「ヨシダくん」
「おーいちご飴だ。あとで食いに行こっと」
「あの」
「瀬戸も甘いもん好きだっけ?」
「う、うん!たくさんは食べれないけど」
「そこなんか意外だよなー」
「じゃなくてだね。ヨシダくん!」
「お!からあげ発見!めっちゃうまそう!」
「わあ、ほんとだ!いいにおーい!」
「だなー!」

   だめだこりゃ。全然話を聞こうとしてくれない。ちょいちょい流される私も悪いんだけど。
   さすがに背中に回されていた手は退けられているけれど、話を切り出す隙を与えないと言わんばかりにとめどなく話題を振ってくる。テンションが上がったときにやらかしがちなマシンガントークを頭の片隅で思い出して、少し反省した。笑って許してくれる友たち、ありがとう………でもなくて!

「あのね、話を!」

「あっ、ヨシダと茅やっと帰ってきたー!」
「ほらほら早く働けーい!大盛況なんだから!」
「悪い悪い!どこ手足りてない?」
「じゃあコップ補充してほしいからー……」

   ヨシダくんバリアに阻まれ続けること数分、気がつけば出店場所の前まで来ていて、すぐさま店番をしていたマホちゃんとミオちゃんにつかまった。結局本題には一ミリだって入ってないまま。

「ほら茅も!店番!」
「ああ、うん!ごめん!」

   もやもやした気持ちを抱えて突っ立っていると、ミオちゃんに声をかけられた。持ったままだった客引き用の看板を置いてから指示通り店頭に立てば、何人かお客さんが並んでいたのですぐに忙しい時間がやってくる。おかげで難しいことを考える余裕も無く、途中で凛と宗介が来てくれたり遙と真琴くんがたこ焼きを差し入れしてくれたりして、ばたばたとお昼時のピークが過ぎていった。


↑↓


   結局ヨシダくんとは話が出来ないまま、交代の時間がやってくる。あらかじめ決めてあったシフト表ではヨシダくんも同じ空き時間のはずなのだが、交代の子たちが来るなりさっさといなくなっていた。うう、どうしよう。

"二号館の玄関前で待ってる"

   悶々とする心とは裏腹に、届いていたメッセージのおかげか足取りが軽い。着替える時間すらもったいなくて、エプロンだけ置いてそのまま来てしまった。校舎を出入りする人たちの中に、さらさらの髪の毛をすぐに見つける。

「郁ちゃん!ごめんね、待った?」
「大丈夫だよ。お疲れ」
「うん!郁ちゃんもお疲れ様!」

   お疲れ、という言葉と一緒に向けられるふんわりとした笑顔に、抱えていたものが一瞬で軽くなる。残念ながら帽子とネクタイは外されて上のシャツだけが衣装のまま残っているけれど、これはこれで可愛い。

「やっぱりこれかわいいね」
「そう?僕が選んだわけじゃないけど」
「ふふふー、かわいいー」
「………今の、服のことじゃないでしょ」
「そんなことないよ?」
「………まあいいや。お腹空いてる?」
「うん!あ、でもさっき遙と真琴くんがたこ焼き差し入れしてくれたから、それ食べちゃった」
「じゃあほかに食べたいのあったら言って」
「郁ちゃんは好きなの食べれるの?」
「お昼もまだだし。ちゃんとカロリーとかも考えるよ」
「そっかあ、えらいえらい!」
「その言い方やめて」

   彼氏である以前に、世界大会を前にした競泳選手だ。まだ一週間以上あるとはいっても、競技指導者を目指す者としては絶対アスリートの邪魔になっちゃいけない。無理させないようにしないと。それだけは忘れないよう常に頭に置きつつ、二人で屋台や展示を見て回った。(その間、郁ちゃんが作ったクレープ食べたいなぁって言って心底嫌そうな顔をされたり、水泳部のとこ行く?って聞いて冷やかされるのが嫌なのか断られたりした)
   もちろん手は繋いだりしない。構内には友達もたくさんいるし、それ以外の人目もたくさんある。でも一緒にいられるだけで楽しくて、そんなことはちっとも気にならなかった。

   途中で食べた綿飴で手がぺたぺたになってしまったので、郁ちゃんに断って校舎内にあるお手洗いに行く。合同学園祭ということで普段より学生の数が多く、さらに来客もいるとなればお手洗いは割と混んでいて、手を洗うだけでも少し時間がかかってしまった。急いで戻ると、さっきと同じように玄関前で待つ郁ちゃんを見つけた。


