溶けない命
その日のカラ松は、とても静かだった。
とはいっても、カラ松は元々おそ松のようにわいわい五月蝿いタイプではなく口数は割と少ない方だ。
みんなといる時なんかは聞き手に回るというか、みんなに喋らせておいて自分の中で自分だけの世界を作ってしまうような人だから、それはそんなに珍しい事ではなかった。
ただ、普段私と二人でいるときにおいては私があまり喋る方でないからか、カラ松はうるさいのだ。たくさん話しかけてくるし、やかましく愛を囁いてきた。だから、こうして部屋がこんなに静かなのは珍しい事だった。だれも騒ぐ人がいない。時計の音だけが響いている。
表情を見るに、静かにしているカラ松はどうやら考え事をしているらしかった。
カラ松がそのからっぽな頭で何を考えているのか、それは想像しやすいようで実はとても難しい。そもそも真剣に考えているのか?カラ松の口から出る言葉はどこか演技がかっていて、巫山戯てるようにしか思えぬ時がある。
だから今だってちゃんと真面目に悩んでいるのか定かではないが、とりあえず何か、かなしんでいる風であることだけはなんとなくわかった。
「なにか悩み事?カラ松」
「…なまえ」
「なに?」
声をかければ何か言いたそうにしているので、その何かをきちんと聞くために立ち上がってカラ松の隣に移動する。
学生だった頃から長い期間そうしてきたからか彼の隣にいるのは妙にしっくりきたが、同時にいつだって無性にむずがゆくもあった。
そうしてもぞもぞと居心地のいい座り方を模索している間に、カラ松はぽつりとこぼすように話し始めた。
「なまえ、俺は、どうにもかなしいんだ」
カラ松は私の方を見ずにそう言って、顔を歪めた。
その声が真剣で、まるで幾日も哀しみに浸されたような藍色をしていたものだから私はもぞもぞするのをやめた。
「どうしてかなしいの?」
「…何故って、…俺は、なまえを愛している。だけど、最近なまえをどれだけ愛しても、なまえにその愛を伝えようと言葉にしても、なまえを抱きしめても満足がいかないんだ。
やさしさで飾ってもその奥にある締め付けるような感情が閉じ込められるだけで苦しいんだ。
だからって、絶対にしないが……例えばなまえを衝動のままにどうにかしたり、窒息させるくらいに抱きしめたり、かんでみたり、……絶対にしないぞ、?しないが……
たとえば、そうしたとしたら多少は、変わるかもしれないと…思うんだ。だけどきっと後悔する、最終的にはきっと虚しさだけが残るだろう、間違っても満たされるとは思わない。何をしたって、俺となまえを隔てる壁のような物が常にそこにあるんだ。兄弟だって、六つ子の俺たちだって元は同じだとしても、もう別々の人間だろう?六つ子でも兄弟でもないなまえはそれよりももっと、果てしなく遠くにいて、なまえのすべては俺のものになりはしないし、俺のすべてをなまえにやりたくてもやることができない。それは果たして愛し合っているといえるのか?愛し合っていると言えたとしても…愛し合ってると言うとするなら、悲しい世界だと思わないか。俺はどうにも、かなしくてかなしくて、胸が苦しくなるんだ」
そこまで言って、カラ松は私を見た。カラ松の話は長かったが、たとえば400万年のかなしみをこめるには短すぎたし、言葉にしてしまった時点でそれは空気よりも軽かった。
それがまたかなしいところだ。この、言葉のかなしみというのはあらゆる場面で私を苦しめる。カラ松もいま同じように苦しいと感じているかもしれない。
私はあまり喋るのは好きではない。大事な話というものは、私の心の中にだけその存在を留めておけばいいと常々思っている。自身の中でその価値を守りたいならば。
「そうだね、かなしいねぇ」
「なまえも哀しいと思ってくれるか、どれくらいかなしいんだ?」
「うーん、そこの箪笥くらい」
私が指をさせば誘導されるようにカラ松もその方向を見た。そしてその大きさを確認すると、すこし寂しそうにしゅんと眉を下げた。
「意外と、ちいさいな」
「うん。でもたぶん、私にとってはカラ松と二人でなら何とか背負って行けるくらいのかなしみなんだよ。重みが消えるわけじゃないけれど、何とか耐えられるくらい。かな」
それは、うっかり力を抜いたら足の指がとんでもないことになってしまうくらいの威力。とんでもなくいたいけど、きっとカラ松が駆け寄ってくれたらなら、すこしはその痛みもやわらぐかなぁ、みたいな。そんなものだ。だから人類は、ずっとその孤独感に耐えることができた。
カラ松はしばらく俯いて、何度か小さく頷くと、僅かではあるがぽっと灯りのついたような表情で私を見た。
「そうか、そうか…たしかに、そうだな、おれもそれくらいだ」
「いっしょだね」
「ああ、俺は今すこしだけ嬉しい」
「カラ松がうれしいなら、私も嬉しいよ」
寄りかかってそういえば、本当に少しだけ報われた気がした。カラ松もそうであればいいと思う。
壁越しの愛言葉
160118
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