「準備してるとあっという間だよなー」
「ねー!楽しみ!」

   いよいよ明日は合同学園祭の日。何度か足を運んだ燈鷹大学は最後の準備に取り掛かる学生たちで溢れている。ヨシダくんと二人、消耗品が保管されていた教室からダンボールを持って外へ向かっていると、前方に見知った後ろ姿を発見した。

「おーい遠野くん!お疲れ様!」
「お疲れ、瀬戸さん。それ持とうか?」
「ありがとう。でも軽いから平気だよー」

   飲み物でも買いに行っていたのか、手には真新しいペットボトルを手にしている。学園祭前日で通常の部活は休みだと聞いているし、きっと準備のために燈鷹に来ているんだろう。聞けばちょうど外に戻るところらしい。私たちの出店場所は水泳部の隣の隣だから、行き先は同じなはずだ。一緒に行こうと提案しようとしていると。

「俺、瀬戸と同じ学科のヨシダ。水泳部の遠野だよな、確か!背泳ぎの!」
「そうだけど、よく知ってるね」
「全日本に出た選手の顔くらい覚えてるって。よろしくな!」

   物怖じするような様子を一切見せず、人懐っこい笑顔で挨拶をするヨシダくん。遠野くんも悪い印象は受けなかったのか穏やかなトーンで「よろしくね」と返して、三人で並んで歩くことを許してくれたようだ。さすがクラスのムードメーカー。ふんふんと感心して頷いていると、明るい様子を絶やさず「水泳部といえばさぁ」とヨシダくんが続けた。

「桐嶋だっけ?瀬戸の彼氏」
「へっ、あ、う、うん!」

   郁ちゃんの話題を急に振られて、頬がぽふんと火照った。明らかに動揺の混ざった返事をしてしまったからか、遠野くんが隣で肩を震わせて笑っている。
   だって、しょうがないじゃないか。練習予定が詰まっている郁ちゃんとは、ここ一週間くらいメッセージをやり取りが一日に何通かあるだけで会ってないうえに、最後に会ったのはあの日なんだから。今でも思い出すだけでほっぺたがじわじわ熱くなる。
   ヨシダくんにはエミちゃんたちと話しているのを聞かれたのか、郁ちゃんが名の知れた選手だからなのか、一緒にいるところを見られたのか。いつどこで郁ちゃんとのことを知られたのは分からないけれど、霜学の中では知っている人が複数名いるのでそれついては特別驚きはしなかった。

「すげえイケメンだよなー」
「でしょー?すっごくかわいいんだあ」
「そこ可愛いなんだ?」
「かわいくて!かっこいいんですよ!」
「ははっ、なんだそれ。てゆうか誰が見ても美形だし、日本代表だし、瀬戸も大変じゃない?」
「え?大変?」

   てっきりエミちゃんや、クラスの仲良しであるマホちゃんミオちゃん(入学式で仲良くなった友達)、それから隣にいる遠野くんみたいに揶揄われるかと思ったのに、そんなことを言われるなんて。

「ほかの女子だってほっとかないしさ。練習忙しくて会う時間も少ないんだろ?」
「うーん……確かに忙しくて、しばらく会えてないけど」
「だろ?なんか、はらはらしそう」
「はらはら?」
「寂しいとか心配とか、不安で疲れちゃいそうってこと」

   ………しんぱい?郁ちゃんの?
   なんとなく遠野くんに視線をやってみると、なんだか少し難しい顔をしている。ヨシダくんの言葉の意図と、遠野くんの表情の理由は分からない。分からないけれど。

「そうゆう心配はしないなあ」
「えーマジ?」
「うん。だって外見とか有名だとか、そうゆうので郁ちゃんのこと見てる女の子に負けないから!」

   郁ちゃんのこと取られたら嫌だなぁって気持ちに変わりはないけど、常にそんなことを考えてるわけじゃない。会えないのだってそりゃあ寂しいけど、郁ちゃんが頑張ってるから頑張ろうって思えるし。彼がどれだけ優しくて、努力家で、不器用で、恥ずかしがり屋で、かっこよくて、かわいいかなんて。見た目や成績からでは汲み取りきれない。私のほうが知っているなんて自慢する気はない。でも自信にするには十分だ。
   にやりと口元を緩めてヨシダくんを見上げると、驚いた顔をしてから少し気まずそうに目を逸らされてしまった。

「……あーあ、失敗失敗」
「え?なにが?」
「こっちの話。……っと、ごめん、電話来たから先行ってて」

   真意を確かめる間もなく、歩いていた廊下の端に寄ったヨシダくんはダンボールを持ったまま器用に片手でスマホを取り出して電話に応答しはじめたので、お言葉に甘えて先に行くことにした。
   失敗って、なにが失敗なんだろう?疑問に思っているとしばらく黙ったままだった遠野くんのが突然くすくすと笑いはじめた。

