himawari first side story


「次で降りてもいい?」

   お互いに近況だったり、連絡を取り合っていない頃のクリスマスの過ごし方だったりを語り合いながら、途中くだらない話で笑い合いながらお洒落なところでご飯を食べたあと。相変わらず家まで送らないと気が済まないらしい郁ちゃんの隣でがたんごとんと電車に揺られていると、最寄りでも乗り換えでもないところでそう言われた。

「え?どうして?」
「……ちょっと着いてきて」
「う、うん……?」

   有無を言わせないためか、郁ちゃんはスッと立ち上がる。程なくして着いた駅は有名どころだったので名前こそ知っているものの、高級エリアということもあって利用したことは今まで一度もない。どこ行くの?と聞いても「着いたら分かるよ」とはぐらかされてしまう。
   意図を汲めないまま迷うことなく街中を進んでいく郁ちゃんの斜め後ろを歩く。なんだかやけにカップルが多いような気がする。そしてやっぱり、彼氏さんの隣にいる女の子たちがすごく可愛い。ぼんやりと周りを眺めながら歩いているとすっかり暗くなったはずの夜空がだんだんと明るくなっていくのが分かった。時刻は二十一時過ぎ。もちろんそれは、日の出なんかじゃなくて。


「わあ……!」

   郁ちゃんの足が止まる。顔を上げれば、夜空を照らすたくさんの光たちが目の前には広がっていた。

「すごい、すごいすごい!すっごく綺麗……!!」

   感嘆の声が止まない。一気に沸いた興奮を包み隠すことはせず、何度も何度も瞬きをして周囲を見渡す。街路樹に階段、建てられている大きなツリー。どこもかしこもキラキラ、ぴかぴか。歩いている人たちもすごい、綺麗、とうっとりした声で口々にこぼしている。

「え!え!え!すごい!」
「ふふ、分かったから少し落ち着きなよ」
「だって!えええ、すごいよ!」

   すっかり役に立たなくなった語彙力をフルに使って感情を露わにする。嬉しいときや楽しいときにもかかわらず、つい「えー」とか「やだ」とか正反対の言葉で感情を表現してしまうのは女の子の不思議なところ。
   そんな私がおかしいのか郁ちゃんはさっきからくすくす笑っているけれど、郁ちゃんだってこうゆう幻想的なものが好きだ。イルミネーションに照らされた大きな瞳が私と同じ意味を含んできらきらと光っている。もちろん岩鳶から電車で行けるところにもイルミネーションはあったけれど、規模も、まばゆさも、桁違いすぎる。圧巻だ。

「口開いてるよ」

   隣から言われてはっとして口をんっと閉じる。感動を通り越して放心していた。さすが東京。それにしても郁ちゃんがこんな素敵なところを知っていたなんてびっくりだ。一瞬遠野くんからの口コミなんじゃ?とも思ったけれど、もしかしたら、もしかすると。

「調べてくれたの?こうゆうのやってるって」
「…………まあ、うん。一応。喜ぶかなって、思ったから」

   恥ずかしそうに、ぽつりぽつりと。誰が喜ぶ、とはあえて言わないんだろう。その様子が可愛いのと言われている言葉が嬉しいのとで、やっぱりほっぺたは勝手にゆるゆるとほぐれてしまった。

「うん!すごく嬉しい!」
「勝手に連れてきちゃったけど、時間大丈夫?明日バイトなんでしょ」
「大丈夫だよ!午後からだから!」

   高い位置にあるテンションのまま大きく頷けば、郁ちゃんが「ならよかった」って安心したように微笑むからますます嬉しくなる。そんな気はしていたけど、やっぱりなと思った。私が東京で過ごす残りの休暇をバイトで過ごすから、わざわざ合宿から帰ってくる今日を指定してくれていた。一番休みたいはずなのに、一番疲れているはずなのに。そう言いたくなった口を噤む。郁ちゃんの優しさに、ごめんねって水を差すのは嫌だったから。甘えているのかもしれないけど。どうせなら来てよかったって思ってもらいたいから。

