小宇宙 | ナノ
醒める

「(今日もまだ、さむいなぁ)」



暦の上では立春だけど、2月なんてまだ冬みたいなものだ。平均気温5℃の、時には冷蔵庫のような部屋は、人の気配を感じさせない冷たい色をしている。今日のような曇り空の日は、特に。
凍てつくような冬の日の室内で、1人きりには慣れていたのに、何故だか私は、前よりさむくてしかたなかった。冷えていく指先は、これから死んでいく人のような温度だ。
だけど、どうしてかストーブを炊く気にもならない。なんとなく、この寒さを忘れてはいけないように思う。この温度をしっかり刻みつけて、そうして、この前の私の行いについて、少し頭を冷やさなきゃ。



「(一松のことを傷つけてしまった)」



一松は、雪の結晶や飴細工のように繊細だ。私は、それをわかっていて、あんなことを言ってしまった。自分に余裕がないとああいうことになる。私はダメな人間である。
そんな私の間違いで、一松を巻き込んで、結局こじれてしまった。そう考える私は、あの時きっと一松を傷つけたと同時に、傷ついたんだろう。
どうやら恐ろしく不器用らしい私の、私なりの精一杯の想いが、一松には全然とどいていなかったこと。一緒にいたいと思ったこと、大好きだってこと。それを信じてもらえてないことが、こんなにショックだったなんて考えたこともなかったな。自分では気づかなかった。こうして一松と、人と関わり初めて、行き過ぎた謙遜や、卑下が如何に鋭利かに気づく。私も、誰かに何度も一松と同じことをしたことがある自覚があった。
とにかく私は、いくらやっても拒絶されることが、つらくて、こわかった。こんな思いがあったから、私は今後一松とうまくやってける気がしなかったんだって、怒らせる気しかしなかったんだって、いま、気づいた。

なんだか胸が苦しくて、私は椅子から立ち上がると、狭いこの部屋の電気を消した。それから、近くの席に座り直し、ゆっくりと目を閉じる。息を止めて、じっとしていると、くるしさが暗闇の底に溶けていく気がした。こうして心を落ち着かせるのは小さい頃からのくせだ。
こんなだからかははっきりとはわからないが、恐らくこういうところがあるから、私は変な子だとか、面白いとか、おかしいとか、実はよく言われたりもする。小さい頃からだからもう慣れっこで、だからなんにも思わないようにしてる。
気にしたら負けだ。気にしそうになったら、こうして灯りを消して、じっと目を閉じればいい。ひどいことがフラッシュバックしたら、頭を振って、目を閉じるんだ。そうすれば私の頭の中はたちまち楽しいことで溢れ出す。暗い空に星が浮かぶみたいに、ぼんやりと、それからはっきりと。

しずかに、ゆっくりなっていく私の心臓の鼓動を呼び戻す勢いでドアがバタンと音を立てて開いたのはその数秒後だった。
扉が壊れるとしか思えない大きな音にデジャヴを感じながら、私がゆっくり顔を上げて光の差す方を見れば、やっぱりそこには、私の大切な一松の残像のような、とにかくよく似た人が立っている。ただ、一松はこんな豪快な開け方はしないけど。静かな、夜のような子だから。夜は好き。暗くて、静かで、つめたくて、優しい。私は、夜が大好き。



「一瞬見えなかったー!」

「ああ、十四松くん、こんにちは。見えなかった?」

「うん」



十四松くんはこくこくと頷いた後、ぱちんと電気をつけて、わずか1歩で私の目の前まで飛んできた。それからいつも開けている口をきゅっと閉じて、きらきらと星の浮かんでみえる透き通った目で首をかしげた。



「夜代は透明になれるの?」

「ええ?えっと、なれてるかな?」

「なってた!消えちゃったのかと思った」

「そっかぁ。そうかも、このまま消えちゃうかも、なんて!」

「えーそうなのー!?消えるの、怖くないの?」

「うーん…」



怖いような、怖くはないような?
いいことがあった夜なんかは、怖いかもしれない。でも、悪いことがあった日は、それが望ましいかも。それって見向きもされないほど普通で、わがままな考え方だけど。
悶々と考えていると、十四松くんがふいに、私の顔をのぞき込むようにしゃがんだ。それから、また首をこてんと可愛らしく傾けた。



「消えちゃダメだよ」

「え?」

「夜代は、一松兄さんの大事な人だから」



十四松くんは、まっすぐに私の目を見てそう言った。それが真実だというように、言った。
大事、大事?────大事だろうか。私が勝手に連れ込んだに過ぎない、簡単に離れてしまう、そんな彼が、私を大事にしてくれてるだろうか?