「桐嶋くんひとりー?」

   !!!??
   心の中で声にならない声を発する。見つけた、けど、一人じゃない。郁ちゃんの前に立っているのは二人組の綺麗なお姉さんたち。霜学の人なのか鷹大の人なのか、そもそも郁ちゃんと知り合いなのか、見た目だけでは何ひとつ分からない。いつぞやの水泳部の綺麗な先輩は遠野くんが何故か、本当に何故か嘘をついていたけれど今度は違うと本能的に感じとる。あれは本物だ。本物の"狙っている"だ。

「いや、あの、」
「ひ、ひとりじゃないです!」

   理解するのとほぼ同時。衝動的に動いた身体は、気づけば郁ちゃんの片腕を抱きしめていた。私より背が高く、私よりばっちりメイクを施されているお姉さんたちを見上げて、郁ちゃんは私の彼氏なんだと必死に目で訴える。ぎゅうう、と、腕を抱きしめる腕に力を込めた。

「すみません。彼女と一緒なので」

   彼女と、一緒なので。
   ………えっ、今郁ちゃんがそう言ったの?きょとんとしたのはお姉さんたちではなく私のほうで、むしろお姉さんたちは「そうなんだ〜残念〜」「邪魔してごめんねー」と案外あっさり去っていってくれた。

「わっ」

   安心感が込み上げて腕の力を緩めると、すぐに景色が動いた。

「えっ、あの、い、郁ちゃん?」

   いつの間にか手をつかまえられる側になっていて、その手を引いた郁ちゃんは急ぎ足でどこかへと向かっていく。名前を呼んでみても返事はなく、ただただついていくことしか出来ない。
   も、もしかして、怒らせちゃったのかな。ヨシダくんにはあんなふうに言っておきながら、いざとなったら飛び出していた。急に割って入ったし、多分郁ちゃんは自分で断ろうとしてくれてたし、少し声が大きくなっちゃったから横を通る人たちが何人か振り返っていたし、目立っていなかったといえば嘘になる、かもしれない。必死すぎてかもしれないとしか言えないけど、怒らせる心あたりなんてさっきの一連の出来事全部にあった。


「うぶっ!」

   大学図書館の方まで来てようやく郁ちゃんの足が止まる。急にぴたりと止まられたものだから、勢いそのまま郁ちゃんの肩に顔をぶつけてしまった。

「ごめん。大丈夫?」
「だ、だい、じょーぶ、」

   大丈夫だけど痛いものは痛い。いたた……とこぼしながらぶつけた鼻を抑えていると、心配そうな表情の郁ちゃんに顔を覗き込まれた。突然の距離の近さに単純な私の心臓が跳ね上がる。どきどきしてる場合か!

「あ、う、それよりごめんね、さっきの」
「さっき?」
「郁ちゃんが声かけられてるからびっくりして、郁ちゃん取られちゃやだって思ったら、わーーってなって」
「うん。分かったからストップ」
「んむ」

   物理的に言葉を紡ぐのを制止された。郁ちゃんの大きな手のひらでは鼻から顎下までなんて簡単に覆い隠されてしまう。まず手にリップが付かないか心配した。でもティントだし、ティッシュオフしてあるし、たぶん、うん、大丈夫。それからまたちょっと、どきどきした。反射的に郁ちゃんの名前を呼ぶ。声は全部フゴフゴとくぐもっていたけど。それを聞いた郁ちゃんが、っふ、と小さく吹き出した。

「ふふ、なんて言ってるか全然分かんない」
「もー!郁ちゃん、怒ってるんじゃないの!」
「怒ってないし。さっきのは茅が謝ることでもないでしょ」
「? じゃあなんで?」

   ここに連れてきたんだろう。模擬店もなければ展示もしていない、学園祭のために閉館している大学図書館。人気は少ないどころか人っ子一人いやしない。遠くのほうから賑やかな声が聞こえてくる程度だ。

「…………いろいろ」
「い、いろいろ?……ええ、むずかしい……」

   近くにあったベンチに項垂れるように座った郁ちゃんの隣に腰掛ける。植木と建物の間だから、余程人が近づいてこない限り誰かに見られることも聞こえることもないだろう。学園祭の喧騒がより遠くに感じる。郁ちゃんはというと、首の後ろに手を当てていたたまれないような、むっとしてるような難しい顔をしている。首を傾げて覗き込めば、目がぱちりと合う。でもすぐに逃げられてしまった。

「自分で言ったのが恥ずかしかったのもある、けど」
「うん」
「茅の言ってくれたやつが、嬉しかったから」
「?? 怒ってはないってこと?」
「…………嬉しかったから、二人になりたくなったじゃ、ダメなの?」

   ぽつりと小さく聞こえた声に、すごくきゅんってなった。今日の郁ちゃんはどうしちゃったんだろう。凛に対してあんなふうに言ったり、見知らぬ人(多分)に向かって彼女って公言したり。照れ屋さんどこいった。