「どこから見ようか」

   そう言って自然な流れで左手を取られた。ちょっと前までは郁弥って呼んでおねだりしないと繋いでもらえなかったのになあ。言ったらからかわないでって怒られそうだから言わないでおいた。むってしてるところも可愛いけど、今日は出来るだけたくさん笑っているところが見たい。そう思いながらえっとね!と声を弾ませて、光る街の中を歩き出した。



「……………あのさ」
「うん?」
「今日、茅に話しておきたいことがあったんだけど」

   話しておきたいこと、と言われて歩みを止めた。光る並木道。道の端に寄った私たちの近くをたくさんの恋人同士が横切っていく中、心当たりがすぐに思い当たらなくて首をかくんと傾げて見上げる。街路樹を灯すイルミネーションを背景にした郁ちゃんがまっすぐおろしてくる眼差しと、繋がれている力が増した左手から緊張みたいなものが伝わってきた。

「実は、プロからスカウトを受けてるんだ」

正直まだ、いろいろ考えてて。

   私が何かを言うより先にそこまで言われて、反射的に出そうになったすごい!という言葉をごくんと飲み込む。二言目は、少し困ったように目を逸らされて言われた。
   プロをなるということは、まずは相応の結果を出さなければいけないこと。これからも競泳選手として勝ち負けの世界にい続けなければいけないということ。そして結果を残し続けなければ、次がいつか無くなってしまうかもしれないということ。学生の部活動とは全く訳が違う世界。高校でどんなすごい成績を残しても、大学でテレビに出てしまうようなすごい選手でも、そこから先へ進む人は一握りの人たちだ。それになるのか、否か。

「"悩んでる"んじゃなくて、"考えてる"なんだ」

   思ったことを素直に口に出せば、逸らされていた目が戻ってきて視線が絡む。ちょっとだけびっくりしたような顔をするから、ふふっと勝手に笑い声が漏れてしまった。

「じゃあきっと、近いうちに考えがまとまるね」

   気持ちを込めて、ぎゅうっと手を握る。嬉しいよ。すごいね。かっこいいよ。全部全部、繋がっている左手に注いで見上げる。伝わったのかどうかはさておき、郁ちゃんの瞳からは緊張がゆるりと溶けていた。

「…………うん。また決まったら言うよ」
「全部決まってから教えてくれても良かったんだよ?」
「それもちょっと思ったけど、出来るだけ隠しごとみたいなことしたくないし」
「ふ、ふううーーん………?」
「………なにその顔」
「へへへ、大事にしてくれてるなあって、思いまして」

   にやにやによによとだらしなく吊り上がる口角を包み隠すことなく見せびらかして思ったことを口にした。そんなんじゃないし、とか、なんでそうゆうことわざわざ言うの、とか。つんつんした可愛い返事が返ってくることを予想していると。

「してるからね」

   それは裏切られて、ふわっと柔らかく微笑まれた。そしてずきゅんと、撃ち抜かれる。堪えようとは思った、一応。でも、やっぱり無理だった。

「っう!ま、負けたあ………!!」
「………その照れたら負けみたいなの何なの?」
「だって悔しいじゃんか………あの照れ屋さん代表の郁ちゃん相手に照れちゃうのが………!」
「勝手に不名誉な称号与えないでよ」

   不名誉って。むしろ逆のつもりで、そうゆうところも可愛くて大好きって意味もあるのになあ。そんなことを考えていたら郁ちゃんが数秒の間、そろりそろりと控えめに周囲へ視線をやったのが目に入る。なんだろう?と私もちらりと追いかけてみたけど、何かは分からなかった。

「………ねえ」
「うん?」
「マフラー、外してよ」
「え?なんで?」
「………いいから」
「? う、うん、いいけど……」

   突然のお願いに疑問を抱きつつ、言われたとおりに巻いていたマフラーを解いて腕に掛ける。ひんやりとした空気が直接触れて身が少し縮んだ。そんなことを気にしたのも一瞬で、伸びてきた右手がそっと頬に触れて、ポケットから遅れて出てきた左手の指先が添えられる。視界に映るイルミネーションの範囲がどんどん狭くなると、頬に触れていた両手は囲い込むように首の裏側に回っていた。えっ、あの、と焦った声が口からこぼれ落ちていく。頭の中で勝手に再生されたのは、言わずもがな数時間前の大学での出来事だった。

