「遙!真琴くん!」

   いつもとは反対方向の電車に乗り込んだ先に見つけた姿が嬉しくて思わず大きな声で呼んでしまった。乗り降りする人の足音や駅の到着を知らせる音に若干掻き消されはしたものの、近くにいた数人の人がこちらを振り返ったので慌てて口元を抑えながら、反対側の扉の横に立っていた二人の元へ駆け寄った。

「声でかすぎだ」

   呆れた視線を寄越してくる遙にへへっと笑って誤魔化してみせる。無意識に出てしまったものはしょうがないじゃないか。

「だって、二人と一緒に同じ学校行くなんて久しぶりだからさあ、もう嬉しくって!」
「確かにそうだね。岩鳶を卒業して、もう半年くらいになるのか」
「ねー。時の流れって速いよねー」
「………年寄りくさいな」
「失礼な!風情があるんですよ!」

   こっそりと悪態をつかれて反発すると、またもやついついボリュームが大きくなってしまった。すぐに気がついて、また口元をぱっと抑える。苦笑を浮かべる真琴くん。再び呆れた顔を見せた遙も少ししてからふっと目元を優しく下げた。
   眠れるか心配していた昨晩は、予想に反してちゃんと眠ることが出来た。おかげでいつもより早起き出来たから、普段学校に行くときよりメイクも髪の毛もばっちりだ。ドアのガラス面に映った自分を見て乱れていた前髪を直していると、ふと視線を感じた。ぱっとそちらを振り返る。視線の主は遙だった。

「あれ?なんかついてる?」
「………いや、別に」
「ほんとに?変なとこない?」
「すごく似合ってるよ。その髪の毛、自分でやったの?」
「うん!頑張って早起きしちゃった!」

   柔らかく笑って褒めてくれたのはもちろん真琴くんだ。遙の返事に妙な間があったから、おかしなところがあるのかと思って心配しちゃった。すぐに嬉しくなってへへっと笑えば「いいんじゃないか」と遙もお褒めの言葉を上乗せしてくれて、ますます嬉しくなる。

「郁弥も褒めてくれるといいね」
「エッ!?」

   ただでさえにやにやして表情筋が緩くなっているところに真琴くんが畳み掛けてきたせいで、ぽふんっと一気に顔が熱くなる。「っ、あ、う、」と言葉にならない声を続けて発すると、真琴くんはくすくすと穏やかに笑った。もう、真琴くんまで揶揄わないでほしい。ただでさえ遠野くんとか遠野くんとか遠野くんが言ってくるんだから。そう反論しようとも思ったけど、郁ちゃんにも褒めてほしいっていう期待のほうが勝って、素直に「うん」と頷いてしまった。
   二人には全日本選抜のあと、夏休みの間に会う約束をしていたのでそのときに報告済みだ。そして報告したことを郁ちゃんにも報告済みである。元々相談していた真琴くんは自分のことみたいにすごく喜んでくれていたのが記憶に新しい。
   今も変わらず真琴くんがにこにこしているので、恥ずかしくなってちらりと遙のほうへ視線を逃がす。こうゆう類の話には興味がないのか、なんともいえない表情をしていた。報告したときにも驚いた顔を少ししてから「よかったな」と微笑んでくれたくらいで、それ以上の反応は見られなかった。

「ハルのところはたこ焼きとお好み焼きとパフェだっけ?」

   表情の変化にもちろん気がつかないわけがない真琴くんがすぐさま話題を変えてくれる。ああ、と短く頷く遙の目が少しだけ輝いた。

「あとはおまけにも力を入れてる。塗装済みのたかぽんストラップだ」
「わー!かわいいー!」

   どこから取り出したのか、自慢げにたかぽんストラップを見せびらかしてくる。さっきと打って変わって真剣な目が奥のほうでキラキラしていた。でも確かにこれは……すごく完成度が高い!遙が目をキラキラさせるのにも納得がいく出来栄え。かわいい。確かにかわいい!乾いた笑い声を微かにこぼしている真琴くんを他所に、遙と同じ眼差しをたかぽんストラップに注いでいると。

