「……おい、日向どうしたんだ?」

朝練終了後、体育館から部室までの近距離。そして部室で着替えている間、終始落ち着かない様子の日向を心配した澤村が、小声で菅原に耳打ちする。ん?と首を傾げた菅原がチラリと横目で日向を確認すると、確かにそわそわしているようだった。理由に心あたりがあるらしい菅原はあー、と声漏らす。

「多分あれだな。ほら、昨日のさ」
「ああ…みょうじさん?だっけ。日向の彼女になったっていう」
「そうそう」
「ちょっとどんな感じか気になるよな…」

二人の会話を聞いていた東峰も会話に参加する。その一言は澤村と菅原の好奇心を煽るのは十分だったようで、二人は揃ってこくこくと頷く。「すみません!」すると噂をすればなんとやら。着替えを終えたらしい日向がいつになく気合の入った声で声をかけてくる。

「俺、お先に失礼します!お疲れっした!!」
「お、おう!お疲れ日向」
「お疲れー」

バタバタと慌ただしく部室を去っていく日向に挨拶を返す。……どうする?着いてってみる?いや、でもな。三人は目でそんな会話をしながら先ほど膨れ上がった好奇心を周囲に悟られないように、あくまで平常心を貫き通す。気にならないといえばもちろん嘘になるが、後輩の恋路を隔てるような真似は先輩としてする訳にもいかない。
悲しいことにここ最近、男子バレー部には浮ついた話が浮上していなかったので葛藤が生まれるのは尚更だ。当事者の日向を含め曲者一年が加わったこともありバレー部は、小さな巨人のいた時代と同じように活気づいている。三年生は受験やなにやらでそんな暇はなく、二年は二人を除いて真面目である。除いた二人に関しては見ての通り、とその二人を目で追いかけたとき、怪しい動きで部室を出ようとする姿が映った。

「おい田中西谷!」
「ヤベッ!見つかった!」
「ヤベッてなんだ!お前らまさか、」
「だってメチャクチャ気になるじゃないですか!」
「大地さんたちは気にならないんすか!」
「いや、それは………」
「…………」
「…………」


↑↓



スマン日向。澤村は内心で深く謝った。

「ノヤ見えるか?見えるか?」
「いや、多分まだ来てねぇな…」

わざとらしく木の陰から校門にいる日向を覗き込む田中と西谷。なんか探偵みたいだなぁ、と呑気に笑う菅原が少し羨ましくなりつつある。どうやら件のみょうじさんはまだ登校してきていないようで、日向のそわそわは未だに落ち着いていない。

「なんか、こっちまで緊張してきた」
「ああ…ちょっと分かる。息子が彼女連れてくる、みたいな」
「旭さんが言うとシャレになんないっすね!」
「エッ」
「ちょっ、ノヤさん、オブラート!」
「おい静かにお前ら!」

いつものテンションになってしまうところを澤村の一言で慌てて沈める。どうやら未だに緊張状態を保った日向はこちらに気づいてないらしい。緊張のし過ぎでまたトイレにでも行きたくなるんじゃないか。そんな心配が頭をよぎった。

「あ、日向くーん」
「みょうじさん!お、おはよう!」

来た!!!と五人の目が光る。スカートをパタパタと翻して日向の元へ走ってきた女子生徒がおそらくみょうじさんで間違いないだろう。流行りのリュックを背中に背負って、生活指導は通り抜けられる程度の化粧を施している彼女は一見派手ではないものの、今時の女子高生という言葉がピッタリとマッチしている。一にも二にもバレーを選びそうな日向からは想像つかなかった彼女の容姿に澤村は意外だな、と呟いた。

「おはよう。ごめんね、待たせちゃった?」
「ハイ!あああイヤ、全然!」
「そっか。今日も暑いね」
「う、ウン!暑い!!」

落ち着け日向!なんて心の叫びはもちろん本人に届かない。あっちこっちに目を泳がせて、単語でしか会話をしない日向。緊張マックスの姿をバレー部の面々は見慣れているがきっと初めて目にしているのだろう。みょうじさんはキョトンとした顔で日向を見ている。

「そういえば、朝練お疲れさま。よかったらこれ食べて」
「エッ!おおおおお俺に!?」
「うん。あ、レモンすき?」
「うぇっ!?あ、レモン、好きです!!」

レモン風味の熱中症対策タブレットを受け取った日向はみょうじさんの口から出てきた「すき」という単語に過剰な反応を見せる。あまりにもウブな日向を見て最初にぶるぶると肩を震わせたのは菅原だった。一方みょうじさんはおろおろしている日向を微笑ましそうに見つめている。完全に異性を見ている顔ではないことは確かだが。

「……あ、あれ?」
「うん?」
「みょうじさん、化粧してる?」

おや、と澤村は首を傾げた。今の日向の言い方からするに、いつもはしていないような口ぶりだ。突然聞かれたことに対してみょうじさんは少しだけ困った顔をしている。

「…えっと、いつもちょっとだけしてるにはしてるけど」
「えっ!!ごごごゴメン!!」
「なんで日向くんが謝るの?」
「だって、俺そうゆうの鈍くって…」
「全然いいよ。気づかれない程度にだしね。今日は気づいてくれて良かったけど」
「え、そうなの?」
「うん。だって日向くんの彼女一日目だから気合入れてきちゃった」

ニシシと悪戯っぽく照れ笑う彼女に息を飲んだのは日向だけではない。なるほど、これは日向を虜にするわけだと五人は同時に頷いた。初々しい二人にこっちが照れてしまうくらいなんだから、日向なんてひとたまりもないだろうなぁ。そう思った菅原が苦笑いを浮かべながら日向の様子を確認すると、案の定額から首までを真っ赤にさせて硬直している。確実に暑さのせいではないだろう。

「変かな?」
「全ッ然!!変じゃないってゆうか、可愛いってゆうか、う、嬉しいってゆうか!」
「良かったぁ。あ、先生には内緒にしてね?」

慌てふためく日向から次々と出てくる褒め言葉にみょうじさんは柔らかく笑い、人差し指を口元に当てる。ちくしょうリア充め…!!という怨念のこもった歯ぎしりが田中と西谷から聞こえるような気がするが、三人は何も聞こえないフリをして微笑ましい光景を眺める。
すると不意にこちらを見たみょうじさんの視線が五人をとらえて、目が合ったと思った全員は急いで身を隠そうと試みる。ガタイの良い男子バレー部員五人が木に隠れようなんて到底無理な話で、足掻いてすぐに諦めた。
おそるおそるもう一度視線を戻せば、みょうじさんの瞳は相変わらずじぃっとこちらを見ていた。幸にも周りの見えてない日向には気づかれていないようだ、と澤村は胸を撫で下ろす。それは菅原も東峰も同じようで、三人三様の安堵の息を溢した。

「日向くん、教室行こっか」
「ハッ、ハイぃ!」
「こらこら。敬語は禁止だよ」
「うぁ、ああ、ごめん!」

二人は教室に行くようだ。さすがに今の出来事を経て、跡をつけようなんてことを思うやつは、少なくともこの中にはいない。ガチガチの日向が少しだけ前を歩いていく。最後に一度だけ振り返ったみょうじさんが、恥ずかしげな表情を浮かべてぺこりと会釈をする。条件反射で五人も頭を下げると、みょうじさんは少しだけ目を丸くした。それから何事もなかったように日向の隣でまた笑って、校舎の中へ消えていった。

「……なんてゆうか、」
「おー」
「…もったいない彼女だな」

ぽつん、とした菅原の呟きに全員の同意が重なった。


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