「い、い、郁弥さん?ここ、そと、ですが」
「…………いいから」
「人目、あ、あありまくりですよ」
「いいから」
「さ、さっきからそればっか、」
「静かにして」

   しずかにして、なんて。ちょっと強めな言い方で、そんな声で、耳元で言われたら。何も言えなくなってきゅっと目を瞑ると一瞬首元に冷たい感触を認めた。それからチャリと金属音のような小さい音を耳が拾う。

「………これも、僕の勝ちでいい?」

    視界がぱっとまた明るくなって郁ちゃんが離れたのだと気がつく。聞こえてきた柔らかい声にゆっくりと目を開いて、ぱちぱちと瞬きを繰り返しながらその存在を確かめた。まばゆい灯りに反射して輝くふたつの石が並んでいるシンプルなネックレス。指先でも触れてみて、さらに実感する。首にはさっきまで無かったはずのそれがしっかりと巻かれてた。

「えっ、こ、これって」
「…………クリスマスプレゼント」

   照れくさそうにまたふいっと目を逸らされる。それ以外に浮かばなくてそんな気はしていたけど、口にされたことでより嬉しい気持ちがぱあっと広がった。
   いつの間に用意をしてくれていたんだろう。忙しかったはずなのに。いつの間に、とだけこぼしていたら「合宿行く前。部活の帰りに」と簡潔的に教えてくれた。私がクリスマスプレゼントを用意したのは郁ちゃんが合宿に行ってからだから、つまりは私より先に準備をしてくれていたらしい。郁ちゃんは練習で忙しいから気がついていないかも、と考えていた差し入れをした日の自分が聞いたらさぞかしびっくりするだろう。だって、今でもこんなに驚いて、嬉しくて、きゅうきゅう痛む心臓が止まない。

「ありがとう郁ちゃん!すっごく嬉しい!ネックレスもらうなんて、生まれてはじめてだよ」
「えっ」
「え?」

   嬉しい気持ちを前面に押し出したけどおかしいことを言ったつもりはなくて、きょとんとする郁ちゃんを不思議に思った。今までお付き合いをした人はいないし、遙や真琴くんと誕生日とクリスマスのプレゼントを送りあったことはあるけど、さすがにネックレスやそのほかのアクセサリーを受け取ったことは一度もない。
   思い返していると郁ちゃんが「あ、いや、」と視線を泳がせながら言い淀む。少しの間、じっと言葉を待って見上げてみる。そんなことをしていたらもちろん目は合うわけで、ばちっと目が合った郁ちゃんはきゅっと一度唇を結んでから観念したように口を開いた。

「よかったって、思っただけ」

   また、胸がきゅんっと音を立てた。よかった、って。そっか、そんなことを嬉しいって思ってくれるんだ。ぽーっと郁ちゃんを見上げたままでいたら、郁ちゃんの人差し指が私の首を向いた。

「こっちは茅の誕生日の誕生石だよ」
「そうなんだ!あ、じゃあこっちは?」
「……………僕の、」
「へ?」
「……だから、僕の誕生日の、やつ」

   今日何度目か分からない、恥ずかしそうに目を逸らす仕草。そっか、嬉しいなあ。さっきからそう言いたいのに、すぐ胸がいっぱいになって出てこなくなる。一体どんな顔で、どんな気持ちで、選んでくれたんだろう。

「ま、まけました」

   もうだめだ。顔が、すごく熱い。負けたって自己申告をしながら俯くのが精一杯で、上からはからかうような笑い声が静かに降ってくる。悔しくて悔しくて、ずっと大事に持っていた紙袋を郁ちゃんの胸に押し付けた。何かとはわざわざ言わなくても分かるんだろう。ずっと持っていたから気づいていたのか、郁ちゃんは紙袋を受け取ってすぐに「見てもいい?」と聞いてくれる。私が頷いたのを確認してから紙袋の中にあるラッピングバッグを丁寧に開ける様子をどきどきしながら見守った。

