合同学園祭の日が近づくにつれて、燈鷹大学に来ることも増えていた。今日の分の準備を終えて、メッセージで聞いていた教室へと足を運ぶ。入り口からひょっこり顔を覗かせて三人が座っていることを確認すれば、その中にお目当ての人物の後ろ髪が見えた。

「あれ?茅だ」

   はじめに気づいてくれたのは貴澄くん。その声に反応した椎名くんと郁ちゃんもこちらを向いたのを確認してから、教室の中へと入って郁ちゃんの隣に立つ。机には作りかけのメニュー表やポップが広がっていた。

「瀬戸も今日燈鷹来てたんだな」
「うん!郁ちゃん、もうすぐ終わりそう?」
「まだ少しかかりそう。そっちはもう終わったの?」
「ばっちり!」

   ふふん、と自慢げに頷いてみせるがもちろん私ひとりの力ではない。そのことを知っている郁ちゃんには「人数多いからでしょ」と正論をぶつけられてしまった。おっしゃるとおりです。

「なにか手伝う?」
「そこまでじゃないから平気。ここで待っててもいいけど」
「うーん、でもお邪魔になりそうだからなあ」
「お。二人でどっかいくのか?」

   ここにいたらきっとおしゃべりに夢中になってしまう。そうしたら必然的に帰りも遅くなるし、郁ちゃんと過ごせる時間は多いわけじゃないし、それだけは避けたい。そう思っているのに椎名くんの質問についつい口が開いてしまう。

「おいしいもの食べに行くんだよ」
「うわ、ずりい」
「えへへ、いいでしょー?」
「何食うんだ?」
「旭には教えない」
「いやなんでだよ!」
「いいから手動かしてよ」

   案の定おしゃべりに花が咲いてしまった。椎名くんに向けられた郁ちゃんの言葉に反省していると、ふと気がついた。

「? なあに?」

   貴澄くん、と。にこにこしながらこちらを見守るような視線を寄越している人物の名前を呼ぶ。やけに静かだと思ったら。すると郁ちゃんと椎名くんも意味ありげな視線に気がついたようで、貴澄くんが注目をあつめる。

「いやー、そうやって並んでるの見ると、郁弥と茅ってお似合いだなあと思ってさ」
「へ」
「あー……そうか?中学のとき散々見てんだろ」
「それもそうだけど。どうせなら付き合っちゃえばいいのにねえ」

   なーんちゃって。あはははっ!
   冗談めかして明るく笑う貴澄くんの言葉にぴくりと身体が先に反応する。目の前がきらきらと輝いて見えた。

「ほ、ほんとに!?」
「え?」
「本当にお似合いに見える?」
「お、おう……?」
「うんうん見える見える〜」
「わー!ふふ、やったあ!」

   肯定の言葉を期待して前屈みになると、椎名くんは不思議そうな顔をしながら、貴澄くんは変わらずゆるゆると笑いながら欲しい言葉をくれた。うれしくてうれしくて、顔がにやけてしまう。力が抜けて、ゆっくりとしゃがみこむ。

「お似合いだって。うれしいね」

   自分たちのことを知っている人にそう言われるのはすごく嬉しい。だらしなくにやける顔をそのままにして隣にいる郁ちゃんを見上げる。すぐにぷいっと反対を向いてしまったけれど、こちらから見える耳がほんの少し赤くなっているのバレバレで、にやけがさらに増すだけだった。

「は?え?待てよ、なんか違くね?主に瀬戸の反応が」

   そこで不思議そうにしていた椎名くんがさらに頭に疑問符をいっぱい浮かべて尋ねてきた。違くねとは。私もつられるみたいに頭に疑問符が浮かべていると、貴澄くんが「あっ」と声をこぼす。

「もしかして二人って、もう付き合ってたりする?」
「…………そうだけど」

   郁ちゃんがようやく口を開いてはっと気がついた。さっきの会話の流れ的に椎名くんと貴澄くんは知らなかったのか。というか私は言ってないし、郁ちゃんは進んで自分から言うようなタイプじゃない。知らなくてもちっとも不思議ではない。遠野くんが知っていたからてっきり二人も知っているとばかり思っていた。

