少女地獄



※妹主 ※胸糞悪い



高校生の妹が学校で倒れて早退したと聞いて、僕は顔を青くした。
今日は両親も他の兄弟も出掛けると言っていたしなまえは今家にひとりだろう。なんてタイミングが悪い。僕も出先だったけれど可哀想な妹のために当然予定を切り上げて家に帰った。最近愛想がないとはいえかわいい妹だし、心配だった。

家に帰ると、なまえは電気もつけずに居間で寝っ転がってぼうっとしていた。
セーラー服は着崩され乱れている。僕が帰ってきたことに気づくと、視線だけよこして「はやかったね」なんて言った。
僕は黙ってなまえの傍に腰をおろした。ひどくだるそうにしているが、額に触れても熱はないようだしどうやら心配は杞憂だったようだ。ようやく安心して僕はふう、と溜息を吐いた。



「どうしたの?倒れたって聞いてびっくりしたよ、どういうこと」



僕がそう問いかけると、なまえは途端にぱっと目を逸らした。
なにか後ろめたいことでもあるのだろうか。なまえはそれ以上何も言わない。



「怒らないから」



できるだけやわらかく言うと、なまえは僕の首より下のあたりをぼんやりとした目で見つめる。それから目を閉じて、腕で顔を覆って、おかしなことを言い出した。



「嫌わない?」

「…?嫌わないよ」

「怒らない?」

「怒ったりしない」



しずかに、努めて穏やかに返せば、腕の隙間から覗く目と目が合う。こちらに向かって伸ばされた片手をしっかりと両手で包み込めば、たちまちなまえの瞳がゆらゆらと揺れた。



「…チョロ松兄さん」

「なに?」

「私ね、チョロ松兄さんのこと、大好きだよ」



悲しい色を帯びた声に一瞬胸がつまった。
それでもそれを悟られぬように手をしっかり握って、「僕もなまえが大事だよ」と答える。
なまえは笑ってはくれなかった。そうでなくても、ばーか、とか何かしら反応すると思ったのに。何も言わずにぼんやりと虚空を見つめる真っ黒い目を見て、急に言い知れぬ不安に襲われる。なんだかとても嫌な予感が僕の頭に取り憑いて、じわじわぐるぐる、脳汁を掻き回した。



「…何か、飲み物とってくるね」



たまらなくなってなまえの手を離し部屋を出た。なまえは何か言おうとしていたが、見えない聞こえないふりをして。そのとき僕はとにかく居心地が悪かったのだ。

しかし結局、逃げ出した先で僕は見つけてしまった。後で考えてみると見つかるように敢えて置いておいたのかもしれない。
僕の感じた嫌な予感よりはるかに最悪なそれは、なまえの頭を巣食い、犯し、ぐちゃぐちゃに悩ませる“それ”は、あっという間に春の日を凍らせ、僕の心をあたたかい場所から遠ざけた。





「─────これ、どういうこと」


僕が突きつけたそれを、なまえは虚ろな目のままに見つめた。そうして黙したまま何も言わない。ぼくはしびれを切らしてなまえの肩を掴もうとした。だけどそれはなんだかできなくて、だんっと音を立ててなまえの顔のすぐ横に拳を叩きつける。



「なまえ…!これ、何!!」

「………」

「答えろって、ねぇ、」



「……───生理がね、こなかったから」



ようやく喋ったと思えば、なまえはそんな曖昧な、それでいてとてもわかりやすい現実をぽつりとこぼした。頭が真っ白になった。気が遠くなるようだった。眩暈もする。全身の力が抜けて、ぺしゃとその場に座り込んで僕は項垂れた。
桜のような、恋のような明るいピンク色をしたそれを床に落とせばなまえはそれを目で追った。なまえがどんな顔でそれを見ているのかは、見たくなかった。

くっきりと現れている真っ赤なラインを見つめてまた黙り込んでしまったなまえに、聞かなければならないことがたくさんあった。
全て聞きたくないけれど、そういうわけにはいかない。僕はくっついてしまったかのようにうまく開かない口を無理やり開いて、声を絞り出した。掠れていた。



「……………こどもが、いるってこと」

「たぶん」

「誰の子……?」

「………」

「なまえは、なまえはさ、まだ…学生でしょ?相手も学生、だよね、いや、というか…まず何から言えばいいんだ…?ちょっと、頭がついていかないというか」

「…チョロ松兄さん」

「………なに、」

「わたしね、さっき、ああ言ったけどね……チョロ松兄さんは、わたしのこと、嫌っていいよ」



言葉が出てこなかった。
なまえはやわらかく微笑む。──僕の知っているなまえとは、僕の思い出の中で微笑むなまえとは、少しも重ならない笑顔。
毒を含んだような、おそろしくおそろしい、笑顔。
そうしてなまえはその口から、次々に爆弾を落としていく。



「…先生が困るから。はやく病院に行ってなんとかしてもらわなきゃ」

「え……は…?ねえ、ちょっと、待ってよ。困る?そりゃみんな、困るけど…先生…?なんとかしてもらう……?」

「…うまくね、恋できなかったの」

「なにいって、ちゃんと答えて、なまえ。どういうこと、…いつからそんな、」

「わたし、いっつもこんなんだね、なんにも出来なくてだめだね」



負けたの。負けちゃったのよ、私。
それで死んじゃったの。子供の私はもういない。



「なまえはね、一度死んで、地獄に落ちたよ」



本当に死体のようにピクリとも身体を動かさず口だけ動かしてそういうなまえに、僕は静かに絶望した。ああ、世界はこんなにも薄暗かったのか。こんなにも希望がなかったのか。知らなかったよ。
そう、僕は全然知らなかったのだ。何より僕を突き落としたのはその事実だった。なまえの世界はもう随分前からとっくに薄暗くて、なまえは孤独の中でひとり絶望していた。
すました顔して、よいこのふりして、なんでもないように振舞ってこんなことになるまで。なまえがこんな風になってるなんてほんとうに気づかなかったよ。
よくできた妹だった。家族に心配かけるようなことは何にもしないし、大人しくてやさしい妹だった。
だからこそだったんだろうか。思春期のなまえは色んなことで悩んだのだろう。だけど、それを相談出来る場所は気づけばどこにもなかったのかもしれない。それでたまたま近くにいた大人に、話を聞いてくれる他人に。
それは僕の憶測に過ぎなかった。なまえがどんなことを考えどんな経緯でこうなったかなんて、なんにも知らなかった僕にはわからない。
なまえの地獄を、絶望を僕は今日はじめて目の当たりにした。僕も地獄に落とされることで、はじめてこの目で見てしまった。
手遅れなことだけがわかった。



「………やっぱり、泣いてくれるわけないよね」



だいすきだよ、チョロ松兄さん。
自嘲気味に笑ったなまえのその言葉が随分空っぽに聞こえてしまうのは、彼女の中身が空っぽになってしまったからだろうか。それとも僕の心が空っぽになってしまったのか。

そうして僕はなまえのいう通り、死体になったなまえに涙を流すことも抱きしめることもとうとうできなかったのだ。大切にできなかった大切だったはずの妹にふれることさえもうできず、ただ見つめて、なにかを喪った感覚に呆然とするしかなかった。


ぼくらのはるがしんだよ
151210
前 / 次
TOP
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -