届くように


「あ、見つけた!遙!」

   燈鷹大学水泳部の練習が今日からだと聞いて、バイト前に足を運んでみた。さすが大学、他校生がいても何ひとつ誰ひとり怪しまれないのが助かるところ。
   建物の外から覗いたのちに校庭のベンチでスマホをいじっていると、遙が燈鷹大生の中から現れた。一応メッセージは送ってあったけど、見たかどうか定かではない。特に驚いた様子がないあたり、目は通してくれたのかもしれない。遙の泳ぎを見られた嬉しさを前面に押し出して手を振れば、遙はこちらへと歩いてきてくれた。

「お疲れさま!今日の泳ぎもすっごく綺麗だったね!」
「見に来てたのか」
「あれ?メッセージ見てない?」
「見てない」
「その割には驚いてないね」
「別に今さら驚かないだろ」
「ふふ、そっか。水泳部はどうだった?」
「広かった。あと水が綺麗だった」
「いやもっとほかの感想あるだろ!」

   ……ん?遙の後ろからひょこっと顔を出して鋭い突っ込みを入れた赤い髪の男の子。記憶の中の誰かと面影が被る彼が誰なのか、すぐに浮かび上がってこない。ええと。うーんと。顎に手を当てて考えていると、何やらコソコソと彼が話を始める。

「つか誰だよこの子!……ま、まさかハル。ついに、彼女か…?!」
「何言ってるんだ、お前は」
「あっ、ハルー!旭ー!」

   あさひ。向こうから駆け寄ってくる貴澄くんが呼んだ名前にようやくピンときた。あさひ、あさひ、あさひ……『椎名旭』……?

「え?もしかして椎名くん?」
「えっ、と……?」

   突然答え合わせをした私に本人は戸惑っているようで、目をぱちぱちと何度も瞬かせている。近くまで来た貴澄くんがそんな椎名くんを見て口を開いた。

「もう旭、忘れちゃったの?ナマエだよ、岩鳶中一年一組陸上部のミョウジナマエちゃん」
「ミョウジ………ミョウジって、あのミョウジかっ?!」
「うん!うわー椎名くんかー!大きくなったね!久しぶり!」
「いや親戚のおっさんか。にしても本当久しぶりだな!ミョウジも燈鷹だったのか?」
「ううん、霜狼学院!バイト先が燈鷹から近いから、行く前に遙が泳いでるとこ見たくてつい寄っちゃった」
「霜狼学院って……スポーツの強豪だよな?もしかして陸上で入ったのか?」

   屈託の無い笑顔を浮かべる椎名くんの変わらない裏表の無さがなんだか安心を覚える。「ミョウジめっちゃ足速かったもんな!」と続けて明るく笑う椎名くんの純粋な質問に対して、遙と貴澄くんが憂わしげな表情で顔を見合わせた。二人の優しさを垣間見ながら、私は首を横に振る。

「霜学のスポーツ健康学部には指導者育成に特化した学科あるの。今はそこで陸上の指導者を目指してるんだよ」
「ほー…なるほどな。新しく夢見つけて頑張ってんだな!」
「椎名くんこそ今でも水泳頑張ってるんだね」
「あったりまえだろ!いつか絶対ハルに勝ってやるからな」
「ああ。俺も負けない」

   心なしか遙が生き生きしているように見える。久しぶりに仲間と再会するのはやっぱり嬉しいんだろう。私も嬉しいな、と思う片隅で脳裏に一人、潮風に髪を揺らす男の子が頭に浮かんで、三人の会話が入ってこなくなる。今もどこかで水泳してるのかな。

「じゃあ次の新人戦は椎名くんも出るんだよね」
「おう!」
「そっか!応援行くの楽しみにしてるね。頑張ってね、遙も!」
「ああ」
「ナマエはまだ時間大丈夫?」
「え、あ、よくない!ありがとう貴澄くん!じゃあまたね三人とも!」
「気をつけて行けよ」

   三人に手を振りながら燈鷹大をあとにする。椎名くんがまた何か疑うような目をして口を閉ざしていたけど、一体なんだったのかな。

/

   ……迷子になった。遙と椎名くんの記念すべき大学最初の試合を無事に見られたところまでは良かった。本当によかった。遙が一番になれたことも椎名くんが泳ぐところを見られたことも本当によかった。浮かれていた。だからこそ油断していた。とりあえず全体が見える場所にいようと観客席の適当なところへ出る。

「……んー、あれ?」

   きょろきょろと見渡していると、プールサイドを歩く背中に『SHIMOGAMI』と書いてあるのが目についた。自分の学校だからだろうか。そういえば同じ授業で知り合った先輩が今年の水泳部に高校の全国大会の個人メドレーで大会記録を出した子が入ったって言ってたような。名前は知らないって言ってた、けど。

「……いくちゃん?」

   桐嶋郁弥、霜狼学院大学。電光掲示板の文字を見て、驚きに打たれて自然とその名前を紡いだ。準備を終えた選手たちがスタート台に上がる。手紙を待ってた人。手紙を待つのを諦めた人。ずっとずっと忘れられなかった人。表記されているレーンに目をやると、その人はそこに立っていた。

『 Take yout mark 』

   なんで。どうして。留学は。いつ帰ってきたの。疑問に溢れた思考を全部置いて、観客席の一番前まで走り、手すりを力強く握った。スタートの電子音が会場に鳴り響く。一斉にプールに飛び込む選手たち。私が今やるべきことはひとつだけだった。中一の私が大会前の郁ちゃんに伝えたことが頭をよぎる。

   一番大きい声で、郁ちゃんに届くように。

「郁ちゃん!!頑張って!!!」

   応援するから。


  

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