「欲しいならやる」
「えっ、いいの?遙のやつがなくなっちゃうよ?」
「俺は前に凛にもらった別のたかぽんがいるから大丈夫だ」

   何故凛からたかぽんストラップを?疑問に感じていると心当たりがあるらしい真琴くんが「ああ、あのときの、」と言葉を漏らしている。ぱちくりとしている間にストラップを差し出されて反射的に両手のひらを向けた。たかぽんストラップと一緒に受け取った遙の優しさに、ぱあっと気持ちが明るくなる。

「ありがとうハルちゃん!」

   今日はとってもいい日になりそうだ!ちょっと大袈裟に考えてにぱりと笑った数秒後、ハルちゃんにはお決まりの台詞を吐かれた。


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   ノンアルコールカクテルで勝負をしている私たちの模擬店の売れ行きはありがたいことにとても好調だった。飲み物の出店は少ない上に、SNS映えもするから絶対に需要があるとプレゼンしていたクラス一番の頭脳派マホちゃんの読みが当たったようだ。
   お昼前くらいにようやく落ち着いてきたところ、エミちゃんとセットで客引きに駆り出されたため、客引き用に作った看板を持って燈鷹大学校庭を彷徨っている。

「茅、そうゆう格好も案外似合うわね」
「えへへ、エミちゃんもすっごく似合ってるよー」
「それは知ってる」

   白いバンドカラーシャツに黒いエプロン。女の子は左右で長さの違うアシメントリーの、膝より少し短いくらいの黒いタイトスカート。男の子たちは黒の綺麗めテーパードパンツという、なんちゃってバーテンダーをテーマにした衣装になっている。背の高いエミちゃんにはこうゆうかっこいい服装がよく似合う。すらりと伸びている足が本当に魅力的だ。うんうん。

「で?あんた、ヨシダとなんかあったでしょ」

   ぎくっ!そんな効果音がどこからか聞こえるほど、突然投下された爆弾に身体が強張る。何か言う前に隣から「図星か」と言い当てる言葉が聞こえてきた。

「今朝の準備のときからぎこちないなって思ってたのよね。どうせ告白でもされたんでしょ。それでもってどうせ気づいてなかったんでしょ。相変わらず鈍いわー」
「待って待ってエミちゃん鋭過ぎる」
「茅が鈍すぎんのよ。ヨシダなんかあからさまにあんたのこと好きだったし」
「えええ!うそ!」
「本当。マホもミオも多分気づいてるわよ」
「うそ!!」
「本当」

   動揺しっぱなしの私を置いてけぼりにしてエミちゃんは淡々と肯定する。うそ!!とこれ以上言うわけにもいかず、ぐっと押し黙ってしまう。

「桐嶋くんには?言ってないの?」
「う、うーん…………もし言うなら断ってから言えばいいかなって思ったんだけど、やっぱり言ったほうがいいのかなあ」
「茅がいいと思うならそれでいいんじゃない?」
「そうゆうもの?」
「そりゃそうよ。桐嶋くんのことよく分かってるのは茅なんだから」

   先ほどと同様に淡々と告げられる言葉がまっすぐに刺さった。昨日の電話のときから頭の片隅に追いやっていたうしろめたさが顔を出して、それからしゅるしゅると小さくなっていく。自分の考えを親友が肯定してくれるというのが、こんなにも心強い。

「うん!そうだよね!」
「そーそー。じゃあほら、客引きついでに会いに行っておいで」

   私もちょっとだけ彼氏の顔を見てくるわ。そう言ってニヤリと口角を上げるエミちゃんはすごく堂々としていてかっこいい。それでもってすごく可愛い。「ありがとうエミちゃん!」去っていく背中にお礼をぶつけて、エミちゃんとは逆の方向へと足を進めた。
   行き交う人を掻き分けて歩いていく足が、勝手に加速して早歩きになっていく。客引きも忘れないようにと、すれ違う人たちに看板がちゃんと見えるように持ち直しながら、行きたい場所へと急いだ。


   郁ちゃんたちが模擬店を出している場所はあらかじめ聞いている。絶対に貴澄くんセンスだと思われる可愛い水色の屋台が見えればお目当ての人物をすぐに見つけられた。と、その前に。クレープを持った二人組のお客さんが目に入った。