「だっ、だめじゃ、ない」
「…………そう」

   ぶわっと熱を持った顔を横に振る。その顔は上げられなかった。心臓がとてもとても痛い。半分は嬉しくて、照れくさくて。でももう半分は、放置しているうしろめたさから来ていることに気がつかないわけがなかった。

−−すみません。彼女と一緒なので。

   郁ちゃんはきっぱりと断ってくれたのに。なんで私はずっともたもたしているんだ。郁ちゃんは、いつもそう。恋愛ごとに未熟な私に合わせて少しずつ歩み寄ってくれる。私がこんなんだからきっと、一度は友達のままでもいいなんて言わせてしまって、思わせてしまって。それでも最後は私を諦めたくないって、言ってくれたのに。

「郁ちゃん、あのね、」
「ん?」
「実は昨日、同じ学科の男の子に告白されて、しまいまして」

   意を決して発した声が少しだけ震えた。今でも言うのが正しいことなのか、自信はない。

「もしかして、さっき迎えに来た人?」
「えっ、すごい!どうして分かったの?」
「(確実に挑発されてたんだけど……)……なんとなく。それで?」
「あ、ええとね、すぐにごめんなさいって言おうとしたんだけど、一晩だけ考えてほしいって言い逃げされちゃって」

    あれ、なんか、郁ちゃん全然驚いてないな。むしろそっちがびっくりだ。そんなことを端っこで思いながらも、少しずつ話を進める私から目を逸らさずにじっと話を聞いてくれることが、ひどく私を安心させた。

「すっごく真剣に考えたんだよ。告白されたこと言ったほうがいいのかなとか、黙ってたらどう思うのかなとか、心配させちゃうかなとか、なにが正解なのか分からなくて」

   郁ちゃんの目が少し丸く開かれる。今の話のどこにびっくりしたんだろう。疑問を抱きつつも、言葉は止まらない。

「心配させるくらいなら内緒にしておこうと思ってたんだけど、郁ちゃんといたら内緒にしてるのがもやもやして、だから、」

   急に話し始めたものだから話がまとまらず、上手に切り上げられない。ええと、その、と終わりの文を組み立てようとしていると、郁ちゃんが薄く口を開いた。

「一晩考えてほしいって言われて、ずっとそれ考えてたの?」
「うん」
「電話してるときも?」
「うん。たまに、だけど」
「告白の返事じゃなくて、僕のこと考えてたってこと?」
「うん。………うん?え?そうだよ?」

   あれ?今そうゆう話してたよね?
   確認するような質問にひたすら頷いて肯定を示す。すると郁ちゃんは「あー……」と声を漏らしながらなんともいえない顔をしていた。どうゆう気持ちなのか分かなくて大人しく言葉を待つ。

「………うん、そうだね。話してくれてありがとう。そのほうが安心するから、これからもそうゆうことがあったらそうして」

   難しい顔がゆるりと緩んで、目が優しくなった。上手くまとまらなかったし、ちゃんと言いたいことが言えたのかどうかよく分からない。けど郁ちゃんがそんな顔をするから、きっとちゃんと伝わったんだろう。告白されたけど、ちゃんと断ること。私が好きなのは郁ちゃんだってこと。知らぬ間にずっと身体に張り付いていた緊張がとけて、ふにゃりと自分の表情が崩れるのがわかった。

「郁ちゃんも、なにかあったら言ってね」
「分かったよ」
「………っああでも、やっぱり言われたらもやもやするかも!」
「どっちなの」
「どっちもだよ!」

   呆れたように笑う郁ちゃんのゆるんだ顔にますます安心を覚える。もやもやが取り払われてすっきりした頭のなかに疑問がひとつ浮かび上がった。

「郁ちゃんって、私のどこが好きなの?」
「……なに?急に」
「ヨシダくんがいろいろ言ってくれたから。そういえば郁ちゃんって私のどこが好きなのかなって、気になって」
「……………いろいろってなに」

   …………もしかしたら言葉を間違えたかもしれない。さっきまでの空気が嘘みたいに、郁ちゃんの声が低くなった。ヨシダくんがいろいろ、の部分は省くべきだったかも。後悔したところで口から出てしまったものはもう取り消せない。

「え、っと………入学式から気になってたとか!」
「………」
「笑ったとこが好きとか」
「………」
「勉強熱心なとこが、好きとか……」
「………ふうん…」

   正直に覚えてるやつをいくつか並べてみたけど、郁ちゃんから漂うぴりぴりとした空気は無くならず、むしろ増した気がする。ひ、ひいい。言ったのは私じゃないけど現状を作り出したのはほかの誰でもない私だ。こんな話聞いたって絶対に楽しいわけないのに。どうにかしたいと思って頭に浮かんだのは謝罪一択だった。

