10
燐も雪男が怒っているということを理解したのか、意を決して口を開いた。
「あの、ちょこーっと…ちゅーした」
「…は?」
いま、なんと言った。雪男は燐から出た言葉に眉を寄せる。
「あの、だから…キスしました」
「…最低」
一気に雪男の熱が冷める。先程まで確かに燐と出会えたという嬉しさや高揚があったはずなのに、それさえも冷めきってしまった。
突然帰ってきて、皆が倒れていて、何をしたかというとキスをしたと言うのだ。しかも自分ではない、友人であり親友ともいえるだろう人たちにだ。
燐も雪男の軽蔑するような眼差しで察したのか、慌てて弁解しようと離れる雪男に必死にしがみついた。
「違うんだって、ちゃんと理由があるから!そんな怒んなよ…」
「…いいよ、もう」
久々に会えたというのに雪男だって怒りたくない。だからその怒りは何度も申し訳なさそうに謝る燐の姿を見てなんとか飲み込んだ。
そしてなぜ皆が必死に弁解をしていたのか、ようやく納得がいった。なぜかは分からないけれど、そのキスとやらは合意だったらしい。なぜそんな事になったのかは謎だが。
「ねえ、誕生日に来たってことはさ…迎えに来てくれたの?」
燐がいなくなる前に約束してくれた、あの小さな約束を守りにきてくれたのだろうか。
優しい世界ができたら、迎えに行くよと、雪男の成り立たせる全ての言葉であるそれを、燐は守りにきてくれたのかと。
だが燐は首を横に振った。
「まだまだ、当分先だ」
「そんな…」
雪男はあからさまに落ち込んだ。燐の元へと向かう間、ずっとそうであってほしいと思っていたのだ。
雪男は目を伏せると机から降りた燐が雪男の胸に飛び込み、その伏せた目を覗き込んだ。
「誕生日おめでとう、雪男」
「兄さん…兄さんも、おめでとう」
そう言って雪男も燐を抱きしめた。愛しくなって燐の頬に触れてやると、冷たいと身を捩らせる。
「はは…僕の湯たんぽが返ってきた」
「だから湯たんぽじゃねーって」
文句を言うが、それでも燐は雪男の手を拒絶しなかった。しばらくの間、燐の頬の柔らかさや温かさを堪能する。燐もそれを気持ちよさそうに受け入れて、大きくて冷たい掌にすり寄るなどした。
ふと視線が絡む。自分とは少し違う、純粋な青い瞳が世界で一番美しいとさえ思えた。
その瞼に、頬に、鼻に、そして唇にとキスをすると、珍しく燐から舌を出してきた。
もしかして彼も久々に会えたという喜びで少し積極的になっているのかもしれないと、雪男もそれを受け入れる。
だが受け入れた瞬間、一瞬にして世界が変わった。
目の前がチカチカとして、立っていられない。足の力が一気に抜けて、床に膝をついてしまう。
一体何が起こったとあまりにも突然のことに雪男は驚くが、すぐに症状を理解した
貧血。
勝呂やしえみたちが起こった症状と同じだ。きっと自分の顔色も皆の時と同じ、酷く悪いのだろう。
「雪男、大丈夫か?」
「に、さん…」
酷い眩暈の中で燐の声を聞く。一体何をしたんだと揺れる頭の中で必死に言葉を紡ごうとする。雪男は膝をついているのでさえ苦痛になり、とうとう床に仰向けになって転がった。
燐は雪男と同じ視線になるようにしゃがみ、酷い貧血を起こしている顔をまた覗き込んでくる。
「ごめんな。けど、どうしてもお前の部分も欲しくてさ」
「いみ、わかん…ない」
「雪男」
「にい、さん…?」
「お前にプレゼントがあるんだ」
顔色の悪い雪男とは対照的に、嬉しそうにする燐。まるで悪戯をする子供のような笑みだから、今この時なら死んでもいいかもしれないとさえ思ってしまう。まあ、実際貧血で死ぬなんて御免なのだが。
「…僕も」
「ん?」
「僕も、兄さんに…プレゼントがあるんだ」
胸ポケットの小さな膨らみに触れて、雪男は小さく笑った。
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