東京どう?そっちは暑い?

飛雄のお母さんからスイカもらったよー!

お疲れ様!もうすぐ帰ってくる?

メールの文章を打ち込んでは消す、打ち込んでは消すの作業を数回繰り返している。そして最後は決まって何も送らずに溜め息を吐いた。せっかく夏休みが始まって、みんなとの立てた計画を実行できると弾ませていた胸は嘘みたいに別のことでいっぱいになっている。今日は誰とも約束がなくてエアコンで涼しくなったリビングで、ソファを独占しながらのんびりだらだらと撮り溜めていたドラマを見るという優雅な休日を予定通りに過ごしているのだけれど、ドラマはちっとも頭に入らないし、お母さんが作り置いてくれたお昼の冷やし中華は味がよく分からなかった。マヨネーズまでかけたのに。
わたしの頭を占領している幼馴染はというと、夏休みが始まってすぐに東京へとまた旅立ってしまった。思い返せば一週間も飛雄と離れるなんてことは珍しくて、何度も寂しくなってメールを開くがどうにも送る勇気が湧かない。いつもはメールの内容に悩んだりしないのに。理由は分かっている。あんなことを言われたからだ。

「あーーーもーーー、馬鹿飛雄!」

ボフンッとお気に入りのクッションに勢いよく顔を埋める。あんな言葉、ドラマか漫画でしか見たことがない。飛雄のことだから絶対にわたしが想像してしまうような意味を含んでいるはずなんてないのに、なんでこんなにもやもやぐるぐるしなくちゃいけないんだ。埋めた頭をぐりぐりとクッションに押し付けているとスマホがピリリリと音をたて始める。大して確認もしないで画面をタップし、クッションに埋まったままのくぐもった声で「はぁい」と適当に出ると。

「もしもし」
「は!?」

聞き慣れた声だった。がばっと身体を起こして、そこでようやく画面を確認した。表示されている名前は予想の通り、影山飛雄だ。わたしの幼馴染で、先程までわたしの脳内を支配していた影山飛雄だ。いや現在進行形ではあるんだけれども。「……オイ」動揺していると普通よりワントーン下がった飛雄の声が聞こえて慌てて耳にスマホを当てる。

「う、は、ハイ!なまえです!」
「いや、そうだろ」

ほかに誰が出るんだ、と。ごもっともな返事が返ってきてですよね、なんて乾いた笑いが混ざった返事をすることしか今のわたしには出来なかった。

「今日の夜、そっちに帰る」
「そ、そっか。お疲れ様です」
「おう」
「………」
「………」
「………?」
「………」
「………え?なに?」
「あ?」

待てども待てども飛雄から次の話題は振られてこない、話の続きも聞こえてこない。

「それ言うために電話したの?」
「ああ」
「わざわざ?」
「なんだよ。悪いか」
「悪くないけど、けど」

なんで、という疑問は口から出ていくのをやめてしまう。数秒の沈黙を破って今度はわたしが沈黙を作り出す番になった。理由を聞いてどうするんだろうなんて、今まで飛雄に対してそんなふうに思ったことひとつもなかったのに、やっぱりおかしくなっちゃったのかな。もじもじと黙っていると今度は飛雄が沈黙を破ってくれる。

「お前が何の連絡も寄越さねえから。気になってたら、菅原さんが俺からしてみろって言うから」
「菅原さんが?」
「おう」

菅原さんとそんなことを話すのか飛雄は。そんなことより、だ。わたしが気になったのはそこではなくて。

「えっ、飛雄、気になってたの?わたしから連絡がないの」
「……なんだよ、悪いか」

本日二度目のその台詞に、思わずふはっと笑い声が溢れ落ちてしまった。もやもやしていた気持ちに覆い被さるように、嬉しいって気持ちがじわじわと勝っていくのが分かる。

「悪くないよ!わたしも寂しかったよ!飛雄とこんなに離れてること、今までなかったから」
「そうか?……そういや、そうだな」

頷いたところで飛雄には一ミリだって見えないけれど、それども何度もこくこくと頷いた。この鈍感で鈍チンで感情に疎い飛雄がわたしを気にかけてくれたのがこんなにも嬉しいことだなんて。十数年一緒に過ごしてきて初めて知った。

「なら、なんで連絡寄越さなかったんだよ」
「え、ええと、ど、どうしてでしょうか!なーんちゃって」
「はァ?」
「すいませんなんでもありませんなんかちょっと緊張してました」
「なんだよ緊張って」

ちくしょう、普段鈍いくせにこっちが誤魔化したいときばっかり変に噛み付いてくるなぁ。そんな風に思いながら、それすらも今はただの歓喜の材料だ。

「だって飛雄が変なこと言うからさ、ね」
「変なこと?言ったか?」
「俺のもんになれーとか、誰にも触らせねーとか、言ってたでしょ」
「別に変なことじゃねえだろ」
「ええ?う、うーん、でもわたしは恥ずかしかったよ」
「恥ずかしいか?」

あたかも理解できません、みたいな反応だ。分かっていたさ、飛雄のあの言葉にわたしが考えるような深い意味がないってことくらい。ほっと安心する反面で、なにかが胸に引っかかったような気がするけれど、今はただとにかく飛雄の声が聞こえるのが嬉しくて顔がにやけるのを抑えることが出来ない。もうなんだっていいやと諦めて一人で口元を抑えていると、向こう側の飛雄が「……恥ずかしい、なのか」と少し意味を含んだように呟いていた。

「東京合宿はどう?こっちよりも暑い?バテてない?」
「………」

………あれ?突然聞こえなくなった飛雄の声。スマホの画面を確認すると通話はまだ繋がっている。

「……飛雄?もしもし?」
「昨日」
「うん?昨日?」

あ、喋った。

「お前はなまえのことが好きなんだよって田中さんに言われた」
「ハイ?」

かと思えば投げた質問は全部スルーされて、返ってきた言葉は思いも寄らないものだった。この前のこともあり、多少なりとも免疫がついている。うん、一旦落ち着こう。吸って吐いてを二往復程させてから口を開いた。

「えっと、それで?」
「なまえのことならずっと好きですけどって言った」

ねえ待って。
待って待って待って。さすがに思考回路が追いつかない。田中さんが?飛雄なんだって?わたしが?うん?

「小せえときからずっと応援してくれるし、家族みたいに育ってきたし、好きだ、普通に」
「わ、わたしも好きだよ?」

これで正解?これで合ってる?ぐるりぐるりと混乱していく頭をフル回転させて、辿り着いたゴールはここだった。嘘も偽りもない。頑張り屋さんで努力家で一生懸命で、かっこいい飛雄が好き。バレー以外のことには無頓着なところとか抜けてるところとかは可愛いなぁって思う。

「やっぱりよく分かんねえ」

「おーい影山ぁ、そろそろ行くべー!」
「あ、ウッス。じゃあ行ってくる」
「あっ、え、うん」
「またあとでな」
「うん。またあとで?ね?」

プツンッと音が無くなって、スマホがホーム画面に戻ったのを確認したところで通話が終わったのだと理解した。ようやく頭が追いついてくる。ずっと胸に溜め込んでいたモヤモヤが無くなって、飛雄から電話がきたことが飛び上がるほど嬉しくて。数分の出来事を順に追っていく。そしてわたしは自分が埋まっていたクッションに思いっきりスマホを投げつけた。

「よく分かんないのはわたしの方だっ!!」


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