「マフラー?」
「う、うん!いろんなお店見た中で一番、似合うと、思って」

   グレーがベースカラーの、黒とネイビーの大きめのストライプが入ったマフラー。郁ちゃんは色の入ったシンプルな服装が多いから、これならコーディネートの邪魔をしないんじゃないかと思う。メンズのお店に一人で入ることさえほとんど初めてだったし、これだ!と思うものが絶対に良くて、大きなショッピング施設内のお店を片っ端から見て回って決めた。急に照れくさくなってよれよれの言葉を紡ぐと、ふっと小さく笑う声が落ちてくる。

「…………ありがとう。大事にするよ」

   優しく細められた瞳がより一層きらきらと輝く。やっぱり、可愛くて、かっこいい。何回も見たことのある笑顔のはずなのにその顔を向けてもらえるのが嬉しくて、へらりと無意識に笑ってしまう。

「なんか、私ばっかりもらいすぎてる気がするなあ」
「? 今もらったのは僕のほうでしょ」
「そうだけど、そうじゃなくてね」

   早く帰ってきてくれて嬉しい。時間を作ってくれて嬉しい。早く会いたいと思ってくれて嬉しい。ありがとうって言ってくれて嬉しい。準備したり調べたり、一緒にいなくても私に時間を費やしてくれるのが、嬉しい。クリスマスはもともと好きだったけど、私にとっては友達や家族と賑やかに過ごすためのイベントだった。だけど今年は、今日は違う。特別だ。大学にいるときも思ったけど。恋人が、郁ちゃんがいるクリスマスは、今までで一番、特別だ。

「………茅ばっかりじゃないよ」

   上手く言葉に出来なくて黙っていたら、ぽそりと聞こえた。自然と伏せがちになっていた目を持ち上げると、空っぽの手のひらがまたぎゅっと埋まった。しばらく離していたはずのに、何故だかちょっぴりあたたかい。

「そんなこと、絶対ないから」

   何度も逸らされた目がまっすぐにこちらを向いている。小さい子に言い聞かせるみたいな優しい声色なのに、真面目で力強い色もしていた。

「うん!」

   とても、とても大事にされている。嬉しい気持ちをいっぱいに乗せて明るく頷けば、安心したように肩を落としながら「帰ろっか」と言われてまた歩みを進める。と、その前にマフラーを巻き直すように言われる。ネックレス見えなくなっちゃうよ、と駄々をこねたら「風邪引いてほしくないから」と押されて巻き直せばすぐにまた手を握られた。少し歩いて並木道の終わりが見えると寂しい気持ちに駆られていく。

「クリスマス終わっちゃうの、もったいないね」
「ふふ、なにそれ。子どもみたい」
「十代はまだ子どもですー」
「また来年があるでしょ」

   そう言われてぽかんとする。そっか………来年、あるんだ。だらしなく開いた口から思ったことがぽろっとこぼれ落ちた。呟いたことで実感する。来年も、郁ちゃんがいてくれるんだって。誕生石が隣り合わせに並んだネックレスが歩くのに合わせて、存在を主張するみたいにこつんと鎖骨に触れた気がした。

「うん!楽しみ!」

   ね!と言って同意を求めると「それは早すぎ」と郁ちゃんがやんわり笑う。きらきらの並木道に後ろ髪を引かれながら静かな街を潜って駅へと向かう間も、手は繋がれたままだった。特別な今日が終わってしまっても、私たちにはまだまだこれから先に続いているんだって思ったら、少しだけ名残惜しさが軽くなった。


「………どうかした?」

   駅のホームでじっと見つめていたら、いつもみたいに優しく顔を覗き込まれる。いつもみたい、なのが嬉しくて勝手に頬が緩んだ。不思議そうな顔をする郁ちゃんの肩のあたりをくいくいと引っ張って耳元を引き寄せる。わざと内緒話をするみたいに手のひらの壁を作って、あのね、と今の気持ちを二文字にこめて小さな声で伝えたら、ぶわって郁ちゃんが真っ赤になった。
   最後の勝負、どうやら勝ちは私がもらったらしい。おかげでとっても可愛い顔で睨まれてしまった。



himawari first side story     Fin.


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