「はぁ!?マジで!マジで!?マジか……!」
「あははっ、旭、語彙力語彙力」
「んだよ貴澄、お前もしかして知ってたのか!?」
「ううん。僕も初知りだよ」
「なんでそんな平然としてんだよ!」
「えー、そうかな。これでも結構驚いてるよ?」
「は?え?待てよ、いつからだ?」
「ええと……全日本の少しあとくらい?」
「じゃあもう一ヶ月以上経ってるんだね〜いいな〜」
「……茅、律儀に答えなくていいから」
「ってゆうかなんで言ってくれねえんだよ郁弥!俺たち何回か会ってるだろ」
「こんなことわざわざ言うわけないでしょ、馬鹿旭」
「馬鹿は余計だろ!しかもそうゆうことはわざわざ言えよ!」

   賑やかになる二人の姿は、まるで中学のときみたいだ。さっきとは別の意味でくすくす笑ってその光景を見守っていると、目の前の机をトントンと小さく叩かれる。顔を上げた先には正面の貴澄くんがにっこりと優しい笑みを浮かべていた。

「本当にお似合いだよ、二人」

   こそりと耳打ちされた言葉にあったかくなった頬が上がり、口元が綻んでいく。

「ありがとう貴澄くん」

   遙とのことを知っている貴澄くんに言われるとなんだか心強さみたいなものを感じる。そう思ってへらりと笑った。


「おっ、瀬戸!みつけた!」
「ん?」

   とても居心地がいいけど、そろそろお邪魔にならないように移動しなきゃ。そう思ったタイミングで大きめの声に名前を呼ばれて振り返る。入り口のところに立っていたのは同じ学科のヨシダくんで、そちらへ歩み寄るとヨシダくんも同じように距離を詰めてくれた。彼はクラスではムードメーカー的な存在で、今回の模擬店でも代表を務めてくれている。

「ヨシダくん、どうしたの?」
「あれ?さっきメッセージ送ったんだけど、見てなかった?」
「わ、ほんとだ!ごめんね、見てないや」
「ははっ、だと思った。みんなで飯行こうって送ったんだけど、瀬戸も行こうぜ」

   ヨシダくんに確認したメッセージと同じ内容のセリフを言われて、今度は私があれ?と首を傾げる番だった。確かにみんなでご飯行こうって話が出てるってエミちゃんに誘われていたけど、郁ちゃんと約束があるからって断っていたはずだった。もしかしたらヨシダくんまで伝わっていなかったのかもしれない。

「今日は約束があっていけないんだ」
「あ、そうなんだ?」
「わざわざ来てくれたのにごめんね」
「んー、別にそれはいいんだけど……残念。瀬戸がいたら絶対楽しいのになあ」
「あはは、ヨシダくんがいれば十分盛り上がるよー」
「俺の気持ちは誰が盛り上げんだよー。じゃあ次回は来いよ!なっ!」
「うん!わかった!」

   さすがヨシダくん。会話のテンポが良い。ムードメーカーなだけある。そんな感心を抱いていると、さっきまでにこやかに話していたヨシダくんが一瞬真面目な顔をして、視線を私の後ろにやっていた。

「じゃあまたな!」

   なんだろうと疑問に思ったときにはいつもの明るい顔に戻っていて、颯爽と走り去っていってしまった。手を振ってくれたので、手を振り返してから郁ちゃんたちに向き直る。

「じゃあ郁ちゃん、終わるまでどこかで待ってるね」
「…………」
「郁ちゃん?」
「あ、ごめん。なに?」

   話を聞いていなかったらしい郁ちゃんにきょとんとしてしまう。なんだかぴりぴり、しているような。どうしたんだろうと思いながらも「終わるまで待ってるね」ともう一度言い直せば、分かったと頷いた郁ちゃんはもういつもどおりで特に気にはならなかった。

↑↓


   ……もう、家についちゃうなあ。
   暗い道の中でアパートの屋根を見つけてぼんやりと考えた。郁ちゃんといるときは、駅から家までの徒歩数分がもっと長ければいいのになぁってどうしても思っちゃう。バイトの帰りとかはさっさと歩くのに。合同学園祭の準備に加えてシドニー大会を控えて忙しい郁ちゃんとの時間というのは、家まで送ってくれるこの道がほとんどで、この前や今日みたいにご飯に行けるのはすごく貴重だ。忙しいのに時間を割いてくれている郁ちゃんは、本当にやさしい。
   そんなことを思っている間にアパートの下に着いてしまった。

