うつくしい病
私の中にある当時最も大切にしていくだろうと思った、したかった記憶は、今の私にとってはもうあまり大切ではない。
それは小学生のときのことだ。私にはとっても大切な友人がいた。彼以外の人の事とか、私以外の人のことをなんにも知らないあの頃の私は彼、十四松こそが世界一素敵な男の子だと思っていたし、私が世界で一番幸福なのだと信じきっていた。
そして、今以上に幸せなんてないんだとも信じていた。だから時よ止まれ、って念じていた。永遠にここにいたいと思った。永遠に、彼と遊んでいたかった。しかしそれは叶うことはなかった。私は家の事情で彼と離れて暮らすことになったから。
だから私は、この時のことを永遠に忘れないとあの日心に誓った。頑なに守っていこうともしたけれど。全て過去系だ。さっきも言った通り、私にとってあの時の記憶はある日から忘れられたおもちゃ箱のようなもので、開けば懐かしい気持ちにはなるが処分することだって別に不可能ではない。名残惜しくありつつも、燃やすことができてしまう。もう一度遊びたいとは思わない。
大人になって休暇のためこちらに帰ってきてからも、昔に戻りたいとは思わなかった。懐かしい顔は私と同じく皆大人になっていたし、お酒を飲み交わすことができるのも大人ならではのこと。あの頃にしがみついていないからこそ出来ることだ。私達は大人になった。見聞きを広めて素敵なことをたくさん見つけて、大人に。
ただ、それは必ずしも全員ではないらしい。
「なまえちゃんあそぼーーー!!!!」
今日も今日とて十四松は私の家のドアを突き破るようにしてやってきた。昨日と同じく盛大に壊されたドアノブに私は溜息を吐く。帰省してから毎日こんなんじゃ私もドアノブも参ってしまう。ドアノブの方なんて特に、もう壊れやすくなってしまっているだろう。呆れた。そんな私に十四松はぱかっと口をあけて笑って首をかしげた。
十四松は馬鹿だ。否、馬鹿というより“子ども”と言うべきか。帰ってきてから一番驚いたのはこれ、この子どもみたいな彼に再会したときだ。彼はどうやらおかしな方向に変わってしまったらしい。昔の方がずっと落ち着いていた。と思う。つまり彼は退行してしまったようなものなのだ。
いや、昔から六つ子は端から端まで全員やかましかったけれど、十四松は比較的気が弱くてやさしい子だった。素直で、おそ松などに比べたら目立たないというか影が薄くて、とにかくこんなにとんでもない人ではなかった(ノブを壊すような恐ろしい真似は少なくともしていなかった)。だけどおしゃべりが大好きで、私に付き合ってたくさん話してくれたのは十四松。彼は私が忘れたくなかったとってもたいせつな友人。
どうして十四松がこんなになってしまったのかは彼とたくさんのことをわけ合った六つ子か、あるいは時のみが知ることなので私には到底わからないが、何にしても未だ働かないのも(これは彼の兄弟たちもだけど)、無邪気すぎるのも元気すぎるのも本当に困ったものだ。身体もまだ子どもだったら問題ないけれど、残念ながら彼はもう立派な成人男性だった。
「ドア直してね、まず」
「そしたら遊んでくれる!?」
「ううん、遊ばない」
私がきっぱりと言えば十四松は悲しそうな顔をした。それから俯いて、それでも明るい声で言う。
「えー、せっかく帰ってきたのになまえちゃん遊んでくれないね、なんで?」
「なんでだろう」
「なまえちゃんもわかんないの!?」
「うん、わかんない」
普通のことだから理由なんて考えもしなかったが、そういえばなんでだろう。あんなに遊びたかった十四松とどうしてこれっぽっちも遊びたいと思わないんだろう。そう、わからない。私だってわからないけど、私はもう十四松と遊べない。もう、遊べないのだ。十四松に限った話ではなく、何があったわけでもないけれど気づけば子供の遊びは捨てていた。前はあんなに楽しかったのに、今ではちっとも。逆に今はこうして十四松を疎ましく感じてしまったりすることもある。たとえば呪いでもかけられたのかもしれない。私を私じゃなくする呪い。
十四松は悲しそうにしているが、相変わらず笑顔をやめることはない。可愛い人だ。可愛い人。だけれど今では随分遠い人。尊い人。
何だか感慨深くなって、私は手を伸ばして十四松の頭を撫でる。十四松は照れたように笑った。小さく足をじたばたさせる姿は本当にあいらしかった。
