郁ちゃんと再会を果たしてしばらくは、大学中を探しに探し回ってもちっとも会えなかったというのに、どうしてこうもすぐに見つけられてしまうんだろう。
   講義を終えて合同学園祭の準備、の前に図書館へ本を返しにいこうと外に出ると校庭を歩く郁ちゃんが視界に入ってきて、逃げるように校舎に身を潜めてこっそりとその姿を覗き見る。何やってんだか。

「………瀬戸さん?」
「ぎゃっ!と、遠野くん!何故ここに!」
「いや君のほうこそ。こんなところで何してるの?」

   こんなところで何を、と聞かれて身体がぴしりと固くなる。ふと顔を上げた遠野くんが前方を歩く郁ちゃんに気がついたようで、ああ、と声を漏らす。

「郁弥に声かけないの?」
「ひっ!」
「(ひっ?)付き合ってるんでしょ?郁弥から聞いたよ」
「うあああそれだよ、それ……!」
「うん?」

   言われたことを指摘すると遠野くんは怪訝そうに目をぱちくりとさせる。どうして分かってくれないんだ!理不尽に怒りに近いものを溜め込みながら胸の内を発した。

「は、は、はずかしいんだってばあ!」

   実を言うとあの日以来、郁ちゃんには会っていない。残りの夏休みが少なかったのもあるけれど、私は一度岩鳶に帰省したりバイトしたり友達と元々入れていた予定を楽しんだりしていて、郁ちゃんも郁ちゃんで、全日本選抜が終わったからといって練習が減ったりするわけではなく、忙しなく残りの夏休みを過ごしていたらしい。メッセージでちょっとずつやり取りをしていただけだから、らしい、としか言えないけれど。
   とにもかくにも、まともに"彼女"として郁ちゃんの前に立たないまま後期がはじまったのである。ちなみにもう三日ほどが経過している。つまり郁ちゃんの姿を見かけては隠れる作業を三日はこなしているわけなんだが。

「そういえば、瀬戸さんは彼氏いたことないんだってね」
「なっ?!なんでそれを……!!」
「鴫野くんから聞いてさ」
「貴澄くんはまた余計なこと言って……!!」

   プライバシーが筒抜けすぎる!!
しかもあんまり、どころか全然自慢できるような内容じゃないし!

「この前までとは大違いだね」
「へ?この前……?」
「いや、こっちの話。でも確かに、その顔じゃ郁弥には会えないかもね」

   その顔とは。一瞬考えたけれどすぐに自覚が芽生えて、かぁっとほっぺたが熱くなる。この顔のことだ、絶対に。

「もしかして、そんな調子だから後期が始まっても郁弥に会えてないとか?」
「!」
「はは、図星って顔だね」

   ただでさえ講義の前後ではエミちゃんや、それを聞いていたほかの友達にも散々いじられていっぱいいっぱいになっているのに、校内を歩けば遠野くんにも揶揄われるなんて。ちょうど手に持っていた本で顔の下半分を隠して睨みつけると、遠野くんはくすくすと笑った。

「二人とも、何してるの?」
「! なっ!ぬあ、郁ちゃんなんでっ、」
「なんでって、二人が話してるの見えたから」

   さっきまで向こうにいたはずの郁ちゃんが気づけばすぐそばにいて、また上げそうになった声が喉に詰まってどもりまくってしまった。緊張全開の私に対し、郁ちゃんは特別変わった様子もなくいつもどおりである。………なぜ!!

「わ、わたし!本!返しにいくからっ!」

   それが余計に照れくささを助長させる。別れの挨拶すらまともにせず、出来るだけ早足でその場を立ち去った。


「………日和、また変なこと言ったでしょ」
「今回は冤罪だよ」
「今回"は"ってなに」


↑↓


   図書館に逃げ込んですぐに自己嫌悪に苛まれる。こんなことをしてたら愛想を尽かされてしまうかもしれない。友達の恋バナなら今までたくさん聞いたけど、中にはもっと年相応に過激なことも聞いたけど、もう昔みたいに恋愛ってよく分かんないわけじゃないけど、こんなふうに恥ずかしなって逃げたくなっちゃうなんて誰も教えてくれなかった。
   本を返却した足で学科のみんなが準備している場所を目指すべく、図書館のある三号館をあとにする。外に出ると入り口の端に立っていた人物とすぐにぱちりと目が合った。

