清水先輩。谷地さん。
試合後の感動と興奮が身体のあちこちに残っていて、さらに新しく追加された連絡先にふわふわと心が浮き立つ。見学させてもらえただけでもこの上なく有難いことなのに連絡先まで教えていただけるとは。何度も何度も頭を下げると、清水先輩は「部活が休みときは仁花ちゃんと三人でご飯でも行こっか」と笑ってくれた。澤村さんにもお礼を伝えると「今度は東京まで見に来なさいよ」と言ってもらえて。二つしか変わらないはずなのに、お二人はうんと大人に見えた。谷地さんとも連絡先を交換したときに部活がお休みの日は遊ぼうねってお話もした。飛雄と翔陽が別のチームだったから噂の変人速攻を拝めなかったのは少し心残りだけど、今日はなんだかいいことばかりだったなぁ。

「ん、ぎっっ!」
「……何してんだお前」

ガツン!!鈍い音と同時に頭の中がぐらりと揺れる。うっとりと携帯の連絡先画面を見つめながらバレー部の余韻に浸っていたせいで、電柱にぶつかったようだ。朦朧とした頭で状況を把握する。「っ、っ…ッ!!」声にならない声をあげて特に強くぶつけた額を抑えて蹲ると、隣を歩いていた飛雄から冷たい言葉が降ってきた。

「携帯なんか見てっから悪りぃんだろ」
「うああ、血、出てる?」
「こんなんじゃ出ねぇよ。コブにはなるかもしんねぇけど」
「う、ぐぬう」

前髪を掻き分けて見てくれる飛雄が呆れた顔を覗かせる。さっき自主練をしているときは集中に満ち足りていてすごくかっこよかったのに、なんだか非常に残念だ。こんな顔をさせたのは自分だと言うことは棚に上げてそんなことを思っていると、腫れ始めている額を指先で撫でられる。しかしそんな小さな刺激も大きなダメージなので、うぐっと喉奥から鈍い悲鳴が出る。

「あ、悪い」
「ぐおお…な、なんの、これしき」
「…ったく、しょうがねぇな。ほら」

溜め息を混ぜながら渋々といった様子で手を差し出される。素直に手を取ると、痛い痛いと泣いていた身体はフワッと軽くなっていとも簡単に立ち上がってみせた。そんなわたしを飛雄は満足気に見下ろす。なんとなくむっとした。

「くそう。飛雄もぶつかればいいのに」
「なんでだよ。日向じゃあるまいし、ぶつかるわけねぇだろ」
「え?ぶつかってたの?電柱?」
「ボールにな。顔面でレシーブ受けてた」
「ああ……うん、なんか想像できる」

翔陽には申し訳ないが容易く頭に浮かんだ。男子バレー部の皆さんのスパイクなら相手も誰でも痛そうだ。東峰さんとかは特に。目の当たりにしたばかりだからか余計にリアルに想像してしまって、慣れたはずの額の傷みが増した気がした。飛雄曰く「あいつは顔面受け慣れてっから平気だろ」らしい。そんなに慣れるほど顔面でレシーブしているんだろうか。湧いた疑問を口に出せば翔陽は顔面でトスを受けることにも慣れてるらしい。……何故、顔面でトスを?全く話が分からない。首を傾げているとピコンとメールの通知が鳴った。

「あ、サトウちゃんからメールだ」
「余所見してっとまた頭ぶつけんぞ」
「もうぶつけないってば。あ、翔陽からもメールきてる」

今日はなまえが来てくれて超嬉しかった!おにぎりもサンキューな!また来いよ!
簡潔的でストレートな感謝の文面に胸のあたりがあったかくなる。翔陽がすごく飛ぶのは本人からも飛雄からも聞いたことがあるけど、間近で、あの身長で、あんなに飛ぶところを見たのは初めてだった。去年の中総体一回戦は風邪で休んでしまったけれど、なんて勿体無いことをしたんだと今更ながら後悔する。むしろお礼を言いたいのはこちらの方だ。

「……日向ともメールすんのか」
「うん。たまにね、って、あっ?飛雄?」

返事をしようとすると、突然パッと自分を照らしていたものが無くなった。攫われた方を目で追いかけると、何故だか飛雄がわたしの携帯を睨みつけているではないか。その表情はまさに鬼の形相という言葉がピタリと当てはまる。怯みはしないものの、あまりにも突然だったので驚いてきょとんと飛雄を見上げていると、表情はそのままで携帯を乱暴に突き返された。