「郁ちゃん、送ってくれてありがとね」

    つないでいた手にぎゅうっと力を込めて、へへっと笑った。人通りが少なく、目立たないこの時間であれば名前を呼んで手を繋いでもらう。ちなみに郁ちゃんから握ってもらったことは付き合う前のあれ以来一度もない。私からお願いするのが恒例のみたいなものになっているせいもあるかもしれないけれど。
   でも別にいいんだ。郁ちゃんが照れ屋さんで、そこがまた可愛いことくらい十分知っている。勝手に内心で可愛がってにやけていたら、遅れて手を握り返された。そういえば、いつもならここでじゃあまたねって帰るのに、郁ちゃんはまだ何も言わない。

「………茅、ちょっといい?」
「うん?、わっ」

   首を傾げて曖昧に頷くとすぐに手を引かれた。びっくりして声を漏らすけれど、郁ちゃんは振り向かない。

   大人しくついていって、立ち止まったのは数歩歩いた先の、街灯の光が差してない、知らないお宅の塀の影になっているところ。見える範囲に人はいないし、人の気配もない。ようやく振り返った郁ちゃんの大きな瞳をぱちぱちしながら見上げていると、するりと離れた手と空いていたほうの手が背中に回って、ぎゅうっと抱きしめられた。

「っえ、あ、い、いい郁ちゃんっ??」

   状況を飲み込む前に口からぼろぼろと動揺の声が漏れる。名前を呼ぶともっと力が込められて、痛くはないけど強いとは思った。

「ごめん、少しだけ」

   俯きがちになっている郁ちゃんの声が耳のすぐそばで聞こえてどきりと心臓が跳び上がる。こくこくと頷くのに精一杯になっているとふふっと笑い声が降ってきた。もう。どうしてこんなときばっかり、余裕なんだ。それに全然、ごめんとか言わなくていいのに。
   いっぱいいっぱいになりながらも、郁ちゃんの背中に手を回して洋服をきゅっと握った。胸元に耳を寄せれば、通常より速いであろう音が聞こえてくる。なんだ、郁ちゃんだって、どきどきしてるじゃんか。

「はやいね」
「………言わなくていいから」
「へへ」

   自覚はあったらしい。絶対郁ちゃん、今真っ赤だろうなぁ。嬉しくなって腕にもっと力を込める。頬を胸元にすりすりと優しく擦ると、郁ちゃんの腕が緩んだ。

「茅、顔上げて」
「………?」

   言われたとおりに顔を上げれば、頬に郁ちゃんの手が触れる。さっき繋いでいたから、その手はぬくい。見上げた大きな瞳は暗い夜道の中にある光を集めてきらきらと輝いていた。
   あ、見たことのない顔をする、郁ちゃんだ。気がついたときにはゆっくりとその顔が近づいてくる。もしかして、ちゅう、するのかな。混乱しはじめる頭の中にどこか冷静な自分がいた。すり、と鼻と鼻が触れ合って、かかってしまいそうな吐息を飲み込む。思わず目をぎゅっと閉じた。

「…………」
「…………」

   途端、スマホの震える音が静寂を破った。無意識に目を開けて、どちらからともなく身体を離す。

「……………兄貴」

   い、今、もし、スマホが鳴らなかったら。ばくばくと暴れる心臓にパニックを起こしそうな私とはうってかわり、郁ちゃんはポケットから取り出したスマホを睨みつける。こちらに背中を向けて「なに?」と渋々といった様子で電話を取った。相手が夏也先輩だということはさっきの呟きで分かる。その声はちょっぴり怒りを含んでいた。

「………は?それ、なんで今………いや、別になんかしてたわけじゃなくて…………っああもう、あとでかけ直すから!」

   ちょっぴりじゃないかもしれない。語気が強くなる背中をはらはらして見守っていると、通話を終えたらしい郁ちゃんが雑にポケットにスマホを戻して、盛大に、それはもう盛大に溜め息を吐いた。

「…………」
「…………」
「…………」

   …………しばしの、沈黙が流れる。どうしよう、少し気まずい空気だ。とりあえずなにか、なにか言わなきゃと口を開いた。

「い、郁ちゃん、」
「………ごめん。今日はもう帰る」

   聞こえてきた声は拗ねたような、いたたまれないような声に色を変えていて、さすがにふふっと笑ってしまった。振り向いた郁ちゃんにじとりとした視線を向けられる。

「また今度、してほしい、な」

   恥ずかしくてへらりと笑うと、ふわりと額になにかが触れた。………あれ?なんか前にもこんなことが、あったような。そんな錯覚も"なにか"がなんなのか分かって顔が真っ赤になったせいで、すぐに頭の隅に追いやられてしまう。今度は郁ちゃんがくすりと笑った。

「…………また今度ね」


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