男子バレー部に新しいマネージャーが入ったと教えてくれたのは翔陽の方だった。とはいえ、まだ段階として仮入部の状態らしいが翔陽は「絶対入ってほしい!強豪みてぇ!」と張り切っている。飛雄はどうせいつも通りだ。……期末テストが近いってこと以外は。


「なまえ、日向知らない?」
「んー?どうかしたの?」

デザート代わりに期間限定のショートケーキ味ポッキーを口に含んでいると友達のサトウちゃんに声をかけられる。ついでにちょーだい、と言われたので素直に差し出してから本題に入る。

「さっきの授業の英語ノート先生のとこ持ってくんだけど、日向だけ出てなくてさぁ」
「じゃあ呼んでくるよー」
「マジ?助かるわ」
「お礼は返ってきたノートのコピーでいいからね!」
「はぁ?もー、しょうがないなぁ」

確かさっきの四組のメガネノッポさん?のところへ行くとか言っていた気がする。メガネノッポさんは誰だか見当がつかないけど、行けばきっと分かるだろう。
食べかけを置いたままにするのも気が引けたので、ポッキー片手に四組を訪ねてみる。初めて足を運ぶクラスにいきなり入る勇気はさすがに無く、入り口からこっそりと覗いてみる。しかし。

「あれ?」
「ちょっと、通してくれる」

背後からかけられた声に勢いよく振り返ると、いつも飛雄を見上げるよりさらに上に目線があった。メガネで、ノッポ。翔陽が言っていたメガネノッポさんはこの人だと確信するのに時間はかからなかった。けど近くに翔陽の姿は見当たらず、心の声そのまま「翔陽がいない…」と呟いてしまった。

「…君、確か影山の幼馴染だっけ」
「あ、えっと、みょうじなまえです。飛雄の幼馴染です」
「ふぅん、どうでもいいけど」

言葉の通り興味無さげにこちらを見下ろしてくるメガネノッポさんの熱のない目にたじろぐ。翔陽がよく飛雄の顔が怖いと言っているけど、わたしにはこの冷ややかな視線の方が何倍も怖いんですが。翔陽が四組にいないならもう用件は済んだわけだし、さっさと退散しようと一歩後ずさる。と同時に持っていたポッキーの袋がピリッと音を立てて、メガネノッポさんの視線がわたしの手元に移動する。

「……よかったら、食べますか」
「いいの」
「え、あ、是非とも」
「ありがと」

言ってからしまった!と思ったけど、むしろ正解を引き当てたらしい。ポッキーをひとつ攫っていったメガネノッポさんの冷たい目が少しだけ色づいたように見える。それもまさかお礼付きだなんて。もしかして甘いもの好きなのかな、メガネノッポさん。

「どうかな?期間限定のショートケーキ味なんだよ」
「…悪くないんじゃない」
「おいしいでしょー!よかったらもう一本どうぞ」
「ドーモ。……日向たちなら五組にいるんじゃない」
「え、五組?四組には来なかったの?」
「追い返した」

その返答に思わず納得した。見るからに翔陽とメガネノッポさんだと温度差がありすぎるからだ。彼が賑やかな場を好む方ではないだろうということくらい、この数分のやり取りで予想出来る。翔陽の行き先も分かったことだし、さっきからメガネノッポさんの通路を塞いだままだし、そろそろお暇しようか。

「…ひとつ聞きたいんだけど」
「え?なに?」
「影山は昔からあんなに馬鹿なの」
「……それは勉学的な意味でしょうか」
「勉学的な意味で」

さっきまで感情が見て取れなかったノッポさんの表情に苦労が滲み出た。きっと何かご迷惑をかけたに違いない。イエスもノーも答えずにいると、メガネノッポさんがフッと鼻で笑う。

「それって無言の肯定?分かりやすすぎでしょ」
「んなっ…!」
「ほら、さっさと行きなよ」
「い、言われなくても行くし!」

これは、からかわれている…!!中学のときに意地の悪い先輩がいて、その人に絡まれるときと同じ感覚のそれをわたしはよく知っている。

「うー、あ、ありがとよ!メガネノッポさん!!これくれてやる!」

せっかく嫌なイメージを払拭しかけていたというのに。素直にお礼を言うのも癪だったのでヤケクソ気味にポッキーも押し付けて背を向ければ「は?月島だけど」と素っ気ない自己紹介をされた。その声は一番初めに聞いたときより温度を含んでいた、多分。


「…わぁ、ほんとにいた。お邪魔します」
「ん?あっなまえ!」

月島くんの言っていた通り、翔陽のオレンジ色を五組で無事に発見できた。隣にいる丸っこい頭は飛雄だろう。今度は躊躇なく教室内へお邪魔をすると、ぱちっと目が合った翔陽がぱっと立ち上がってわたしを呼んだ。その声に振り返る飛雄と、それからもう一人の女の子。……女の子?

