谷地さんちで勉強するけど
合間に届いたメールを確認して、肩を落とした。差出人は用がない限りメールを寄越してこない飛雄だ。勉強するけど、で止まっている文章には「お前は?」という続きも含まれているんだろう。それでわたしに通じると飛雄は思ってるし、実際通じている。
この前の一件以来、飛雄とまともに顔を見れていない。今までは暇があって当てがなければ飛雄のとこに遊びに行っていたし、用があれば飛雄もわたしのとこに来る。中学のときはマネージャーをしていたから部活中心の飛雄ともほとんど毎日顔を合わせていたけど、高校に入ってからただでさけあまり重ならなくなっていた一緒の時間が、ちょっとの意識でこんなにもゼロに近くなってしまっていた。
「お、つ、か、れ、さ、ま、っと…」
さすがに無視では気分が悪いので、あえて話題では触れない感じで返信する。飛雄のことだからきっとこれ以上の返事はないと見込んでポケットに携帯を突っ込んだ。さすがに勉強をしなければまずい。
テストのことも、飛雄のこともいろんなことが重たい。明確な理由はまだ見つかっていない。ただ、マネージャーをお断りした上に勉強を教えることが出来ないわたしには、谷地さん以上に飛雄と一緒にいる理由がないと思った。
トボトボと一人で帰路を歩く。ちょうど中学校からの通学路になるこの道は飛雄と何度も歩いたことがある。くだらないことで飛雄と喧嘩したことはあるけど、こんな一方的にモヤモヤしているのは初めてだ。
「なまえ」
なんか飛雄のことを考え過ぎて幻聴が聞こえてきた。そういえば人を忘れるときは最初に声から、って誰かが言ってたっけ。もしも、このままだったらいつか飛雄の声も忘れてしまうんだろうか。
「おい、無視してんじゃねぇ」
「……は?飛雄?」
「おう。気づけよ電話」
目を白黒させる。けど夕日の中の飛雄は何度も瞬きしても消えない。それどころか返事が返ってきたおかげで、飛雄がいるんだと認識して後ずさる。電話とは何のことだと思ったけど、携帯を確認してみるとメールを返してすぐに飛雄から着信が入っていた。
「あ……ごめん」
「別に見つかったからいい」
当然のように隣を歩こうとする飛雄に身体が固くなった。そもそも、なんでここにいるんだろう。
「谷地さんちは?勉強は?」
「終わったから帰ってるに決まってんだろ」
「あ、そうだよね。お疲れさま。じゃ!」
「どっか寄るのか?」
ここにいる疑問は解消された。となってはわたしに課せられてる使命は飛雄から離れること。誰に言われたわけではないけど身体がそうだと言っている。脇道に入って飛雄を撒こうと考えたのに、それはあっさりと打ち砕かれる。お願い飛雄、どうか空気を読んでくれ。
「う……えと、コンビニかなぁ」
「じゃあ寄ってくか」
「え!?いや、飛雄は帰って勉強しないと!せっかく谷地さんが教えてくれてるんだからさ!」
「おう。だから行くならさっさと行くぞ」
別にコンビニに用事なんてないけど咄嗟に出たのがそれだった。待って待ってこの流れは、確実に飛雄も一緒に行くパターンだ。いつもはなんだかんだでわたしのことを汲み取ってくれる幼馴染能力は今は休止中らしい。勘弁してくれ。やっぱいい、というのも不自然すぎる。自分で言っておいて飛雄に一人で行かせるわけにもいかず、歩き出してしまった飛雄のあとを追いかけた。
適当に言ったから本当に買うものがない。甘いものはさっきファミレスでたらふく食べた。喉もドリンクバーで十分潤した。飛雄はといえばわたしの後ろをウロウロしてるだけで、ここで何かを買わないとさすがに怪しまれるだろう。どうしようかとお菓子コーナーを見渡すと、ふと期間限定の文字が目に止まった。
「あ、これ。美味しかったやつだ」
「甘いもんばっかよく食えるな…」
「頭使うと糖分が欲しくなるんだよー」
「勉強しなくても食ってるくせに何言ってんだ」
いつもなら言い返すところだけど、今日はそこで会話を途切る。ショートケーキ味と記されたそれを二つ手に取って、お買い上げ。ひとつはちゃんと自分用だ。
「二個も食う気かよ」
「違うから。ひとつはあげる用」
「……日向にか?」
「ん?なんで翔陽?」
「なんとなく。いつまで呼んでんだよ、それ」
「え、じゃあ飛雄も呼んだらいいのに」
「それは別にどうだっていい。つーか、そこじゃねぇんだよ」
どうだっていいなら突っかかって来なければいいのに、何故だか飛雄はわたしの翔陽呼びを辞めさせたがる。実際翔陽の前でも文句を言われて「いいじゃん!お前ばっかずるい!なんか負けた気になる!」と喧嘩腰になった翔陽といつもの揉み合いになっていた。
「このあとは?どうすんだ」
「普通に家帰ってご飯食べて勉強する、けど」
コンビニをあとにしてまた帰路を辿る。いつも隣を歩いている飛雄が少しだけ振り返りながら話すのは、一方的に気まずさを感じているわたしが一歩後ろを歩いているからだろう。
「じゃあ飯食ったらそっち行く」
「は!?」
「なんだよ、勉強しろっつったのそっちだろ」
「それはそうなんですが」
「何か問題あんのか」
「いや、だって…」
谷地さんち行ってきたんでしょ。真っ先にそう思ったけど、それがどうして問題なのかと聞かれたら絶対に分からないので言い淀む。ドロドロの嫌なものが未だに身体の中にあるのが分かってしまう。
「わたし、バレー部のマネージャーになるわけじゃないし」
「………」
「それに谷地さんみたいに勉強教えてあげれるわけじゃない…」
「…はぁ?何の話だ?」
モジモジと小さい声で呟いているわたしに、とうとう飛雄の表情が変わった。呆れられちゃったかな。くだらねぇ。意味わかんねぇ。飛雄が言いそうなフレーズが頭にぽんぽん浮かんでくる。今なら何を言われても落ち込めそうだ、と大人しく飛雄の言葉を待った。
「さっきから何言ってんのかよく分かんねぇ」
ほら、きた。落ち込み街道まっしぐらだ。
「けどマネージャーにならないからってなまえといない理由になんねぇだろ」
あとお前が勉強出来ないのくらい知ってる。そう付け足してから飛雄は何事もさっさと歩き出して「クソ、眠い」と欠伸をひとつ零す。手を当てていなかったので注意をすると「お前しかいねぇんだからいいだろ」と眠気を孕んだ声で吐き捨てた。
近くにいてもいい、傍にいてもいい。そう言いわれたわけではないが、今の飛雄の言葉は間違いなく同等の意味を持っているように聞こえた。数秒前に建設したはずの落ち込み街道はいとも簡単に消えてなくなっていた。飛雄と一緒にいる理由にならないと思っていたとのは、飛雄にとって一緒にいない理由にならないらしい。それだけで心が軽くなるのには十分だった。いつものように他愛のない話をしているうちにあっという間に家に着く。影山家とみょうじ家の境目で飛雄とは一旦さよならだ。
「あとでな」
「うん。待ってるね」
もうドロドロしたものは身体の中を流れていない。ついでに「谷地さんのおうちどうだった?」という質問の回答は「普通」だった。