himawari episode.05


   本日最後の乗り換え。夕焼けのオレンジ色はすっかり身を潜めて、空には星がちらちらと映っている。駅のホームで電車が来るのを待っていたら「あれ?茅?」と呼ばれて振り返る。そこにはきょとんとした顔の貴澄くんが立っていて、予想外の登場にわあ!と声を上げた。

「貴澄くん!もしかして同じ新幹線乗ってた?」
「そうみたい。偶然ってすごいなあ」
「ね!びっくり!凛たちと一緒じゃなかったんだね」
「東京駅までは一緒だったんだけどね。僕、おじさんのところ寄ってたから」
「そうだったんだ。克美さん元気?」
「ふふ、そりゃあもう」

   貴澄くんのおじさんには遙の部屋を探してもらったり、それより前に私の部屋を探してもらったりとなかなかお世話になった。
   話を始めて程なくして電車が到着した。東京に比べなくとも人が少ないからか、ロングシートの座席には私たち二人が並んで座るのに十分な余裕がある。その中でも特に人の少ないところを選んで、ここでいいかな?と確認を取ると貴澄くんがにんまりと少し意地悪な顔で微笑んだ。

「隣座ってもいいの?」
「うん?……え?だめなの?」
「郁弥に怒られちゃうんじゃないかと思って」
「もー、そんなことじゃ怒らないよー」

   座ってもいいの?と言っている段階で既に腰掛けていたあたり、貴澄くんがからかうつもりで言ったのだと分かる。相変わらずだなあと少し呆れた笑顔がこぼれた。

「茅は郁弥たちと一緒に帰ると思ってたからさ、今朝来なくてちょっとびっくりしたよ」
「郁ちゃんにも真琴くんにも誘ってはもらったんだけど、集合時間早かったからゆっくりしたくて」
「冬休み、バイトで忙しそうだったもんね。忘年会も来られなかったし」
「そうなんだよね…!本当にもう、めちゃくちゃ行きたかった…!」
「ふふ。あ、でも郁弥とはクリスマスデートしたんでしょ?」
「えっ、な、なんで知ってるの!」
「嬉しそうに自慢してたからさ」
「え?郁ちゃんが?」
「ううん。夏也先輩が」
「わはは、してそうー」

   お酒を片手にけらけらと笑いながら自慢げに話す姿が目に浮かぶ。お酒を飲んでいる夏也先輩を見たことはないけれど、多分いつもよりさらに楽しそうな様子なんだろう。それから郁ちゃんがぷんぷんするところまで容易に想像がつく。
   案の定「郁弥が余計なこと言わないでって怒ってたよ」とにこやかに続きを告げられて、電車内であることも気にせずにあははっと笑ってしまった。すると貴澄くんが今度はからかうような意地悪な笑顔じゃなくて、ふわっと優しい笑顔を浮かべた。

「でも嬉しそうだったよ。郁弥も」
「………えへへ、そっかあ」

   ほんのちょっぴり体温が上昇したのを自覚していると、見計らったようなタイミングでスマホがヴーッと揺れた。"家に着いたよ"と通知が表示されるスマホを見て、ただでさえゆるゆるになっていた口元がさらに緩んでほぐれるのが分かった。
   目についてしまったのだろう貴澄くんが隣で「郁弥は察しがいいからなあ」と意味ありげな呟きをしている。どうゆうこと?と数回瞬きをしてみてもにこにこと微笑まれるだけ。疑問に思いつつ、まあいいかとスマホに目を向けて指を滑らせると、ふと思ったことがあった。

「……なんか、不思議だね」
「不思議って?」
「岩鳶を出て行くときは郁ちゃんに会えるなんて想像もしてなかったのに、今は岩鳶に帰っても東京に戻っても、郁ちゃんに会えるんだもん」

   がたんと大きめに揺れて、外の明かりが一斉に消えた。電車がトンネルに入ったのだと気づく。少しだけ大きくなった走行音の中で「分かる気がするなあ」と優しく頷く声がした。

