親さんの手は止まった。


「困らせるようなこと言ってごめんなさい」
「いや、俺はいい…だが名前。帰りたいっていう気持ち無理に抑えてんじゃねえのか?」
「私は」


もう既にあきらめの状態だったのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
だけど信親がきっと私のいた時代ではない人間だという事実。信親に会えるなら、その考えが私の気持ちをつくる。


「私は、ここが大好きです。未来にはないものもたくさんあって、義理に厚くて…私には戻れるのかどうかはわかりません。
 だけどここにいられるなら、ここにいられるのならここの人間になりたいんです」
「わかった。名前はここの人間だ、長曾我部の人間だ」
「ありがとうございます…あ、今度は私が元親さんに油塗ってもいいですか」
「俺にか?」
「はい」


垂らされた油を片手にまとめて、今度は私が元親さんの手を取る。
了承したのか元親さんは黙って手を開いた。


「それじゃあ失礼します」
「…おう」


せめてものということだったけれど。
元親さん、手を触られるの嫌だったんだろうか。普段とどこか雰囲気が違う。


「…あの、手触られるの苦手ですか?」
「え、あ、ああ…苦手ってわけじゃねえんだが。
 こんな綺麗な女の手に、何人もの命を奪った俺の手が握られてる。俺の手を好きだと言ってくれたが、俺自身はどうも好きにはなれねえもんでな」


未だ罪に駆られる、そう言いながら嘲笑する。
私は口を挟むこともできず、ただ元親さんの口からぽつりぽつりと出る言葉を黙って話を聞いた。

「周りにいくら野郎共がいようが、女がいようが、こんな俺の傍にいてくれていいのかって。
 …俺は一人なんじゃねえかって」

その時にふと思い出した。
信親がお父さんについて言っていた言葉。

『父上は己の過去を悔やみ、時折孤独になるといいました』

きっとこの時代の人、元親さんのように悩む人なんてたくさんいるんだろう。
命のやり取りが後を絶たない時代で。


「悪いな、こんな愚痴言っちまって。言ったって仕方ねえ話なんだがよ」
「私は大丈夫です。それに、言わないでいてもらえるより嬉しいです」
「嬉しい?」


油を塗る手はそのままに、元親さんの目を見た。


「だって愚痴というのは心の中の言葉です。苦しいことがあっても吐き出さなければずっと苦しいまま。
 人間は言葉にして吐き出してしまえば多少なりとも心の荷が軽くなると言われてますから、少しでも元親さんの荷が軽くなったら私は嬉しいです」


この時代でそういう心理学的なことわかるのかはわからない。
だけど元親さんは確かに軽くなったと呟いた。


「それにですね、誤解を解くチャンスもあるもんです」
「誤解?」
「私はこの世界でどこの誰がいようときっと元親さんに手を伸ばします。それだけ元親さんの傍にいたいってことですよ?
 私だけじゃないはずです、ちゃんと長曾我部軍の方も思ってます。元親さんみたいな人を思ってないわけないです」


元親さんが一人?誰がそんなことを思うんだろう。
それでもこのご時世が元親さんをそう思い込ませているんだろう。

私が言葉を選びながら言葉を送るさなか、元親さんは呆然としていた。
でも言葉はちゃんと届いているらしかった。




  


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