himawari first side story


   合宿所から徒歩五分程の場所にある大きな公園内にある図書館で勉強に励むこと一時間弱。机の上に置いていたスマホが震えた。

" ごちそうさま。弁当箱持っていくね "

   差出人は新しい友達に追加されたてホヤホヤの尚先輩。

" 大丈夫ですよ!午後の練習もあると思うので、私が取りに行きます! "
" いいからいいから。外で待っててくれる? "

   既読はすぐについて返事が返ってきた。有無を言わせない笑顔をにっこりと浮かべる尚先輩が頭に浮かび、早々に諦めて荷物をまとめる。お言葉に甘えてお願いします、と送りマフラーをミラノ巻きにして外へ出た。
   そんなに風は強くないけど気温は低く、すっかり冬の空気と匂いになっている。公園で遊んでいる子どもたちの明るい声に暖められながら近くのベンチに腰掛けて、スマホのカレンダーを確認した。冬休みの予定は掛け持ちしているバイトでほとんど埋め尽くされており、そこに郁ちゃんの名前はない。エミちゃんは彼氏さんと旅行に行くと言っていたので会えるのは帰省して年が明けてから。アヤちゃんユイちゃんも一緒に約束しているのですごく楽しみだ。
   初詣は、どうしよう。毎年一緒に行っている遙と真琴くんとは約束をしていない。郁ちゃんと行きたい気持ちはあるけど、お互いに連絡頻度がゆっくりなのでそんな話は今のところ無く。会えない分も頑張れる、っていうのはちっとも嘘じゃない。だけど近くにいるって思うとどうしても、切なくなる。白くなる吐息を吐きながらぼんやりカレンダーを眺めいていると、−−−コトッ、ベンチに置かれたお弁当箱が映る。


「あっ尚せんぱ、ぎゃあ!!」
「ぎゃあって」

   ひどくない?そう言ってジトッとした目を向けてくるのは、一時間前に話していた夏也先輩と同じ色をした大きな瞳だった。

「なっ、なんで郁ちゃんが!」
「兄貴と尚先輩が持って行けって」

   夏也先輩尚先輩!私の言ったことを受け取ってくれたのではないんですか!予想していなかった出来事に慌てている私を差し置いて、郁ちゃんはお弁当箱を挟んで隣に腰掛けた。霜学水泳部のジャージではないものの運動着を着用しているあたり、まだ練習の隙間時間なのだと窺える。

「郁ちゃんには会いたくないって言ったのに……!」
「……その言い方はさすがにどうかと思うけど」
「あ!ち、ちがうよごめん!ちがうよ!ほんとだよ!」
「冗談だよ。兄貴と尚先輩から聞いてるし、分かってるから」

   聞いたって……?え?私の持論を……?郁ちゃんの冗談だよ発言に安堵する反面で羞恥心も芽生える。恥ずかしさから何を聞いたのか確認することを躊躇っていると、持ったままのスマホが通知を鳴らした。開きっぱなしだったカレンダーの上部に" 郁弥と会えた? "というバナーが表示されている。差出人は先ほど同様尚先輩だった。

" 勝手にごめんね。二人ならお互いのマイナスになるようなことはなさそうだし、郁弥も本当は会いたいんじゃないかと思って "
" 一応郁弥には俺が行こうかって言ったんだけど、行きますって即答だったからさ "
" お弁当美味しかったよ。ごちそうさま "

   間髪入れずにシュポシュポと新しいメッセージが送られてくる。ときめいてしまうことがさらっとしれっと書かれているんですが。思いがけないこと続きでショートしかけていると郁ちゃんが「尚先輩から?」と不思議そうに覗き込んできた。そしてその文面を見て、固まった。

「………………」
「………郁ちゃん」
「してない」
「郁ちゃん、即答し「してないってば」

   強い口調が本心の裏返しってことくらい聞かなくても分かる。我慢なんてせずにあははっと笑えばすぐにキッと鋭い視線に睨まれた。逃げるようにスマホに目を戻し、お心遣いありがとうございます!と返事を送る。尚先輩たちが良しと判断したなら、ここはもう思う存分粋な計らいに甘えさせていただこう。