「凛と宗介だー!学園祭来てくれたんだね!」
「おう。茅か」
「相変わらず騒がしいな」
「凛は相変わらず失礼だなあ」

   想定外の嬉しい出会いに顔が勝手にゆるゆるとほぐれていく。二人以外のお客さんの接客がちょうど終わるタイミングだったようで、お客さんがその場を離れると三人も私の登場に気がついてくれた。

「衣装かわいいね!三人ともすごく似合ってる!」
「お、サンキュー。瀬戸も似合ってるぜ」
「いつもより大人っぽく見えるね〜」
「へへ、ありがとう椎名くん貴澄くん」

   真っ先に目についたのは郁ちゃんたちの服装だった。遙たちも学校別でお揃いのシャツを着ていたけど、可愛さでは格段に郁ちゃんたちのほうが上だ。帽子もとっても可愛い。郁ちゃん、写真撮らせてくれないかなぁ。そんな願いを込めながら郁ちゃんとぱちりと目を合わせた。

「茅は何してるの?休憩午後からじゃなかった?」
「客引きで近くまで来たから、ちょっと寄り道しにきたんだ」
「へえ、美味そうだな」
「あとで行ってみようぜ宗介」
「おう」
「やったー!待ってるね!」

   もちろんそんな願いは届かず、ほんの少し期待していたお褒めの言葉をもらえることもなかった。うん、まあ今はないか。郁ちゃんだし。顔が見れただけで十分嬉しいし!にやけるのを我慢しつつ、一人で納得しながら看板に反応してくれた宗介と凛を見る。と、必然的に視界に入ったのは二人の手にあるクレープ。甘いものが得意ではないはずなのに珍しい。………なんか、別に意味で笑っちゃいそう。

「あー………ふ、ふふふっ」
「んだよ。言いたいことがあんならハッキリ言え」
「凛ってクレープ似合わな、あいてっ!」

   堪えきれず笑ってしまった。身体つきのしっかりしている二人とのちぐはぐさが笑いのツボに刺さったんだ。何もチョップすることないのに、と頭を抑えながらジトリと凛を睨んだ。

「もー、凛がハッキリ言えって言うから素直な感想を申して差し上げたのに」
「なんで上から目線なんだよ。失礼にも程があんだろ。………ったく、一口食うか?」
「! い、」

   むっとした気持ちが差し出されたクレープであっという間に溶かされる。いいの?と迷わずにポロッと口から出そうになったのを、喉のあたりで抑えてごっくんと飲み込んだ。突然言葉を止めた私を凛は不思議そうに見下ろしている。
   頭の中で再生される、いつか郁ちゃんと遠野くんと三人でカフェに行ったときのこと。今まで遙や真琴くんとの距離感なんてちっとも気にしたことなかったし、仲の良さはこれからも変わらないとは思う。なにかと遙に対抗意識を燃やす凛に対しても、遙と同じような距離感でお互いに接してきていたから、間接キスなんて騒ぐことでも珍しいことでもない。けどそれは、今までならの話。さすがにこれからはもうだめだろう。だめというよりかは、逆の立場だったら私がいやだから、なんだけど。

「凛。彼氏の前でそれはまずいだろ」
「………………は?」

   思いとどまった理由を頭のなかで並べていると、現状を察してくれたのは宗介だった。意味が分からないという顔を浮かべる凛に説明しようと口を開こうとすると。

「………僕のことだけど。なに?なんか文句ある?」

   テーブルの真ん中に座っていたはずの郁ちゃんが、いつの間にかこちら側に来て私と凛の間に立っていた。むすりとした顔で、ぴりぴりとした空気を纏って。意外な行動に目を見張っていると、凛が口がぽかんと力なく開く。

「はっ……………はああああっ!!?」
「あはははっ!凛ってばリアクションいいなあ」

   大きな反応を見せる凛を見てケラケラと貴澄くんが笑いだした。それを見て凛はさらに信じられないという顔を深めていく。

「おまっ、いつの間に………っていうか、宗介はなんで知ってんだよ」
「この前偶然茅と駅で会って、デートの帰りだって聞いた」
「わああ宗介!そっ、そんなことまで言わなくていいよ!」