「ごめ、」
「よく笑うところと、勉強……だけじゃなくて、何にでも一生懸命なところがってゆうのは、僕も同じ」

   同じって。謝罪を遮ってきた言葉に耳を傾ける。もしかして、私の質問に答えようとしてくれるのだろうか。

「…………」
「あれ?もうおしまい?」
「………おしまい」
「ええ!」
「こうゆうことなんでもかんでも口に出して言うものじゃないでしょ。茅じゃないんだから」
「悪口!」
「わざわざ言わなくたって僕のほうが、」

   ムキになったような口調だったのが、そこまで来てぴたりと止んだ。我に返ったみたいにはっとした顔をした郁ちゃんは、じわじわと頬を赤く染めていく。続きに隠れてる言葉は多分、私が一回しか聞いたことのないものだと頭が勝手に推理して、ついつい催促したくなってしまった。

「す?」
「なんでもない。っていうか、そこまで言ってない」
「えー!」

   抗議の声を上げればキッときつめに睨まれて、ふはっと笑った。だってもう十分、言葉にしてもらえなくても伝わってくる。嬉しい気持ちでお腹も胸もいっぱいだ。


「僕のほうが好き」


   たった数センチ先でそう言われて、息を呑んだ。言われた言葉が遅れて頭に入ってくる。それが嬉しかったのはもちろんだけど、そうじゃなくて、郁ちゃんが言葉を発するより先にした行動が。急に肩に手を置かれたと思ったら、くちびるが、唇同士が、触れたから。

「また今度って、言ったのは茅でしょ」
「へっ、あ、」
「ごめん。……嫌だった?」
「そっ…!そんなわけない……!」
「ふ、顔真っ赤」

   静かに笑った顔がまた近づいてきて、また触れる。さっきより、少し長めに。反射的に閉じた瞼にぎゅっと力を込めた。ただでさえ嬉しい気持ちでいっぱいいっぱいになっていた胸が、溢れて痛いくらいに脈を打つ。やわらかくて、やさしくて、熱い。ほんの数秒息を止めているだけなのに、なんだか酸欠になりそうだった。

「ひ、ひえ、まって、しんじゃう」
「死ぬわけないでしょ」
「ううー………だって、しょうがないでしょ!初めてなんだもん!」

   またくすりと笑われてしまった。顔がすごく熱い。離れたのに、唇にはまだ感触が残っている。火照る頬を両手で抑えながら、ごちゃ混ぜになった嬉しさと恥ずかしさに耐える。郁ちゃんだって知ってるでしょ、って続けて反論しようとしたところで「僕もそうだよ」と細い声が先に聞こえて留まった。えっ。

「そうなの?」
「だから、そうだって言ってるじゃん」
「なんか平然としてるような……」
「…………そうでもないけど」

   そう言われて改めて郁ちゃんを見上げた。お互いに自然と身を寄せていたせいか距離がすごく近くてびっくりしていると、同じようにびっくりしたらしい郁ちゃんがぱっと正面を向く。恥ずかしくてちらちらとしか見えてなかったけど、よく見たら耳まで赤く染まっていた。
   私は、すごく嬉しい。郁ちゃんがファーストキスの相手で、郁ちゃんのファーストキスの相手であることが。郁ちゃんは嬉しいのかどうかなんて、その赤色で聞かなくても分かる。

「でもアメリカって挨拶でちゅーしたり」
「しない」
「あれ、そうなんだ………あ、でも交際前の男女が相性を確かめるために関係を持ったり」
「その知識どこから持ってきたの?」
「ね、ネットから」
「調べたんだ?」
「しらべました」
「………文化としてはあるみたいだけど、するはずないだろ。僕日本人だし。ずっと茅のこと好、」
「へっ」

   今度こそ"す"まで聞こえてきたけど、気になったのはそれよりもちょっと前。郁ちゃん今、ずっとって、言ったような。しまった、みたいな顔を再び浮かべる郁ちゃんは逃げるように立ち上がる。

「もう戻るよ」
「まって!郁ちゃん!ワンモア!」
「もうこれ以上絶対言わない」
「郁ちゃんってそんなに前から私のこと、」
「だから言わないってば!」

   先に行こうとする郁ちゃんの背中に言葉を投げていると、再び真っ赤っかになった顔が振り向いた。その顔はもう、うんって言ってるようなものですよ郁ちゃん。つられて赤くなるよりも先に、にやけを通り越して盛大に笑ってしまって、それはそれはもう睨まれた。



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