「高校の頃、凛たちと再会出来て楽しかったけど、今は旭がいて郁弥がいて、遠野くんもいるしね。僕は中学の頃、夏也先輩や尚先輩とはあまり関わりも無かったし」
「え?そうだったの?」
「うん。顔と名前くらいは旭たちに聞いてたから知ってたけど、実際に話す機会って無かったからさ」
「でも確かに。私も尚先輩と会話らしい会話をしたのはここ最近になって初めてだよ」
「でしょ?こうゆう繋がりってさ、すごく貴重だよね」

   何気なく口にしたことだけど、よくよく考えてみたらすごいことなのかもしれない。少し視界が明るくなったような錯覚を起こしていると、走行の音がわっと広がるように小さくなった。トンネルを抜けて、駆け抜ける外灯と、月明かりに照らされる海面が窓ガラス越しにきらきら光っている。

「みんな、ずっと仲良くいたいよね」

   柔らかいその声にはすごく気持ちがこもっているように聞こえた。水泳部のみんながばらばらになっていくのを貴澄くんも外側から見ていたから。やっぱりちょっと悔しいなあ。私も忘年会、行きたかった。小さな後悔はこれからの楽しみに変えて、うん!と明るい声で頷いた。


↑↓


   先に降りた貴澄くんを見送ったあと、うとうとしている間に電車が着いたことに慌てて降りた。ところが、何故だか着いたのはひとつ手前の駅で岩鳶駅ではなかった。あれ?と一人首を傾げる。もしかしたら停車後の駅名をアナウンスしていたところだけを聞き取って勘違いしたのかもしれない。というか、それしか考えられない。
   時間を確認するためにスマホを手に取るとメッセージの通知が一件入っていた。郁ちゃんかな?と自然な流れで思ったのだけれど、差出人は珍しく遙からで『岩鳶に着いたら連絡してくれ』と簡潔的な内容が十分程前に送られてきていた。何か用事でもあるのだろうか。特に疑問に思うことなくそのまま電話をかけると、一コールも鳴り止まないうちに通話に切り替わる音がした。

「もしもし?遙?」
『……もう着いたのか?』
「あ、着いたには着いたんだけど、降りるとこ間違えちゃって。一駅前で降りちゃった」
『……普通地元で間違えないだろ』
「うとうとしてたらつい!ついね!」

   えへへと笑って誤魔化してみせたけど向こうからは溜め息が聞こえてきた。呆れているなあ、これは。

「そういえば何か用事?」
『……とりあえず、そこで待ってろ』
「え?なんで……って、あ!待って!一駅分くらい大丈夫だよ!東京じゃないんだから変な人とかいないだろうし、オフシーズンくらいお家でゆっくりしてて」
『今岩鳶小にいるから、そんなに遠くない』
「へ?岩鳶小?真琴くんも一緒?」
『………いや、一人だ』

   なんだか妙な間があったような、なかったような。岩鳶小時代は話でしか聞いたことがないけど、遙たちにとって原点みたいな場所だってことはよく分かる。何か思い入れがあって足を運んだのかもしれない。

「じゃあお言葉に甘えちゃおうかなあ」
『変なやつに声かけられても着いていくなよ』
「小学生じゃないんですけど……??」
『あんまり変わらないだろ』
「失礼!」

   小学校にいるのは遙の方のくせに。いつもの調子で誰もいないホームで声を荒げれば遙がふっと小さく笑うのが聞こえた。やけにそれが安心して通話を終了する。
   さて、じゃあお言葉に甘えると決めたからには遙が来るのを大人しく待つとしよう。もう遅い時間だからか改札を通っても駅舎内に駅員さんは既におらず、無人駅と同じ状態になっていた。返していなかったメッセージの返事をしたりSNSを開いたりしながら時間を潰しているうちに時間が進んでいく。しばらくすると、ぽつり、とコンクリートを弾く音がした。