私は、───一松は、部活に来るのが本当はつまんないんじゃないかなって、いつも思ってた。おうちに帰った方が、一松のことをよく理解している兄弟がいて、気も楽に出来て、楽しいんじゃないかなって。気を遣わせてばかりで、申し訳ないなって。そう、気をつかってるだけなんだって。
一松は、優しい子だから。



「……大事なのかな」

「大事だよ、きっと!一松兄さん友達少ないからね!」

「え、えっと……」

「夜代が消えたら、一松兄さんはきっとすごくかなしむよ」

「……そう思う?」

「めちゃくちゃ思う!だって、だから一松兄さんは怒ったんだよ」

「あはは…じゃあ、消えないように気をつける」



そう言うと、十四松くんはにぱっと、ひまわりみたいな明るい笑顔になった。その笑顔に、私も少し暖かくなってにっこり笑ってみせる。



「ありがとう、十四松くん」

「うっす!!じゃあ僕部活行ってくる!!」

「ああ、十四松くん、最後に一つ、…うううん、その、お願い、してもいい?」



私が呼び止めると、十四松くんはその場で足踏みをしたままこちらを振り返り、再び私の前に来た。十四松くんのまっすぐな目を見ていると、これから言うことがすごくひどいことのように思えて躊躇われる。実際ひどいことなのだ。だけど、私は言わなくてはならない。



「うーんと、その……十四松くん、できれば、私も残念だけど……もうここに来ちゃダメだよ」

「なんで?」

「だって…」



もし一松が私を大事に思っていたとして、それならそうしなきゃ、そうじゃなきゃ、私には一松に信じてもらえない。裏切りになってしまう。
そんなこと言えば、私がいかに未熟で、いかにダメなやつかを証明するみたいで、口篭る。
すると、十四松くんは、また私の前にしゃがんで、私の手を何の躊躇いもなくぎゅっと握って、強い声でいうのだ。



「夜代」

「…?」

「夜代を一人ぼっちにして、懲らしめて仲直りするのは、僕違うと思うんだ」

「ちっ…ううん、違うよ、十四松くん。懲らしめるなんてそんな、一松は…」

「それで夜代が一松兄さんのこと嫌になっちゃったりしたら僕も嫌だし、夜代は一松兄さんだけのじゃなくて、僕の友達でもあるから!」

「嬉しいんだけど、それが良くないの、たぶんね」

「えーなんで!?わっかんないけど、とにかく、とにかくそれダメだから!!」

「えっとね…」

「じゃあねー!またお菓子お願いしマッスル!」



十四松くんは、言いたいことを言い終わったのか満足そうに笑って嵐のように去っていった。
取り残された私は、呆然とする。どれくらいそうしていただろうか、くっと膝に顔を埋める。



「いいよなぁ、底抜けに明るい人たちっていうのはさぁ……」



はぁあ、と大きな溜息が唇の隙間から漏れていく。するとすこしだけ、張り詰めていた物が抜けていく。泣かないためには、多少幸せが逃げるのも仕方がない。


────夜代は、一松兄さんの大事な人だから、
───夜代が消えたら、きっとすごくかなしむよ



ああ、それはね、十四松くん。私の方なんだよ。いつだってそう。私が好きなだけなの。
一松は、私にとってうんと大事な人だよ。だから私は、一松が消えちゃうのは悲しいよ。

先ほどとは打って変わって不思議なくらい落ち着いた心で、そう思った。
あれ、というより私、なんで悩んでたんだっけ。だって、だってそれなら別に、今の状況も前と変わらないじゃない。
1秒ごとに、頭の中を占拠していた靄のようなものが晴れていく。そうしてはっと顔を上げれば、可愛い猫ちゃんと目があった。



「……あ、」



あれ、一松が書いてくれたイラストだ。
ぶわりと私の脳に広がる思い出に導かれるように視線をずらす。────これは、この前一松が読んでいた本。あれは一松が好きだって言ってくれた、私の持ってきた漫画。
私しかいない部屋に、誰かの残り香が強く残っていることに不意に気づいて、私は少し驚いた。
本当に、誰かいたんだ、此処に。一松は此処に、痕が残ってしまうくらい長く、当たり前みたいに居てくれたんだ。

気まずい沈黙だってしょっちゅうあった。うまく喋れないことばかりだった。それでも同じ時間を過ごして、お互いの好きなものを知って、少しずつ、火星よりも遠いように思える距離を埋めてきたのだ。地球に降り立ち、同じ空気を吸い込んで、同じ言葉ですべてを伝え合うのは、まだまだ先かもしれないけれど、きっと、届かないことは無い。そう信じて私は一松と、一松は私と、ここで過ごしてきた。

────無かったことになんて、絶対にしない。そんなこと、させない。
一松がたとえ私をこらしめようとしていたとしても、私は懲りたりしない。そう、こんな所でひとり懲りてちゃダメだ。
怖くても、一松を探しに行かなきゃ。一松のことになったら、わたしは、すごいんだから。どうしてそのことを忘れていたんだろう。
そうとなったら早く行かなければ。気合いを入れて、よし、と勢いよく立ち上がる。
そしてそのまま走り出そうとしたとき、私は、思い切りなにかを踏んづけてしまった。
それはつるんと床を滑った。え、と思うよりも前に、私は宙に浮く。────ああ、転ぶ。



「おっわぁぁあああ!?」



がしゃーん!!


160905
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