「お前、最近ムカつく」

えっ。いきなり投げられた言葉に目を見張る。舌打ちも付け加えた飛雄はぽかんとしているわたしを置いてスタスタと歩き始めた。まるで何事もなかったように。

「……は、え?」
「何してんだ。早く帰るぞ」
「え、えっと?」

あれ、もしかして。今言われた言葉はわたしの気のせいだったのかな。そう錯覚するくらいにいつも通りの飛雄に、またぽかんと口が開く。

「それは、ええと、どういった内容で?」
「はァ?」

さすがに気のせいではないだろうと思ったが、やっぱり気のせいではないとすぐに気づいてしまう。振り返った飛雄の目がギラリと光った。「なんで分かんねぇんだよ」とでも言いたげな顏だ。分かるわけない。ちょうど街灯の下にいるおかげで迫力二割増した眼光に圧倒されていると、飛雄が尖らせていた口を開く。

「……他のやつにヘラヘラしてんのとか、腹立つ。月島なんかと笑ってんじゃねぇよ。あいつ性格すげぇ悪いから」
「あ、うん。それはなんとなく知ってる」
「日向のこともなんかこう、イライラすんだよ。俺以外のこと名前で呼んでんのとか、触られてんのとか、なんか、イラっとくる。腹立たしくてしょうがねぇ」
「は、腹立たしくてしょうがないのかぁ」

驚きのあまり飛雄の言葉を復唱する。そこまで言うか。思っていたより飛雄の怒りは深いようだ。いつになく饒舌で怒鳴ってこないのが逆に怖いと感じる。こういうとき下手なことを言うと飛雄の怒りを煽ってしまうことは、今までの経験で十二分に理解している。
それにしても、だ。月島くんと?笑ってたかな?思い返してみてもポッキーの話が大半だったし、あとは少しからかわれたくらい。翔陽のことを呼ぶことに関しては文句を言われ慣れているので今更、という感じたけど触られるってなんだろう。一体誰に?なんかこうってなんだろう。うーん、どうやって返せばいいもんか、と狼狽えていると。

「最近、俺のもんになればいいって思う」

なんてことを言われて、またまた口がぽかんと開いた。頭の中が真っ白になる。え、えっと。

「飛雄のもん?」
「そうだ」
「……えっ、わたし?」
「あ?他に誰がいんだよ」

ですよねー!と口にする勇気はさすがになかった。かと言って「そうだね」とも「ごめん」とも言えずにきゅっと口を結ぶ。額をチリっとした痛みが走って顔を上げる。いつの間にか街灯の明かりから飛び出して目の前まで来ていた飛雄は、すっかりコブが出来上がっているであろうわたしの額に触れていた。さっきまでの雑な手つきからは想像も出来ないほど優しい撫で方にびくりと心臓が跳ねる。大きな手の間から見える表情からは感情が読み取れない。いつも通りの無愛想である。
飛雄のもん……飛雄のもん?そんな言い方じゃあまるで、飛雄がわたしのこと独り占めしたいみたいだ。なんて思って顔がぽっと火照る。

「……飛雄、それ、なんか恥ずかしいよ」
「は?何がだ」
「うっ……」

そんなの言えるわけないでしょ馬鹿。いやいやいや、ありえない!飛雄に限って!きっと飛雄のことだから、深い意味もなく素で思ったことを口にしているだけだろう。ずっと飛雄より仲の良い男友達はいなかったから、ちょっとヤキモチみたいなものを焼いただけだろう。今までの経験上から立てた予測を自分に言い聞かせてひとりで納得する。伊達に十数年という長い間幼馴染やってきたわけじゃないのだ。
言いたいことを言ってスッキリしたらしい飛雄はまた「帰んぞオラ」と言って背を向ける。ほれみろ、この単細胞め、一瞬ドキッとしてしまったじゃないか。本当にタチの悪い。もし相手がわたしじゃなくて変なふうに捉えてしまったらどうするつもりだ。歩き出した飛雄の隣に早足で追いついて心の中で悪態をついていると、飛雄がさらにこちらの頭を悩ます大きな爆弾を落とすことを、このときはまだ気づきもしなかった。

「そしたら誰にも触らせねぇし、誰にも呼ばせねぇのに」


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