烏野高校バレーボール部は今日も平和である。さらなる高みへ目指して練習を重ね、仲間が互いに切磋琢磨することで、努力を確かな形として残している。一年同士の喧嘩なんて日常茶飯事。うるさい二年が主将に怒られているのなんて見慣れている。ちょっとやそっとのことじゃこの平和は崩れない。
……なんて特別に思っていたわけではない。しかし菅原は体育館に足を踏み入れた途端、穏やかではないのだとすぐに察知した。朝練の時は平和だったというのに一体どうしたのだというんだ。重苦しい空気の中で後輩たちが準備をしている中、菅原は入り口すぐ横にいた山口に声をかけた。

「おい、なんだよこの空気…」
「あ、お疲れ様です。いや、それが実は……」

「うっ……ううう、」

どんよりとした呻き声がぽつりと聞こえる。なんだ?と部員は顔を向けたり、あえて顔を逸らしたりと反応は様々であった。その声は次第にボリュームを増していき、そして。

「おわあああああみょうじさぁぁぁぁん!!!」
「うるせーぞ日向ボゲェ!!!」
「叫ばないとやってらんないんだよコッチはぁ!!うああぁぁ!!!」
「翔陽!お前はよくやった!よくやったぜ!」
「うわあああノヤさぁぁぁぁん!!」

パンッと弾けたように叫び出す日向に、唯一首を突っ込んだ影山は今にも泣き出しそうなひどい顔をした日向に圧倒されて早々に口を閉ざす。いつもの余計な一言でなんとかしてはくれないものか、とゆう山口の願いは呆気なく消えた。

「えっ、なに?日向どうしたの?」

息を切らして体育館に入ってきた東峰の声にぽかんとしていた菅原ははっと我に返る。どうやら東峰は日向の叫び声を聞いて慌てて走ってきたらしい。聞かれても事情を知らない菅原は首を横に振り、二人揃って山口に視線を向ける。

「失恋したらしいです」
「………失恋?」
「日向が?」
「はい」
「………え?」

一瞬耳を疑ったがどうやら本当のことのようで、体育館内の負のオーラの原因は全て日向にあるらしい。好きなものと聞かれたらバレー一択しかなさそうなバレー馬鹿一年コンビの片割れにはバレー以外に好きなもの、というか人がいたというのは二人にとってかなり衝撃的な事実であった。しかし山口の話では随分前から日向は恋心を寄せる相手がいたらしい。

「俺と同じクラスのみょうじさんって女の子なんですけど、東京遠征前に日向と影山にちょっとだけ勉強教えてくれたみたいで、そのときから日向はみょうじさんのことが好きだったんですけど」
「それで今日告白したとか?」
「今日ってゆうか、さっき」
「は?さっき!?」

山口の話はこうだった。
月島が日直であるために一人で先に部室へ着くと、そこには影山と日向がおり、着替えを終えて体育館に三人で向かっていたら偶然みょうじさんが通りかかったらしい。けれどその向かっている間の話題の中心は日向によるみょうじさん大好き話だったようで、やれここが可愛いだのなんだの語っており「あー好きって言ってみてぇなー!みょうじさんに!」のタイミングでみょうじさんが現れしまったの挙句、空気の読めない影山が「さっさと言ってみろよ」と促し、パニックになった日向は「みょうじさんが好き!!」と勢いの流れで言ってしまったのが一連の出来事らしい。
そんなの下手をしたら男子高校生のおふざけにしか見えないだろう、と菅原と東峰は顔を見合わせる。そこから先は聞かずとも想像が出来た。

「それで失恋ってわけか……」
「まぁ、仕方ないとしか言いようがないよな」
「フられたのかどうかも微妙な返事ではありましたけど……」
「え?みょうじさんなんて?」
「………"日向くんウケる"って言ってました」