「お弁当ありがと。美味しかったよ」
「ほ、ほんとに?」
「なんで疑うの。みんなも美味しいって言ってたし、日和たちにも食べてもらったんでしょ?」
「えへへ………そうなんだけどね、郁ちゃんに一番に美味しいって思ってもらいたかったから」

   置かれた弁当箱を持ってみると行きに比べて随分軽くなっていて、空っぽなんだと予想できた。それにしても遠野くんたちに差し入れしたことまで知っているなんて。先輩たちは一体どこまで話をしたのだろう。疑問に思っていると隣の郁ちゃんが唇を真一文字にきゅっと結んで、それからむーっとしたような顔をして睨んできた。

「………茅のそうゆうとこ、本当変わんないよね」
「それさっき夏也先輩にも言われたなあ」
「兄貴に?何言ったの?」
「本当は郁ちゃんにむちゃくちゃ会いたいです!って」

   あれ?なんでまたさっきと同じ顔をするんだろう。尚先輩たちから話は聞いていると言ってたはずなのに。きょときょとしていると今度は目を逸らされる。

「………そこは聞いてない」

   拗ねたような声でそう言うのがうんと可愛くてまた笑いそうになる。さっきからずっと、照れていると目が口ほどにものを言っていることに本人は気づいているのだろうか。可愛いって言ったら、怒るかなあ。怒るだろうなあ。

「じゃあ、今言ったことにしてね」
「………なにそれ」
「へへへ」

   郁ちゃんが合宿に行ってから『会いたい』と口にしたことも文にしたこともない。上手に我慢出来るだけで、本当はすごく会いたかったんだよ。そんな気持ちをたっぷり込めて郁ちゃんを見上げる。ほっぺたが、少しだけ熱い。
   込み上げる照れくささを誤魔化すように笑ってみせると、こちらに戻ってきた大きな瞳と目が合った。けどまたすぐに逸らされて、前屈みになった郁ちゃんが膝に肘を置き、両手で口元を覆い隠す。「…………はあ……」聞こえてきたのは結構盛大な溜め息だった。えええ。

「どうして溜め息?」
「………今ここ、外だから。人目もあるし」
「うん?そうだね?」
「そうゆうこと言われると困る」
「ごめん?」
「分かってないよね」
「うーん………?」

   分かるもんか。郁ちゃんとは違って口も正直すぎる私は曖昧に噤む。すると上半身を正した郁ちゃんの手が、ベンチにだらりとついていた私の手に重なった。

「………これ以上、なんにも出来ないでしょ」

   ゆっくりと、指の間に指を差し込まれて、込められる力が強くなっていくたびにぎゅうっと心臓が掴まれていく。私たちを包む気温は冷たいままなのに、繋がれたそこからじわじわと熱いものが迫り上がってくる。耐えるべく顔を強張らせていると、ふっと小さく笑う声がした。

「どうゆう表情?」
「ときめいたのと郁ちゃんが可愛いのとでぎゅってしたくなったのを我慢してる顔……!」
「ふ、なにそれ」
「でもしたら『世界競泳出場の桐嶋選手の逢引現場!』ってスクープされてしまう……!!」
「されるわけないでしょ。未成年の上まだ学生なんだから」

   うう、なんで我慢してる理由を潰してくるんだ。くすくすと笑う郁ちゃんを今度は私がじとりと睨む番になった。

「郁ちゃんだってぎゅってしたいって思ってるくせに……」

   悪態をつくように、唇を尖らせて言ってみる。だってさっきそう言ってたもん。郁ちゃんなんて照れてしまえばいいんだ。そんなささやかな悪だくみも叶わず、郁ちゃんはきょとんとするだけ。それから少し目を細めた。

