himawari episode.09


「やあ、そこのリア充二人組」

   バス停で会ったエミちゃんと二人で歩いていると中庭で何故か仁王立ちをしているミオちゃんが待ち受けていた。隣にいるマホちゃんは半分にこにこ、半分呆れながらその光景を後ろから眺めている。

「朝から何なのよ」
「もうすぐバレンタインだぞこら。素敵な彼氏様たちに君たちは手作りのチョコをあげるんでしょうこら」
「どうゆう絡み方なの」
「だってさあ……!エミぃぃぃ……!!」

   最近いい感じだった他大学の人が実は彼女持ちだったと愚痴を数日前に学食で聞いて以来ミオちゃんは少し荒れている。ミオちゃんがそんな人とお付き合いしなくてよかったけどなあ、と素直な感想を述べればミオちゃんは涙ぐみながら「茅!好き!!」と熱烈にハグをしてくれたことはまだまだ記憶に刻まれたばかり。
   ピリピリしていたかと思えば何度目かの愚痴をこぼしはじめるミオちゃんと、呆れた様子を全開にしながらも聞き手に回るエミちゃん。ぼんやりと二人を見ていたらにやにや顔のマホちゃんがこちらへひょこりと顔を覗かせた。

「茅はバレンタインどうするのー?」
「……へへ、忘れちゃってた」
「は!?初彼との記念すべきバレンタイン一回目を忘れるなよ……!!」
「まーまー。茅、最近忙しそうだし無理もないって」
「そうよ。その前にテストもあるんだからね」
「うわ!そうじゃん!」

   エミちゃんと話していたはずのミオちゃんから一瞬矛先が向く。マホちゃんは庇ってくれたけど言い返す言葉もない。やばい、本当に頭の片隅にもなかった。
   バレンタインまであと何日かと指折り数えてみる。その間にはテストとバイトと陸上チームのアシスタント………大丈夫大丈夫。なんとかなる。お菓子作りは正直あんまり得意じゃないけど、なんとかなる。これくらいが、今はいい。

「桐嶋くんにあげるんでしょう?」
「うん!何にしようかなあ」
「手作り?一人で大丈夫そう?」
「だっ………いじょうぶじゃなかったら相談するね!」
「ふふ、はいはい。茅はあと七瀬くんと橘くんにも毎年あげてたわよね」

   今年もあげるの?とエミちゃんが何気なく尋ねてくる。毎年あげてるありがとうの気持ち。高校が違ってもエミちゃんはそのことを知っていて、聞かれることは変でもなんでもなかった。

「うん」

   なのに、痛い。ちくんと痛んだその場所が、もやりと渦をまいた場所が、お腹なのか胸なのか、どこなのかはよく分からない。


↑↓


   賑やかな学食。昼食を済ませて図書館へ行くからと先にテーブルを立った。トレーを返却して食堂棟をあとにしようとしたところで郁ちゃんと遠野くんが座っているのを見つける。テーブルに鞄しか置いていないところからして既に昼食を済ませているんだろう。迷わずに駆け寄って声をかけると。

「へ?勉強会?」

   まさかのお誘いに首を傾げながら聞き返す。そのお誘いというのは郁ちゃんと遠野くん、貴澄くんと椎名くんが今度まろんで勉強会をするから来ないかというもの。四人が遊びに行ったりご飯に行ったりしてるのは知ってるけど招待を受けるなんて思ってもみなかった。

「旭が勉強見てほしいんだって」
「そうゆうことかあ!空いてたら全然いいよー!……って、私でいいの?郁ちゃんたちがいれば十分じゃない?あとはほら、夏也先輩とか」
「兄貴はないでしょ」
「夏也くんはちょっと難しいんじゃないかな」
「あ、そうなんだ………?」

   悪いことを提案したかもしれない。深くは聞かないほうがいいかもしれない。気にしないように努めながら郁ちゃんの隣の席へ腰をかける。そこでふと、あれ?と思った。

「それにしても意外だよね。瀬戸さんが勉強得意なんて」
「遠野くん失礼通り越して喧嘩売ってるよ」
「そこは僕もびっくりした」
「郁ちゃんまで!」

   がーん!と頭の中で効果音が鳴る。でも無理はないだろう。私が勉強を頑張るようになったのは怪我をしたあとからで、郁ちゃんが知っている私の勉強能力といえば椎名くんよりちょっと上くらい。赤点はなんとかまぬがれる程度の位置を保っていた。テスト期間にしか勉強はしなかったし、普段勉強してないから急にテスト期間に入っても効率のいい勉強方法もよく分からなかったし。
   出来るだけ毎日勉強時間を確保したり、時間が取れなかった日の分は他の日に取り組むよう調整したりしている今となっては考えられない。人って成長するんだよ遠野くん!

