「あら飛雄くん!また背伸びたんじゃない?もう一緒に並ぶとなまえなんてちんちくりんねぇ、ほんと!」
「うッス」

余計なお世話である。それにわたしの低身長はお母さんの遺伝子からもらったのだ。飛雄もうッスじゃないから。否定するところだから。

「遠征だったんだって?疲れたでしょう?お風呂入って行きなさい」
「はい。あざス、すみません」
「なぁに、かしこまっちゃって。あ、荷物こっち置いてね」

突然の飛雄の訪問に今更驚くこともなく、お風呂場に飛雄を押し込んだお母さんが戻ってくる。いつもと決定的に飛雄の様子が違うことくらいきっと気づいているだろう。何か説明すべきだろうか。けど生憎わたしは何も聞いていないままで、ただ今日の夕飯がカレーだからおいでとしか言っていない。飛雄はそれに頷いただけなのだ。

「あの、お母さん」
「脱衣所にタオル持ってって。ついでに手洗ってきなさい」

お母さんが見せた手のひらに頼まれていたカレールウを渡すと、代わりにバスタオルを渡される。分かったと頷いて脱衣所に向かうとお母さんに呼び止められた。そして「飛雄くん喧嘩?元気ねぇ」なんて呑気に笑ってわたしに救急箱を差し出す母親は偉大であると思った。


「脱衣所にあったタオル借りたぞ」

ガチャ、と部屋の戸が開いて振り向く。遠征の残りであろう練習着を着た飛雄からはうちで使っているボディソープのにおいがした。さっぱりしてさっきより気分は晴れているようだけど、どこか影がかかっているような顔をしている。飛雄にこんな顔させるバレーには本当に敵わないと思う。

「飛雄、手当てするから座って」
「大したことねぇよ」
「口のとこも切ってるからダメ。ここ座って」
「……別にこのくらい、」
「いいから座る!」

中学時代は近くで見ていたのだから、部活で作る怪我に比べて大したことないのは分かっている。分かった上で言っているんだ。渋る飛雄に強気で出てほら早く、と床を叩いて急かせばようやくベットの前に腰を下ろしてくれた。救急箱を開ければ消毒液からガーゼに包帯まで豊富に揃っている。もう怪我なんて滅多にしないのに、ここでもまたお母さんの偉大さを感じてしまう。お風呂に入ったから不要だとは思うが念のため消毒から始める。

「喧嘩の相手は翔陽?」
「………」
「そっかー」

無言は確実に肯定だろう。腕、顔、膝。小さな傷が至るところに散らばっている。さっきは混乱してとにかく何が答えなきゃってあんなことを言ったけど、飛雄と翔陽のバレーをわたしは知らない。高校でバレーをしているのを見たのはあのときに部活を覗いた一度きりだし、飛雄は自分から話題を振ってくるタイプではないから、翔陽のこともバレー部のクラスメイトとゆうだけで、話すようになったのはまだ最近。翔陽からちらっと聞いた変人速攻(?)を目にしたことは一度だってないのだけど。

「聞かねぇのか」

静かな声が部屋に響いた。顔をあげても気まずそうに目をうろつかせている飛雄とは目が合わない。聞かねぇのか、とは。どう考えても怪我の理由のことだろう。

「え、だっていつも喧嘩してるじゃん。二人とも」
「そんなにしてねぇだろ」
「してるでしょ。だからね、珍しくないよ」

思い返してみればあの二人は一言一文字でも気に入らなければお互いに噛み付き合っているんだから、喧嘩をしたことなんて本当に今更なんだ。処置も粗方終えて、あとは目立つのは口元の傷だけ、というところで飛雄の口が動く。

「なまえ」
「んー?」
「……さんきゅ」
「お……おうよ!」
「いって!!馬鹿かお前!」
「イッタタタタタ!!わざとじゃないよごめんって!」

絆創膏越しに飛雄の傷からパチンと乾いた音が鳴る。まさか飛雄からそんなワードが出てくるなんて予想出来るはずがない。嬉しさ勢い余って顔に絆創膏を貼るタイミングで力を込めてしまった。さすがに痛かったようで思いっきり頭部を手のひらで鷲掴みにされる。これがまた痛いのだ。容赦ない返り討ちに文句のひとつでもつけてやりたいところだけど、今日は飛雄がいつもの調子に戻ったのが嬉しいから勘弁してやろう。
マネージャーをしないと決めたのはわたしだから、無責任に話を聞いてあげることも大丈夫だって笑うことも出来なくて。だからせめてこんなときに手当てをするくらいはさせてほしいなぁ。そう思ってふと今日の話を思い出す。いつかきっと飛雄に彼女が出来たらこのお役目も譲らないといけないのかな。

「なんだよ」
「うーん、やっぱり飛雄に彼女が出来たら寂しくなるなぁ」
「…は?」

グルグルと考え込んでいる間に飛雄から目が離せなくなっていた。そんなわたしを不思議に思ったらしい飛雄が声をかけてくれたけど、考えていたことは無くならなくてポロリと言葉に出てきてしまう。眉間に皺を寄せた飛雄にあっと口元を抑えた。しまった。

「……出来ねぇよ」
「え、なに、なんで?欲しくないの?」
「ならお前はほしいのか」
「え?なにが?」
「なにって、彼氏だよカレシ!」

眉間の皺を取り除かないまま飛雄の発言に、思わずふはっと笑いがこみ上げる。さっきのお礼よりもこちらの方が何倍も予想だにしていなかった言葉だ。

「おい何笑ってやがる」
「だって飛雄と恋バナって変な感じする。全然興味なさそうでむしろ心配してたからさ、良かったー!」
「喜んでんじゃねぇ!余計なお世話だ!」

突然笑い出したわたしをもちろん飛雄がお気に召すはずもなく、表情がさらに険しくなる。けどさっきみたいな辛さや苦しさは感じ取れないことに胸の内でそっと安堵した。今度は頭を掴まれずに済んだことにも一安心だ。

「よく知らねぇやつと付き合わないだろ、普通に」
「んー、せっかく二組の子が飛雄のことかっこいいって言ってくれたのにな」
「そうかよ」
「結局興味ナシですか」
「つうか、お前以外の女子はよく分かんねぇ」
「そういえば前も言っ、てた、ね」
「あ?」

………うん?あれ?
ひとつの仮定につまづいて、言葉が傾いた。

「どうした?」
「あ、エッ、なんでもない!」
「なんでもなくねぇだろ」

距離を詰めて顔を覗き込まれたせいで、身体がぐわっと強張って熱くなる。なんでもない、だけじゃ誤魔化せなかったけど他の言葉が残念ながら浮かんでこない。ふるふると首を横に振って否定すると、これまたお気に召さなかったらしい飛雄がムッと口を尖らせた。しかしこればっかりは思ったままを口に出来ないのだから仕方ないだろう。

「手当ても終わったし、晩ごはん食べよ!」
「おい。まだ話の途中」
「カレー冷めちゃうよー」

カレー、という単語に飛雄はそれ以上何も言わなくなって、きっと忘れていただろう空腹を思い出したようだ。単純というか可愛いやつめ。きっとお母さんが温玉も用意しているに違いない。飛雄の手を引いて部屋を出ればカレーのいいにおいがする。
イコールの意味なんてあるはずがないのに、飛雄の何気ない二言に胸のあたりがむずむずして、それからちょっとだけ顔が熱い。


よく知らねぇやつと付き合わないだろ。

お前以外の女子はよく分かんねぇ。


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