埼玉の夏は宮城より暑いよ〜!

谷地さんから来たメールには翔陽と(この間の見学で覚えた)山口くんがピースしている写真が添付されていた。文末には困り顔の絵文字がいくつも並んでいて、暑さに参ってこの顔をする谷地さんが容易く想像できて笑っちゃいそうになる。口元を抑えて堪えていると、向かい側のサトウちゃんが首を傾げた。

「また影山くん?」
「ちがうよ、谷地さんだよー」
「ヤチさん?……ああ、五組の」
「え、サトウちゃん知ってるの?」
「あいつも五組だからね」

サトウちゃんの言うあいつとは、例の生徒会の彼氏のことだろう。ほんのりと顔が嬉々としている。「仲良しですな」勝手にニヤけた口で冷やかせば「うっさい」と可愛い顔で睨まれた。ちっとも怖くないや。

「バレー部は合宿だっけ?」
「うん。埼玉県で一週間なんだって」
「うわー遠いなー」
「ね、何時間かかるのかな」

何気なく宮城から埼玉で検索をかけてみると車でなんと四時間弱かかるらしい。約350キロ先まで練習に行ってしまうんだから、バレー部の人たちってばすごいなぁと関心すると同時に、ここ数日何度も浮かんでは消えた幼馴染の顔を思い出した。

「俺のもんになればいいって思う」

あのねサトウちゃん。

「そしたら誰にも触らせねぇし、誰にも呼ばせねぇのに」

わたし、おかしいんだよ。

開いた口からは何にも出てこなくて、声にならなかった言葉にサトウちゃんからの返事はもちろんなかった。
長い付き合いであるがゆえに、大抵のことは理解し合っているつもりだ。だから今回のことだって、思ったことを口にしただけであろう飛雄がムカつく以外の感情を持っていたわけがないと分かってる。なのにいつもみたいに「飛雄は可愛いなぁ」で済ますことも、「遠征頑張ってね」と切り替えることもできなくて、あの日を馬鹿みたいに何度も思い出す。相手は少し前まで、バレーがすごく上手な、かっこよくて大好きな自慢の幼馴染だったはずなのに。飛雄のことを考えるとなんだか顔が熱くなってしまう。今度飛雄に会ったらどんな顔をしたらいいのか、全然分かんないなぁ。
頭の中に流れてきた記憶の映像を振り払うように首を振ると、サトウちゃんが不思議そうな目でこちらを見てきた。熱いね、と誤魔化してシャーペンを持ち直す。

「なまえ大丈夫なの?寂しくない?」
「うん?さみしい?なんで?」
「だって影山くんと一週間会えてないってことでしょ。そんなに離れてたことあるの?」
「やだなー、サトウちゃん。さすがにそれくらい、」

頭の中で沈黙の木魚がなる。チーン、という音と共に答えが出た。

「……ないかもしれない」
「えっ、マジで?」
「うん。サトウちゃんどうしよう、とても寂しい」
「けどどうせメールとかしてるんでしょ?」
「……おう」
「なんで男前」

だってサトウちゃんのいうどうせ、は一ミリだって実行されていないのだ。


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「ん?」

埼玉県、森然高校。東京遠征も半分が過ぎて折り返し地点になった頃、気力もいい具合に充実してはいるものの、やはり夜は疲労だけに苛まれる。お風呂を済ませてあとは寝るだけだ、と烏野で借りている教室へと戻ると、菅原は珍しい光景を目にした。

「へぇ、お前が携帯見つめてるなんて珍しいな」
「……!っ、菅原さん!」
「お、ごめん。驚かせちゃって」

普段なら爪の手入れをしてるかバレー雑誌を眺めているか、その他諸々バレーに関すること以外で寝るまでの時間を潰している影山が携帯をジッと見つめていた。余程夢中になっていたようで声をかけるまで背後の菅原には気づかなかったようだ。謝罪に対して大丈夫だと首を振る影山の表情は心なしか固く「なんかあったの?」と聞けば少しだけムッと口を尖らせた。

「いや、なんでもないんス、けど」
「……あっ、もしかしてみょうじさん?」
「え、なっ」
「なんだ、図星かよ」

間髪入れずに狼狽える影山の態度は肯定以外の何物でもない。つい先日、偶然にも影山の心情を知ってしまった菅原は歪みそうになる口元をバレないように手の甲で覆い隠した。

「連絡来るの待ってんの?」
「別に待ってるとかじゃないッスけど、いつもならこうゆうとき送って寄越すのにって思ったんで」
「こうゆうとき?」
「遠征とか、試合の日とかッスね」
「ほんと仲良いなー二人とも」
「そうですか?普通だと思うんですけど」
「だってお前、メールとかあんましないだろ?」
「?ハイ」
「けどみょうじさんとはこまめに連絡取り合ってんじゃん。仲良い証拠だべ」
「……そうッスかね」

誤魔化すように視線をズラされる。二人がこまめに連絡を取り合ってるかどうかは知らなかったけれど、否定しないとゆうことはそういうことになる。

「まあ思い返してみると、お前この合宿中やけに携帯を気にしてたもんなー」
「え、俺そんなに気にしてましたか?」
「してたなぁ」

起床後、練習前、練習後、就寝前。菅原の視界の片隅には携帯を睨みつける影山がいた。練習中は集中しているんだろうが、それが途切れてしまえば、真っ先に思いつくのがきっとあの子のことなのだろう。
菅原は驚く反面、嬉しくもあった。お風呂で温まった身体は影山の反応を見てさらにホクホクと火照りつつある。これではまた東峰におっさん扱いされてしまう、と考えていれば「あの、菅原さん」と影山の方から声をかけてくる。