「じゃあ椎名くんには僕が連絡しておくよ。あとは二人でごゆっくり」

   私の心の中の訴えなんぞ露知らない遠野くんは席を立つなりさっさとその場を去っていった。なんだろう、逃げられた感。でも多分それだけじゃなくて、私がちょっと前から気になっていたことに遠野くんも気がついたんだと思う。ちら、と横目で隣の様子を伺って確認した。やっぱり郁ちゃん、ちょっとむってしてる。

「郁ちゃん、本当は断ってほしかった?」
「そうゆうわけじゃないよ」

   ぴしゃりと返事が返ってくる。そうゆうわけじゃないならどうゆうわけでそんな顔をしているんだろう。自然と疑問に思って口を開いて、閉じる。いつもはここでもう少し理由を詰めるのに何故か言葉に出来ずにごくんと飲み込んだ。どうしてか、足のあたりがずっしりと重たい。

「………そっかあ」

   それならいいんだ、と続けてへらりと笑って頷けば、郁ちゃんの目が少しだけ丸くなった。何に驚いたんだろう。また疑問に感じて、でも何も言えないままその表情を見上げていると薄く唇が開いたのが見えた。

「………茅が最近忙しそうだから、休めるときがあるなら休んでほしかったってだけ」

   がやがやと賑やかな食堂の中で郁ちゃんの静かな声がしっかり聞こえた。隣に座ってるからよく聞こえるのは当たり前なのに、控えめに、照れくさそうに言うその声が私の足元をふわっと軽くした。えへへ、と笑ってしまった口元もさっきよりも柔らかく感じる。

「大丈夫だよ。一人でいてもどうせ勉強に時間使っちゃうから」
「そんな気してた」

   郁ちゃんが呆れたようにふっと笑うと、座ってからずっと膝の上に置いたままになっている手に何かが触れた。へっ、と声を漏らしながら視線を落とす。伸びてきていたのは郁ちゃんの手のひらで、指先に控えめに触れていたその手はそっと私の手のひらを攫っていった。

「い、郁ちゃん、最近心配性だね?」
「うん。そうかも」
「へ?そ、そうなの………?」
「そうかもね」

   また郁ちゃんが小さく笑う。それと同時に机の下で握られている手に力が込められて、ぶわっと効果音がついてしまいそうなくらい顔が熱くなる。
   あれ?おかしいな?え?ここ学食だよね?郁ちゃんは世界大会にも出場するような選手で、学校の中では特に知らない人は少ないだろうし、郁ちゃんが私と付き合ってることに気づいてる人だってきっといっぱいいる。ただでさえ目立つのに、こんな人がたくさんいるところで手を握っていると知られたら余計に目立ってしまう。机の下だし、背もたれとかで見えないかもしれないけれども。冷やかされたり茶化されたり、郁ちゃんにそんなことをする人はいないのかもしれないけど、そうゆうことを得意としないはずなのに、え?うん?あれ??

「あ、あ、え、あの、郁ちゃん?」
「ん?」
「てっ、手は、その、ええと、」
「………どうせ見えないし、いいでしょ」 

   巡りが良くなりすぎた血流のせいで頭の中までぐるぐるしてきた。若干パニックを起こしながら聞けばゆっくりと名残り惜しむように手が離れていく。いいでしょ?いやいいけど、いや良くないけど。え?郁ちゃんそんな子だった??

「そろそろ行こっか」
「うん。…………うん?どこに?」
「図書館。行く途中だったんでしょ」
「え、一緒に来てくれるの?」
「……そうだけど、なに。だめなの?」

   席を立った郁ちゃんが鞄を肩にかける。念のために確認で尋ねれば不満げに顔をしかめられた。ふにゃふにゃの弧を描いた口で嬉しいよ、と言いながら立ち上がる。隣を並んで歩きはじめると軽くなっていたのが足元だけじゃないことに気がつく。せめて、ここにいるときはちゃんと、笑っていたい。


- ナノ -