「わー…すごい雨…」

   瞬く間に雨は本降りになっていく。天気予報、雨なんて言ってたかな。そうだ、遙に電話しなきゃ。傘はきっと持っていないだろう。仕方ない。濡れてしまうけどこのまま走って帰ろう。遙は濡れることを嫌がらないかもしれないけど、さすがにアスリートである遙を雨晒しにするわけにはいかない。
   アプリを立ち上げて先ほど終了した通話の時間を目にする。ようやく気がついて、不思議に思った。もう既に十五分以上が経過している。あれ?おかしいな、岩鳶小からここまで来るのにそんなに時間かからないのに。子どもの足でもたどり着いていていいはずの時間だ。コンビニで傘とか買ったりしてるのかな。そうだとしたらなおさら申し訳ない。慌てて発信ボタンを押すと、すぐにコールが鳴り止んだ。

「…………あれ?」

   ツー、ツーと流れる無機質な音に首を傾げる。誰かと電話してる最中なのかな。三分ほど待ってもう一度かけてみるも、またすぐにコールがぶつりと切れて同じ音が再生させる。画面を確認してみても七瀬遙で間違いはない。三度目はすぐにかけ直したけど、またコールがすぐに止んだ。

『おかけになった番号は、現在使われていないか、電波の届かないところに−−−…』

   ザァァと波の打つ音と雨の音に紛れて耳に入る電子的な声。気道が狭くなるような、息苦しさを覚える。もう一度画面を確認してからかけ直してみても、流れてくるのは何年も隣で聞いてきたあの声じゃなくて、さっきと全く同じ音声ガイダンスだった。

" ハルちゃん、どこにいるの? "

   もう少しほかの言い方があったかもしれない。けれど率直に思ったことを送る。既読にならないそれを眺めていたら、着信を告げるバイブレーションがスマホを揺らした。遙だ。タイミング的にはそう思ったけど目の前に表示されたの"橘真琴"という名前。

「……もしもし?真琴くん?」
『あ、茅?帰ってきたばかりのとこごめんね』
「大丈夫だよ。どうかしたの?」
『その……ハルのことなんだけど』
「遙?」
『……うん。さっき合宿に行くって連絡があってから返事がないんだ。家にもいないし電話しても出ないし、ちょっと気になって……茅は何か知ってる?凛にもかけたんだけど、繋がらなくてさ』

   不安の混ざった声に、心臓がどくんと嫌な音を立てた。喉の奥でなったひゅっという音は雨音に掻き消されたおかげで真琴くんには届かなかったらしい。

「……ごめんね。特に連絡取ってなかったから、分かんないや」
『そっか……』
「もし何か分かったから連絡するね」
『ありがとう。……あれ?茅、もしかして今外にいる?』
「ううん!今ちょうど、窓閉めようとしたところだっただけ!」
『そうだったんだ。ならいいけど、今年はインフルにならないように気をつけるんだよ』
「毎年なりたいわけじゃないよ!」
『ふふ、それもそっか。じゃあまたね』
「うん。おやすみ、真琴くん」
『おやすみ、茅』

   通話終了のボタンをタップすると、スマホを持つ方の腕から力が抜けてぶらんと下がる。よかった、ハルちゃん。すぐ合宿に行かなくちゃいけなくなっただけなんだ。普通ならそんなことはありえないのに、よかったと安心の材料にする以外、痛いと叫ぶ胸の奥を和らげる方法が無かった。
   メッセージにはまだ既読がついていない。でももう、待ってなくていいんだなあ。キャリーケースを引っ掴んで、雨の中をバシャバシャと歩きはじめる。鞄の奥に入っている折りたたみ傘の存在は、このときだけすっかり忘れていた。

「−−−聞いて。明日から、」

   海沿いの道を歩く中、視界の端に今より幼いときの記憶が再生されているような錯覚を起こした。下唇を噛んで耐えて、そこから必死に目を逸らす。いろんな気持ちがぐちゃぐちゃに混ざる感覚にはひどく身に覚えがあった。


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