うわぁ、としか言いようがなかったがさすがにそれを口に出す勇気は菅原にはない。菅原にないのだから東峰にはもっとない。状況が状況なだけに、冗談ととられたか罰ゲームととられたか。しかもしっかり笑っていたらしい。軽蔑の眼差しを向けてこないあたり、その子めちゃくちゃいい子なんじゃないか、と思えなくもない。
未だに呻き声と泣き声が混ざった声を発している日向に田中と西谷が必死にフォローを入れている。もうあの二人に任せとけば元気になるだろうと、周囲は余計なことを言わない空気になっていた。

「お疲れ様です」
「あ、ツッキーお疲れ!」

日直の仕事を終えたらしい月島が気だるげに入ってくる。そしてすぐさま日向の異変に気付いたらしく、気だるげな表情にさらに雲がかったのを見て、山口は苦笑を溢した。

「何、あのうるさいの」
「おい、やめとけよ月島。今日向になんか言うの禁止な」
「……そう言われましても」
「あっ、おい!」

菅原の制止を聞かずに月島は日向のほうへと足を進めていく。さすがに危機を感じたらしい田中と西谷が威嚇してみるも、高さ的にそれは無意味となる。捻くれている月島にとって今の日向は格好の獲物なんじゃないか。一体何をいう気なんだ。そう冷や汗をかいたのは束の間で。

「なんだよ月島……俺は今傷心中で、」
「みょうじさん呼んでるけど」
「ホワッ!?」

現在頭からバレーさえも後ろに追いやって前面に居座っているみょうじさん、という単語に表情を一転させる。先ほど自分が入ってきた場所を指差す月島は、みょうじさんがいると場所をざっくり示しているのだろう。しかし日向はおろおろと狼狽えるだけでその場を離れようとはしない。

「なに。早く行けば」
「えっ、で、でも俺、さっきみょうじさんに、ふ!フられたし!!」
「…は?どうでもいいけど、もう部活始まるんじゃない?終わるまで待たせるつもりならいいけど」
「……!す、すみません!俺ちょっと行ってきます!始まるまでには戻ってきます!!」
「お、おお、頑張れよ日向!」

田中の激励を背にして日向は体育館を飛び出す。体育館の中は嵐の前の静けさなのか、嵐の後の静けさなのか分からない静寂で包まれて、空気の読めない影山の欠伸だけが沈黙の中に流れる。とにもかくにも「な、ナイス月島」今自分に言えるのはこれだけだろうと菅原は突如現れた救世主に親指を立てる。月島には心底嫌そうな顔で「一ミリも嬉しくないです」と言われた。


何を合図にするでもなくみんなが部活の準備に入る。部長である澤村が進路関係で遅刻のため、本日のスタートは菅原仕切りだ。さて、そろそろはじめるか。集合をかけようとしたとき、小さい足音がふらりふらりと戻ってきた。

「お、おかえり日向」
「……遅くなって、すみません」

試合前、緊張に苛まれているときと同じくらいに沈んだ日向の顔はよく見えないが、声のトーンの低さから落ち込んでいることが分かる。勢いだけの(本人は真面目でも側から見たらおふざにしか見えない)告白、日向くんウケる発言、改めた呼び出し。この三拍子で日向の運命は明白だった。誰か声かけろよ。いやもうそっとしとこうぜ。烏野バレー部にはそんな空気が流れていた。

「おーどうだった翔陽!みょうじさんとは話せたか!」

西谷ぁぁぁぁ!!!お前すごいよ西谷!さすが!!男前!かっこいい!!と誰もが思った瞬間である。おそらく残念な結果であっただろうとは微塵も予想していない顔で尋ねる西谷に、日向は震えた声で応答した。

「ノヤさん……」
「おう!」
「俺………みょうじさんと付き合うことになりました」

…………?

「………は?」
「俺!!」

みょうじさんの彼氏になりました!!!

その日向の堂々たる宣言にバレー部一同は絶叫し、遅れて走ってきた澤村はビクッと肩を揺らしていた。


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