一学期の課程を全て終えて、終業式も一学期最後の委員会も終わった。仲の良いいつものメンツで飽きるまでお話をしてからようやく空いた教室をあとにした。さぁ、おいでませ夏休み。高校で出来た友達と中学のときの友達との予定をたくさん詰め込んであるスケジュール帳を見てニヤニヤしながら歩いていると、いい香りがふわっと鼻を通る。

「なまえちゃん?」
「わ!わ!わ、し、清水先輩!」

家庭科室、と書かれた表札をぼんやりと見上げていると途端に扉が開いて、その先には清水先輩が驚いたような顔をして立っていた。び、びっくりした。まさか清水先輩が出てくるなんて、誰が予想するだろうか。心の準備的なものを終えていなかったので、突然の清水先輩の登場に心臓がバックバクと鳴っている。

「こんなところでどうしたの?」
「あ、すみません!いい匂いがしたので、つい足を止めてしまって」
「今ね、おにぎり作ってるの」
「へ?おにぎり?」

時間帯的に部活中ではないのだろうかと思ったのだが、どうやら自主練習前に部員の皆さんにふるまうためのおにぎりを作っているとのこと。家庭科室内に一緒にいた谷地さんが嬉しそうに教えてくれた。午前中で学校が終わって教室で溜まってたため、ちょうどよくお腹がすいてるわたしにとって、コロコロと並んでいるおにぎりたちは非常に目に毒である。正直に言おう、お腹が鳴りそうだ。

「わーおいしそう……」
「あ、よかったらおひとつ!」

つい呟いてしまった一言は見事谷地さんに拾われてしまった。谷地さんの可愛らしい手にはホカホカと湯気を浮かばせた、握りたてほやほやのライスボール。いやしかし。

「いや、そんな、皆さんのためなのに!」
「ひとつくらい大丈夫よ。ね、仁花ちゃん」
「わ、わたしなんかが握ったものでよろしければ…」
「えっ谷地さんのおにぎり!食べたい!」

きゅうっと切なくなったお腹にもう嘘はつけない。欲を素直に口にすると、谷地さんは手にあったおにぎりをそのまま差し出してくれた。ではお言葉に甘えて遠慮なく、いただきます。もぐ、と口に含むとちょうどいい塩加減と優しい柔らかさのお米が口の中で解ける。

「んー!すっごくおいしいよ谷地さん!」
「な、なんと…!もうひとつどうぞ!」
「いいの?やったー!」

もうひとつもらえるなんて!谷地さん優しいとっても!なんだか餌付けされているみたいだなぁ、なんて考えていると「なんか餌付けみたい」と清水先輩が呟く。おっと、美女とシンクロしてしまった。ふたつぶんのおにぎりをもぐもぐとよく噛んで、清水先輩がついでくれたお水を勢いよく飲み干す。ぷはー。ごちそうさまでした、と頭を下げると谷地さんはわたしよりさらにさらに深く頭を下げた。

「あ、も、もしよかったらなまえちゃんも一緒にどうかな?」
「えっ、おにぎり?作り?」
「いいね。日向も影山も、きっと喜ぶと思うよ」
「……飛雄、」

喜ぶかなぁ。ぽろりと溢れてしまった言葉。はっとして顔を上げると、清水先輩と谷地さんは顔を見合わせて、それから優しく笑ってみせてくれた。



「あの、谷地さん」

清水先輩が一度席を外して、谷地さんと二人きり。さっきまで三人でいろいろ話し込んでいたから途端静かになった気のする家庭科室に、妙に緊張の含んだ自分の声はやけに響いて聞こえた。

「飛雄と翔陽はお元気ですか」

実のところ、あれ以来飛雄と翔陽のツーショットは一度も見ていない。前は小さいことで口喧嘩が勃発していたのに、今はパタッと止んでしまっていて、少しばかり寂しくもある。
飛雄が悩んだ顔を浮かべていたのはあの日までで、翌晩影山家へお醤油を借りに行ったときにはけろりとしていた。翔陽も翔陽で、教室では普通に喋ってくれるし普通に楽しそう。だけど飛雄の話は全く聞かない。聞かないのと心配しないのとではやはり違って、会うたびに顔色を伺ってしまうことは自覚しているのだけど。

「大丈夫!!」

いつの間にか下を向いていた視線で、その声を追いかける。

「って、日向が言ってたから、大丈夫だと思う!」

谷地さんの声が静かな空間でパチンと弾ける。大丈夫、大丈夫。そっか、大丈夫かぁ。谷地さんの言葉を何度も往復させて己に染み込ませると、じわじわと安心感が押し寄せてくる。

「良かったぁ、マネージャーの谷地さんがそう言うんなら安心だね」
「え!いやいやいやわたしなんて、まだまだ!全然ヒヨッコで!ありまして!」

取れるんじゃないかってくらいブンブンと勢いよく両手と頭を振って狼狽える谷地さんが可愛く見えて、思わず笑みが落ちてしまった。いつしか新しいマネージャーは可愛い子がいいなー、なんて飛雄と話していたけれど。(正確にはわたしが一方的に話していたけど)新しいマネージャーが谷地さんで良かったなぁ、嬉しいなぁ、と思う。この前はちょっと挨拶しただけで、今日やっとまともに話した程度のわたしが思うんだから、飛雄や翔陽たちはきっともっと思ってるはずだ。

「ごめんね待たせちゃって。体育館行こっか」
「ハイっす!」
「あ、わたしはここで失礼します」
「ええっ、か、帰っちゃうの?」

お邪魔になったら悪いので、と付け足して頭を下げる。谷地さんが肩を落としてくれたことに少し浮かれてしまう。あとで連絡先とか聞いたら教えてくれるかな、谷地さん。ぽわんとしていると空になっていた手にずしんと重たいものが乗っかった。あたたかいお米のにおいだ。

「はい、これ持ってね」
「え!し、清水先輩」
「なまえちゃんまだ時間大丈夫かな?バレー見るの好き?」
「へ…?大丈夫です、バレーも好きです、けど」
「よかった!」

う、わああ!清水先輩の手が、お皿を持ったわたしの手の上に!

「この後試合形式で練習するの。良かったら見ていかない?」
「…!えっ、い!いいんですか!」
「うん。部長にも先生にも話は通してあるから」

もしかして清水先輩が席を外していたのはこのためだったのだろうか。と様子を伺ってみると、清水先輩はわたしの返事を急かすようにこくりと首を縦に振った。ここまでしていただいてノーと言える選択肢なんてとっくのとうに捨てている。こくりとひとつ頷いてみせると、清水先輩と谷地さんはそれはそれは嬉しそうに笑顔を咲かせてくれた。

「ふつつかものですが!ぜひ!」
「ハッ、け、結婚!!」
「お、落ち着いて二人とも」


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