小宇宙 | ナノ
包まれる

資料室の方に向かって歩いていた僕は、そこから聞こえてきたがっしゃーん!!という派手な音にぎょっとして、それから頭の隅がひやりとした。
────なんだ、今の音。あの人はよくくるくる回ったり跳ねたりと忙しなく、危なっかしいから、まさかどこかから落ちた?まさか、あの書類の山や本棚が崩れて、下敷きになってやしないだろうか。
そんな考えが浮かび、入りづらいとか、どんな顔で何て言おうかとか、そんなごちゃごちゃしたことはふっとんでしまった。僕は慌ててドアに駆け寄って、何の躊躇もなくそれを開いた。




「夜代さん……!?」



中をキョロキョロと見渡せば、すぐそこで夜代さんが床に倒れ込んで、うんうんと痛そうに唸っているのが目に入る。
慌てて駆け寄り、頼りなくおろおろとしながら傍にしゃがみこむと、夜代さんはのろのろと起き上がった。



「転んじゃった…恥ずかしい」



独り言のような呟きを零す夜代さんの表情は、はらりと落ちた前髪に隠れて見えない。
────何か、何か言わなきゃ。大丈夫か、とか、どこか怪我してないか、とか。何でもいい。何か言わなきゃ。ああでも、声がひっくり返ってしまいそうだ。怖い、怖い。
とりあえず息を吸おうと、はく、と魚のように口を開いた時。ぱっと夜代さんが顔を上げた。




「あれ、一松」

「っ────」



それは、澄んだ声だった。きょとんとした顔で、何にもなかったみたいに、クリスマスイブのあの日のように。強いていえば、少し驚いたような声だ。
僕は息をするのを忘れて、思わず夜代さんをじっと見つめた。瞬く瞳の奥にゆらゆら揺れる星の色まで、しっかり逸らさず見つめた。
それはまるで、魔法のようだった。夜代さんの瞳も、声も。自分の目に、喉に、いつからかかけられたその呪いが解けていくような、そんなどこまでも綺麗な綺麗な魔法だった。
死んだように冷たくなっていた感情が息を吹き返したかの如く、僕は胸がいっぱいになって、喉につっかえていた言葉を吐き出した。



「っあんた何してるわけ、何、なんだよ、馬鹿だな、ほんとにさ……!」

「あのね、今ちょうど一松さがしにいこうと、」

「おれなんか、いいんだよ!っとに、なんであの日、こんなゴミ選んじゃったかなぁ!!」



夜代さんはまたきょとんとして、僕のことをじっと見つめ返したあと、ふいに僕の腕を掴んだ。その腕は、出会った時とは違い、少しだけふるふると震えていて、それでもしっかり僕の腕をつかんで、離すまいと強く握った。



「あのね、一松。私、たくさん考えたんだよ。あのときよりもっと。たくさん考えたけど、考えるまでもなかった」



すぅ、と息を吸って、夜代さんははっきりとした声で言った。



「私はね、一松が大好き!」

「ぅ、え、」

「ねぇ、一松、きいて。一松はよく自分のことを悪くいうけどね、私がね…私が、そうなの。」



────私が取り柄が無いの。私が屑なの。友達がいなくて、人と距離感がつかめなくて、ヘンなの、私は。わかるでしょう。



「……そうは、見えない」

「疑わないで。私、一松に嘘言ったりしない。うらやましいって言ったのは、私がおそ松くんみたいになりたかっただけなの。だって、そうしたら───そうしたら、皆に好きになってもらえるもん、一松、にも、」



夜代さんはきっと笑おうとして、失敗したらしく、泣きだしそうな顔でそう言った。僕はその表情に、言葉に、思わず目を見開く。────嗚呼、この人は。



「一松、燃えなくたっていいんだよ。私もそうだよ。無理に燃えて燃え尽きて灰になっちゃうよりいいよ。一松のことつかめなくなっちゃうほうが、怖いから」



べつに燃えなくたってそれもまた人生だから。わたしたち、人と同じようにうまくできないかもしれないけど、それでも。



「……って、言おうと思ってたんだけど、」

「………」

「やっぱり、こうやって一松が、頑張ってきてくれたのが、嬉しいなぁ」



夜代さんは、今度こそへにゃりと笑った。
それを見たら、ますます胸がいっぱいになって、目の奥が燃えるように熱い。
そうやってこの部屋で1人、たくさん考えてくれた夜代さんは、こうして僕にたくさんの言葉をくれたのだ。やわらかく、やさしく、僕のことを一番に考えた、そんな言葉をくれたのだ。
そう思えば、次第に視界がぼやけて、駄目だ、駄目だと念じても、とうとうそれは逆らって僕の目の淵から音もなくこぼれ落ちた。
今度は夜代さんが目を見開く。僕は夜代さんと同じように、震える手を動かして、夜代さんの服の袖をつかみ返した。



「……みててあげる」

「……え?」

「消えちゃわないか、見ててあげる。僕が、此処で」



僕の目からぽたぽたとみっともなく溢れ続ける涙は、お互いにしっかり掴んでいる腕によって拭われる事は無い。でも、もうそれでよかった。
夜代さんは、絶対に僕の事を笑わないし、ちゃんとわかってくれる、わかろうとしてくれる。だから別にいい。かっこなんて、どうせ僕にはつきもしない。
夜代さんは見開いた目で僕のことをひとしきり見た後、少し俯いた。



「……ねえ、今から、変な事言うね」

「…なに?」

「ちょっとだけ、ちょっとだけぎゅっとしても、いい?」



ぎょっとして固まる僕の返事も待たず、夜代さんは僕に思い切り抱きついた。それから、ぎゅうぎゅうと抱きしめられる。
あまりの緊張で、その香りとか、感触とか、全部忘れてしまったのは、後から考えると結構惜しかったんじゃないかと思う。女の子とこれほどまで密着するなんて、結局高校時代はこれっきりだったんだから。そんなこと考える余裕、この時はなかったから仕方なかったけど。

僕を選んでくれてありがとうって、いつか素直に言える日が来るといい。その時にはきっと、同じ顔の6人の中からたしかに僕を選び取ってくれた夜代さんのことを、心の底から信じられているはずだ。そうしたらきっと、僕は、今度は自分から夜代さんを抱きしめることができる、はずだ。

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