「紹介するよ谷地さん。なまえは俺のクラスメイトで、影山の幼馴染」
「ウィッ!や、谷地仁花であります!!」
「えっ、みょうじなまえであります…?」

机に広がっていたのはノートと見知らぬ女の子。思いがけない状況にぽかんと口を開けていると谷地さん、と呼ばれた女の子がビシッと自衛官ばりの敬礼を見せてくれた。つられてわたしも挨拶をしたけど大分小さい声になってしまった。
続けて翔陽は谷地さんのことも紹介してくれて、どうやら例のマネージャー候補の子らしい。確か次のテストで赤点とったら遠征に行けないとも言っていた気がする。なるほど、それで進学クラスの谷地さんの登場か。さっきの月島くんに追い返された理由も多分ここにあるんだろう。

「なまえは影山に何か用事?」
「そうだった、翔陽が英語のノート出てないから呼びに来たんだ。サトウちゃんが教室で探してたよー」
「え?提出だっけ?」
「うーん。残念ながら」
「ぐ……!せっかく教えてもらってるのにごめん谷地さん。ちょっと行ってくる!」
「うぇっ、い、いいよ全然!行って来なよ!」

パンッと手を合わせて頭を下げた翔陽があっという間に五組をあとにする。谷地さんは酔うんじゃないかってくらい横振りしていた頭を止めて、オドオドとわたしと飛雄を交互に見ている。

「お前も勉強しないとやばいんじゃねぇの」
「わたしにはサトウちゃんという心強い味方がいるから大丈夫!」
「授業中寝てるくせに何言ってんだ」
「それは飛雄もでしょ」
「最近は寝てねぇよ」

落ち着かない様子の谷地さんを気にせずに言葉を発した飛雄だった。口を開いてしまえば、初対面特有の気まずさなんて忘れていつも通りの会話が弾む。飛雄の寝てない発言に衝撃を受けていると、隣からクスクスと柔らかい笑い声が聞こえて、飛雄と二人揃ってそちらを見る。視線を貰った谷地さんが慌てて口元を押さえた。

「あ、ごめんなさい!二人とも仲良いんだなって思って、影山くんも怖い人かと思ったけど、そんな風にお喋りしたりするんだね」
「喋るくらい普通だろ」
「それはそうなんだけど…」

飛雄が女の子と話しているという、これまた新鮮な光景にぱちぱちと瞬きを繰り返す。会話のキャッチボールが成立しているかどうか、限りなく微妙なラインではあるけども。
谷地さんは清水先輩とはまた違う雰囲気だけど、女の子らしくてとても可愛い。きっと入部したら他校の人が羨みそうなツーショットになるんだろうな、と思う。翔陽とはすっかり仲良しみたいだし、そのうち飛雄とも打ち解けてくれたら。

「どうした」
「え?なに?」
「なんかやべぇ顔してるぞ」

……やべぇ顔。

「そ、かな」
「おう」
「…うん、わたしも戻るね。谷地さんお願いします!」
「うあ、ハッ、ハイっす!」

谷地さんの返事を聞いてから逃げるようにその場を立ち去る。やべぇ顔、やべぇ顔、やべぇ顔。飛雄に言われた言葉を頭の中で何度も反復させる。やべぇ顔を指摘されて声が震えたのは、嫌なことを考えた自覚があったから。なのにその理由までは見つからない。なんとなく考えていただけなのに、ドロドロして嫌なものが身体の中をぐるりと回った。
教室に戻るとすぐサトウちゃんに会って、翔陽を捕まえられたとお礼を言われたけど、おそらくまだやべぇ顔をしたままだったと思う。



「…なんだ?あいつ」
「あああ、あ、あの、影山くん」
「あ?」
「えと、こ、こんなことを聞くのは本当に、本当に本当に本当に本当に失礼を承知なんですがっ…!!」
「(五回言った…)なんスか?」


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