だけど、私の顔を見た瞬間に十四松はその笑顔を固めて、乱暴に手を振り払った。
その行動に少しびっくりはした。けれど、なんとなくそうされた理由もわかる。
彼はやはり子どもみたいだし動物みたいだ。十四松は怯えた顔をしていた。
「十四松、あのね」
「う、ん」
「私ね、向こうで彼氏できたんだ。明日私を迎えに来る」
「…え」
「だから、こうして2人で会うの、あんまりよくないの、やめよ?」
私がそう言い聞かせるように口にした時、私と十四松との距離はもう二度と戻ることのできないくらいに遠ざかった気がした。
私は十四松を見ることができない。見てしまえば、きっとわけもなく悲しくなってしまうことだろう。そうすれば私は私の選択を後悔することになる。後悔も何もないのに。
だってこうなるのはいわば当たり前の摂理なのだ。私は大人。それがすべての理由。それ以上説明することは不可能だった。
「もうさぁ、私達も大人でしょ?もう働かなきゃだし、私は貴重な休日まで体動かすのは無理だよ、めんどうくさいよ」
「でもさ、でも…」
「もう野球もできないし、プロレスごっこももうたくさんだし、私もう十四松にはついていけない」
十四松もはやく大人になりなよ。
そう言ったけど、どこかで私はそれを望んではいなかった。願わくばこの人だけはいつまでも心優しく、素直でうつくしいままの人であってほしいと勝手ながら思う。自分が変わってしまっても変わらないものがあるというのは安心するものだ。人には誰でも懐古の情があって、私も変わらない十四松のことが疎ましくとも嫌いではない。どこか記憶を呼び起こすようだった。
勝手でごめんね、と謝ろうとしたその時だ。強い力で突き飛ばされて私は吹っ飛んだ。突然のことに驚いて私は目を白黒させる。
「なんで!?」
そんな叫び声みたいな、悲痛な声に顔をあげれば十四松はもう距離をつめていて、膝をついて私の肩をがしりと掴んだ。十四松の表情はひどく焦っていた。だらだらと汗を垂らして、私の肩を揺らす。
「じゃあ大人になんてなるのやめようよー!!!!」
「いや、それ無理、」
「おれなまえちゃんともっとずっと遊んでたいし、ほら、野球しようよ!!」
「だからできないって、」
「約束したよ!ずっとぼくと遊ぶって、ずっと友達だって、なのになんで!!変わらないって、約束したじゃん!!」
いつの話だろう。忘れてしまうくらい遠くに置いてきてしまった約束を、十四松はまだ憶えているという。そして、これからもずっとそれを忘れないという。肩を掴むぶるぶる震える手を袖の上からやんわりとつつめば、十四松は泣き出した。笑ったままにぼろぼろ涙をこぼして私を見つめる。
「なまえちゃん、」
「…十四松」
「なんで大人になっちゃったの?」
十四松だって大人のくせに。わかってるくせに、ほんとは。なのに何でだなんてそんなこと聞いてくれるな。聞かれたせいで思い出してしまった。私も子どものままでいたいって泣いたことがあった。
十四松が薄れていくのを、私だって黙って見ていたわけじゃない。抵抗した。捨てなさいって言われても抱きしめてたし、新しい家では「もう大きいから」って貰えた一人部屋で膝を抱えて泣いてた。このままがいいって思ってたよ。だけど、もがいたけれど気づけばその上からやさしさをかぶせられて。
十四松は、それらを振り払ったのだろうか、だから今でも私のことを心からたいせつな友達だと思ってくれるのだろうか。どこまでも綺麗だ。触れるのが恐ろしいくらいだよ。
だけど、なんとか恐る恐る手を伸ばして首の後ろに回し引き寄せれば、十四松は私に抱きついて肩にぐっと思い切り目を押し当てて泣いた。くすぐったくてあつくって、私も泣けた。
ふと顔を上げれば、十四松の向こうで私が泣いている。小学生の私が泣いている。「うそつき」「ずっと好きだって、大人になんてならないって約束したくせに」って。泣きながら、幼い私は鋭い瞳で私を睨みつけた。私は言葉を失った。そう、私は裏切ったのだ。かつての私を裏切った。可哀想な過去の私はきっとこんな私に失望したことだろう。教えてしまえば、未来は明るくないって、希望なんてないって嘆くんだろうな。
ごめんね。だけど未来は明るいよ。悲しいくらいに、明るいよ。
さよならかわいい人
151231
※うつくしくもない病とは関連はありません。
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