「おー、どうした?」

火照ってきた身体は関東の夏に対して暑すぎる。菅原はペットボトルの水を口にしながら返事をした。

「誰にも渡したくない人とか、いますか」
「ブッハ!!」
「菅原さんッ!?」

大丈夫ッスか!?水を盛大に吹き出した、と思ったらどうやら気管に入ったらしい。ゴホゴホと咳き込む菅原の様子を慌てて心配する影山。悪いけど犯人はお前だよ、とはさすがに言えない。
呼吸を落ち着かせながら心も一緒に落ち着かせる。そうだ落ち着け、相手はあの影山だ。慎重にならなければ何も聞けずに終えてしまう。もしかしたら何かの聞き間違いかもしれない。いや、どうやってあの文章を聞き間違うんだよ。菅原は頭の中で葛藤しながらひとつ深い呼吸をした。

「ふぅー、悪いな、落ち着いた」
「ホントに大丈夫ですか?」
「大丈夫だって。それで、なんだって?」
「や、あの……菅原さんは誰にも渡したくない人とかいないのかと」

うん、やっぱり聞き間違いじゃなかった。

「……えっと、今はいないかな」
「今は?」
「うん、今は」
「そうですか……」

菅原の発した答えにあからさまに肩を落としてみせる影山に、菅原は仕方ないなと苦笑を溢す。

「影山が言いたいことあるんなら聞くぞ?田中や西谷みたいに先輩って呼ばれてはしゃいだりはしないけどさ、可愛い後輩が頼ってくれんのって普通に嬉しいもんだべ?」

そう言って肩を叩いてやれば影山の眉間の皺がほんのり和らいでいく。感情表現も相手への思いやりも言葉の選び方も全部上手ではない影山は、形容できない胸中のモヤモヤを少しずつ言葉にして紡ぎ出した。

「嫌になるんです。あいつが他のヤツと一緒にいたり、笑ってたりすんの見ると」
「(あいつ?みょうじさん?)うんうん」
「突然日向のことも名前で呼び出すし、知らない間に月島と会ってるし……クソムカつきます」
「うわー影山らしいなー」
「え?」

負の感情を表現するのはいくらでもあるというのに、その中であえてムカつくという言葉をチョイスするところが影山らしい。しかもクソ付き。思わず口から出てきてしまった感想に影山は反応を見せたが、今はそれは置いておきたい。

「みょうじさんって、影山にとってどんな子?」
「普通に幼馴染ッス」
「あ、うん、それは知ってるから」
「?うス」

みょうじさん、というのは否定しないようだ。どうしたら影山に直接的な言葉を与えずに気づかせることが出来るだろうか。菅原は顎に手を当てて考える。そもそも影山相手に直球抜きでどうしろって言うんだ。自ら与えた無理難題に表情が険しくなっていく。そんな菅原の様子を影山はキョトンとしたまま見つめていた。するとぬらり、と。悩む菅原の背中からふたつの影が伸びてきた。

「フッフッフッ……」
「聞いたぞ……聞いちゃったぞ影山!」
「ウゲッ!!」

後ろから漂う不穏な空気にバッと振り向くと案の定、一番現れてほしくないコンビが顔を出してしまった。田中と西谷である。

「馬鹿お前ら!一番出てきちゃ駄目だろ!」
「ええー!なんでですかスガさん!」
「この恋愛のスペシャリスト、田中先輩がいいことを教えてやるぞ影山ー!」
「おう言ってやれ龍!ドーンとな!」
「待て田中ステイだステイ!」
「……よく分かんねぇッスけど、お願いします」
「お願いすんな馬鹿!」

「ズバリ!お前はなぁ、みょうじさんのことが好きなんだよ!」

菅原の制止も虚しく(自称)恋愛のスペシャリストは堂々と言ってのけた。……やってしまった、と手のひらで顔を覆い隠す。確かに菅原としても、傍から見て完全に惚れているだろう影山の背中を押したくはあったが、そうゆうのは自分で気づくべきなんじゃないかという思いが強かったのだ。しかし口から出てしまったものは仕方ない。影山は一体どんな反応をするのか。指の間から覗き込んで、目を丸くする。てっきり超テレるか、全力で否定するか。なににせよ大きなリアクションが返ってくると思ったのに、影山はなおもまだキョトンとしており、それどころか首まで傾げていた。

「なまえのことは、ずっと好きですけど」

さも当然のようにさらりと言ってのける後輩に、先輩三人組の口がぱかっと開く。

「他の女はよく分かんねぇけど、あいつのことなら分かります。けど最近ヤケにムカつくし、モヤモヤするし、意味不明なんで菅原さんに相談したくて…」
「か、影山よ、俺が言いたいのはお前がみょうじさんを女の子として好きってことで」
「……?なまえが女だってことくらい分かってます」

そんな三人の様子の変化に気づきもしない影山はただただ困ったように軽く俯いて頭の後ろに手をやっている。開いた口は未だに塞がらない。モヤモヤするところまでは自覚しているのに、好きなのも自覚しているのに、何故方向性の違いに気づかないのか。喉まで這い上がってきた言葉と溜め息を飲み込んで、菅原はパンとひとつ手を叩いた。

「よし、解散」
「うッス」
「了解ッス」
「は?あの、」
「おやすみ影山」

相手は影山だ。諦めよう。三人の心が一致して、菅原の合図でそれぞれの布団へと戻って行く。突然の切り返しについて行けない影山は行き場のない手を宙に浮かべて呆然としている。そんな影山を見た菅原は小さな溜め息を溢した。

「たまには自分から連絡してやれよ。待ってるだけじゃなくてさ」

この鈍感単細胞星人の後輩に、仕方ないから最後にひとつだけ、アドバイスをくれてやらないこともない。


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