「それだけなんて言ってないけど」
「………ん!!?え!!!?」

   照れるどころかちょっと意地悪な顔になってきた。ボフンッ!と熱が一気に上昇して顔面の体温計が突如としてイカれ狂う。通りがかりの人がびっくりして振り返ってしまうくらいに分かりやすい反応する私を見て、意地悪な顔は肩を震わせて笑った。

「ふふ、自分から言ってきたくせに」
「ぐぐうううくやしいい……!!」
「………これ何の勝負?」

   数日ぶりの郁ちゃんは刺激が強すぎる。落ち着かない気持ちを逃すべく、繋がれている手の指を動かしたところであれ?と気がついて両手で郁ちゃんの手を取った。あ、やっぱり。少しだけ乾燥してる。

「郁ちゃん、ハンドクリーム塗ったりしないんだ?プール入ってたら荒れちゃうでしょ?」
「塗るときもあるけど、この時期はどうしても荒れるよ」
「そうだよね………あっ、私いいやつ持ってるよ!」

   持っていたハンドクリームを鞄から出して郁ちゃんの手の甲に乗せた。ふんわりとラベンダーの優しい香りが鼻をくすぐる。いいやつというのはちょっとお高いやつという意味だ。ドラッグストアで買うやつよりは保湿力も高くて肌なじみもいい。

「……ありがと」
「あ、待ってね、そのままね」

   手の甲同士を擦り合わせようとする郁ちゃんにストップをかけて、ハンドクリームを付けた方の手を両手で包んだ。テスターを試させてくれた美容部員のお姉さんが確かこんなふうに塗ってくれていた。東京で初めて買うハンドクリームはいいやつにしたい!と謎に意気込んでエミちゃんとショッピングした二ヶ月くらい前の記憶を探りながら塗り込んでいく。手のひら、手の甲、指は一本一本、丁寧に。「、ッ」指を絡めるようにして水かき部分に触れたとき、ぴくっと郁ちゃんの指先が揺れた。

「どっか痛かった?」
「………大丈夫。なんでもないよ」

   乾燥しててどこか切れちゃってたのかな。本当?と確認する間もなく「いいにおいだね」と先に感想を口にされる。ラベンダーだからリラックス作用があるんだよー、安眠効果もあってねー、とぺらぺら話しながら「お客さーん反対のおてても出してくださーい」「なにその言い方」途中でそんなやり取りを挟みながらもう片方の手も塗っていく。今度は痛がるような素振りは無く。チラッと見上げたときに大人しくしていたのが可愛かったというのは口に出さないでおいた。

「これあげるから、ちゃんと塗ってね」
「いいの?茅が使ってるんでしょ?」
「ほかのも持ってるから大丈夫!ちょっと早いけど、クリスマスプレゼント……………ええと、その2!」
「………その2ってなに?」
「その1はまだ内緒なんですよー」

   郁ちゃんは練習で忙しいから気がついてないかもしれないけど、街へ繰り出せばお店のあちこちがキラキラ輝いていてクリスマスの雰囲気に染まっている。私もその中で郁ちゃんに渡すクリスマスプレゼントをうきうきしながら探した。クリスマスに会えるかどうかは分からないけど、合宿が終わってから渡せればそれでいい。ありがと、と口元がほんのり緩んだのを見てまたきゅっと心臓をつかまれた。………しばらく会ってない恋人というのは、やっぱり強敵かもしれない。



「そういえば合宿っていつまでなの?」
「二十四日の夜には帰るよ」
「そっか、じゃああと少しだね。頑張ってね!」
「………………うん」
「?」

   そろそろ戻らなきゃという郁ちゃんを合宿所へ送り届けるべく、久しぶりに肩を並べて歩く。会話の途中で不自然に開いた間に首を傾げていると。

「…………二十四日、帰りに会いに行ってもいい?」

   控えめな、小さめの声で言われてさっき考えていたことを思い出す。合宿が終わってから渡せればそれでいいなんて強がりは叶えられそうにないみたいだ。

「っう、うん!!!」

   嬉しさのあまりバグを起こした声量で強めに頷くと、郁ちゃんが呆れたように笑った。


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