「ひっ!い、郁ちゃん!」
「………なにその反応。本は返せた?」
「う、うん、待っててくれたの?」
「図書館広いし、外で待ってるほうが確実だと思って」

   そうゆうことを聞いてるわけじゃなかったんだけど、ようはイエスということで間違いないだろう。きゅうう、と少し胸が切なく痛む。時間的に講義や部活、サークルが始まる頃だったからか、辺りに人気は少なかった。

「郁ちゃん、練習は……?」
「今日は代表選手の練習もないし、部活も自主練だから、話す時間くらいはあるよ」
「そ、そっかあ……」

   どうしても声に緊張が帯びてしまう。郁ちゃんに会えて嬉しい気持ちと逃げ出したい気持ちがせめぎ合う中、口を開いたのはもちろん私ではなかった。

「………僕のこと、避けてない?」

   ぎくり。

「無言は肯定?」

   ぎくり。
   あまり返事を待たずに畳み掛けてくる郁ちゃんにさらに口が開きにくくなってしまう。目は合わせられないけど、郁ちゃんがじいっと見下ろして、静かに言葉を待ってくれてるのは伝わってくる。これ以上黙っていても自分の心臓の音しか聞こえなくてもっと居た堪れなくなるだけだ。意を決して息を吸った。

「…………だって、」
「だって、なに?」
「て、てれちゃう、から」

   だって、なんて言い訳だ。
   彼女に避けられたという事実が変わるわけではない。私はたぶん、さっき遠野くんに言われたあの顔になっている。目もなんか、潤んできた。熱くなったほっぺたを隠さずに俯くと、はあ……と降ってきた溜め息に怯んだ身体がびくりと震えた。

「………そうゆうとこ、本当ずるいよね」

   何かを堪えるような声色は付き合う前の郁ちゃんからたまに聞くものだった。気がついてぱっと顔を上げる。郁ちゃんは口元を手のひらで覆い隠して、目を逸らして、間から見える頬はほんのり赤く染まっていた。なんだか照れてる、みたいな、可愛い顔してる。

「お、怒ってない……?」
「怒ってないよ。気分良くもなかったけど」
「ですよね……!」

   そりゃそうだろう。私が逆の立場でも絶対に気分良くない。反省の矢がぐっさり刺さった心臓を抑えて「ごめんね」と謝れば「いいよ。もうしないでくれるなら」とすぐに返ってきた。今のところ、その約束はしかねるので口をつぐんでおく。

「今日はこれからバイト?」
「う、ううん!今日は学園祭の準備で、まだしばらく、学校にいる予定だよ」
「そう。頑張ってね」
「ありがとう!あっ、ええと、郁ちゃんが終わるまで、待っててもいい……?」

   思いついたことをおそるおそる聞いてみる。照れちゃうし、恥ずかしいし、慣れないけど、一緒にいたい想いのほうが当たり前に大きい。せっかく学校がはじまって、会おうと思えば会えるのだから、一緒にいたい。………さっきまでは逃げまくっていたとかそんなことはもう知らない。このチャンスを逃したら、きっとまた明日から逃げてしまう。

「だめ」
「え!!」
「ふふっ、冗談」
「へっ!?」

   だめなのか!え!だめじゃないのか!
   忙しなく働く脳に感情が追いつけない。見上げている顔が悪戯を成功させた子どもみたいな表情を浮かべているものだから、仕返しされたんだとじわじわ気づく。

「終わったら連絡するから、待ってて」

   言い返す権利が見当たらずに口を閉ざしたままあわあわしていると、郁ちゃんに背を向けられた。さらりさらりと風に揺れる後ろ髪に今日も目を奪われる。待ってて、という言葉に安堵して、ようやくいつもみたいにへらりと笑うことが出来た。

「うん!頑張ってね、郁ちゃん!」


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