「"親友の彼女"が頼もしくて安心したよ」

   ヨシダくんの話がただでさえ分からないままなのに、遠野くんも唐突に言葉を溢すものだから、ますます頭にははてなマークが浮かんだ。ええと、ええと?とりあえず。

「"親友兼彼女"ですけどお」
「ダメ。うちは副業禁止だから」
「あははっ、なあに副業って」
「前にも言ったでしょ。郁弥の"親友は"譲ってあげないって」
「そういえば言ってたね。………ん?」
「ん?」
「それって"親友の彼女"なら認めてあげるよーみたいな意味だったの?」
「さあ。どうだろうね」

   相変わらず穏やかに笑ったままの遠野くん。曖昧にされた答えがもしもイエスだとして、郁ちゃんが私のことを好きだって遠野くんが当時知ってたのだとしたら。郁ちゃんは一体いつから私を想っていてくれたんだろう?
   思いがけない収穫に胸がきゅうきゅうと切なくなる。そんなこと考えたら、余計に会いたくなっちゃうよ。気持ちを隠すように視線を落として、歩くたびに揺れるダンボールをただただ見つめた。

「多分、はらはらするのは郁弥のほうだと思うよ」
「へ?どうゆうこと、っ、わ!」
「! っ瀬戸さん!」

   遠野くんを見上げたのと差し掛かった階段から足が滑ったのはほぼ同時。ダンボールが手から滑り落ちて身体が傾く数秒の間、強い痛みを覚悟して目をぎゅうっと閉じた。


「………?」
「茅、大丈夫か」

   ダンボールが落ちた音が階段に響く。そのあと落ちたはずの身体に痛みはやって来なくて、その代わりに背後からお腹と肩に腕が巻かれている。かけられた声には聞き覚えしかなかった。目を開けて振り返れば青い瞳と目が合う。

「わあ!遙!」
「はあ………余所見しながら歩くな。危ないだろ」
「う、うん。ごめんね。ありがとう!」
「中身は特に問題なさそうだよ」
「うわわ、遠野くんもありがとう」

   声だけでは分かりにくいけど、遙の顔には焦りが滲んでいる。崩れた身体を持ち直すと、ゼロ距離になった遙の身体はすぐに離された。踊り場に落下したダンボールを拾い上げてくれた遠野くんにもお礼を言う。幸いにも中身が広がることは無かったし、中を確認してみるが特に問題はなさそうで、ほっと安堵の息をついた。

「七瀬くんはどうしてここに?今日代表練習のはずだよね?」
「燈鷹のコーチに呼ばれて来たんだ。練習はもう終わった」

   遙曰く、用事が済んで帰ろうとしているところに私と遠野くんが話しているのを見つけたらしい。声をかけようとしたところで私が目の前で足を滑らせたものだから、なんとか間一髪で腕が届いたんだとか。
   隣を歩く遠野くんも手を差し伸べようとしてくれていたのが一瞬視界に映ったけれど、もしかしたら一緒に転がり落ちて軽くじゃ済まない怪我をさせていたかもしれない。そう思うと遙が偶然通ってくれて本当によかった。改めて反省と安心をしていると。

「……お?」

   受け取ったばかりのダンボールが再び手を離れていく。空っぽになった腕と攫われたダンボールを交互に目で追いかけると、それは数段先を降りていく遙の腕の中にあった。

「どこまで運ぶんだ」
「待って、ハルちゃんいいよ!軽いし、自分で持てるよ」
「お前に怪我されたらこっちが困る」
「は、ハルちゃんっ……!」
「あとちゃん付けで呼ぶな」
「アッ、ウン、ゴメンネ」

   感極まった声で呼んでみたけど、空気を読まない遙にばっさりと切り捨てられる。そのまま止まることなくスタスタと降りていってしまう遙を追いかけようと、足を一歩降ろしたとき「……−−−−」隣にいた遠野くんから微かに声が聞こえた気がして足を止めた。

「へ?遠野くん、今なにか言った?」
「ううん、なんでも。ほら、七瀬くん行っちゃうよ?」
「あ、うん!じゃあまた!」

   どうやら気がしただけだったらしい。立ち止まっている間に遙の姿はもう見えなくなっていて、手を振りながら慌てて駆け降りる。今度は足を滑らせないように。
   最後にちらっと見えた遠野くんが手を小さく振り返して、口を開いていたような気がするけど、言葉を発していたかどうかまでは分からなかった。


「………応援団長との兼業も、やめたほうがいいと思うけどな」


- ナノ -