   あわあわと慌てて口止めしてみるも、時すでに遅し。郁ちゃんに宗介と話した内容までは言っていなかったから。なんだか惚気てたみたいで、はずかしい。狼狽える私を見て信憑性を高めたらしい凛は「マジのやつじゃねえか……」と呟いている。
   ついでに視界の端で貴澄くんが「デートしてたんだって〜」と椎名くんにコソコソと噂話をするように耳打ちしているのが聞こえてきた。意地悪な顔がちらちらとこっちを見ている。絶対わざとだ。丸聞こえですよ!そう注意しようとした声は、凛から刺さる視線に遮られる。

「いつからそんなことになったんだよ」
「ええと、全日本選抜の、」
「だから言わなくていいってば。凛には特に」
「なんだよ郁弥。照れてんのか?」
「別にそんなんじゃないから」

   一度郁ちゃんに視線をやった凛がにやりと口角を上げた。なんだか悪巧みをしているような、悪意のある笑顔を浮かべている気がする。

「彼女になった記念にいいもん見せてやろうか」
「いいもん?」
「ああ。夏也さんからもらった郁弥のとってきおきの写真、」
「は!?ちょっと、勝手なことしないでくれる!?」

   突然郁ちゃんが声を張り上げたことで、びっくりして肩が跳ねた。ジリジリと睨みあう二人からはなんだか不穏な空気が漂ってくる。

「消せって言ったじゃん!さっきの勝負僕が勝ったんだけど!」
「今日消すなんて一言も言ってねえだろ」
「なにその屁理屈。じゃあ僕も茅にあの写真見せていいんだ?」
「ハッ!茅にはもう直に見られてっから痛くもなんともねえよ、俺はな!」

「あーあ、また始まったよアイツら」
「二人はなんの話してるの?」
「おもしろい話だよ〜」

   呆れ顔の椎名くんと、変わらずのほほんとしている貴澄くん。二人の様子からしても郁ちゃんと凛のあれは第二ラウンドか、それ以上なんだろう。喧嘩するほどなんとやら。ほくほくとした気持ちで言い争う二人を見守っていると、宗介に顔を覗かれる。

「いいのか?郁弥に会いに来たんだろ」
「ふふ、いいんだよ。だって郁ちゃん、すごく楽しそうだもん」
「……まあ、見方によってはそうかもな」

   静かな優しさにつられて落ち着いて言葉を返す。大きな大会を前にしてあれだけお互いに噛み付く元気と余裕があるなんて、いい傾向である。宗介も似たような思いがあるのか、凛に移っていく視線は穏やかなものだった。


「おーい!瀬戸!」
「! わ、およ、よ、ヨシダくんっ、」

   和やかな雰囲気に居心地の良さを感じているのも束の間。行き交う人の中から呼ばれる声とその人物に、ついつい身体がかたくなった。当のヨシダくん本人はというと、周りにいる宗介や未だに言い争っている凛と郁ちゃんのことは全く気にしない様子で駆け寄ってくる。

「ヨシダくん、えっと、どうしたの?」
「戻ってきてって電話しても出ないからさ。探しにきたんだよ」
「えっ、あ、スマホ!置いてきちゃった!わざわざごめんね」
「全然いいって。俺が瀬戸のこと探したかっただけだし!」
「ほえあ」

   変な声が出てしまった。一昨日までの私なら、向けられる濁りのない笑顔も、なんの躊躇いも含まずに飛んできた言葉も多分気にとめなかった。周りにみんないるのに、ヨシダくんすごいな。他人事みたいに感心していると、流れるように回された手にぐっと背中を押された。

「瀬戸。行こうぜ」
「あ、う、うん!凛、宗介、よかったらあとで来てね!」
「おう」

   急かされるままに歩きはじめて、近くにいた宗介の返事を聞くのを最後にその場を離れていく。最後にちらっと見えた郁ちゃんは凛とのやり取りを止めていた。こっちに向けていた驚いた顔が、小さくなったうしろめたさを余計に大きくさせた。



「郁弥、いいのかよ。あれ」
「……………」



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