himawari episode.02


" 明日会える? "

   郁ちゃんからメッセージが届いたのは、遙と並んで歩く最中、もう少しで家に着くというところだった。スマホを確認した私はきっと目をきらきらさせていたに違いない。嬉しさのあまり、自慢げに遙にトーク画面を見せつけたらなんだか変な顔をされたけど。


「郁ちゃんっ!」

   前々からしてたほうのバイトを一日入れてしまっていたおかげで、約束したのは遙に会ったときと同じ時間帯になってしまった。場所は郁ちゃんに気持ちを伝えたあの公園。到着の連絡をもらって駆け足で来た身体は正直で、その姿を認めるなり表情も声も明るくなる。ベンチでスマホを触っていた郁ちゃんが顔を上げて、スマホをポケットにしまった。

「おかえりなさい!」
「………うん。ただいま」
「遅くなってごめんね、寒かったよね。身体冷えてない?」
「大丈夫だよ。そんなに待ってないから」
「あ、自販機であったかいの買ってきたんだ。コーヒーとお茶、どっちがいい?」
「じゃあ、コーヒーもらうね」
「うん!どうぞ!」
「ありがと」

   持っていたボトル缶を渡して郁ちゃんの隣に座った。なんとなく昨日よりも気温が低い気がする。これからどんどん寒くなっていくんだろうなぁ。お茶のペットボトルをにぎにぎして手を温めながら、ちらりと横目で郁ちゃんを見る。
   何日かぶりの郁ちゃんは、昨日の遙と同様に大きな影響を受けた痕が色濃く残っているような、そんな顔をしている。大きな目はこちらではなく地面を向いており、私もつられるように目を向けた。

「…………」
「…………」
「…………」

   う……どうしよう、沈黙が、流れてしまう。大会のことに触れるべきなのか、触れず話をするべきなのか。遙にはあんなにいつもどおりスラスラ話していたのに、なにから言っていいのか、迷う。選手の遙といることは今まで何回もあったけど、いや、選手としての郁ちゃんを信頼してないとかそうゆうんじゃなくて。立場がちがう。私と遙。私と郁ちゃん。考えれば考えるほど、正解が分からない。彼女って、すごくむずかしい。

「………ふふ」
「ん?」

   途方もない考えをぐるぐる巡らせていると、隣から静かな笑い声が聞こえてきて顔を上げる。そこでは郁ちゃんが穏やかな笑顔を浮かべていた。

「茅のほうが百面相してるから」
「うえっ!?あ、ええと、そ、そんなことは!」
「いいよ。いつもどおりで」

   バレバレの嘘はやっぱりバレバレらしい。図星をつかれた反動で「う、うん」と曖昧に頷くと、そのまま郁ちゃんは口を開いた。

「来週から、兄貴たちと合宿に行くんだ」
「へ?合宿?」
「うん。しばらくまた……会えないかもしれないんだけど」

   申し訳なさげに郁ちゃんの瞳が揺れ動く。でもそんなことはちっとも気にならず。

「そっか………そっかあ………!」

   じわじわ明るみを帯びる声が勝手に漏れ出ていた。それに合わせて手にも力が入って、こちらも勝手に拳を作る。お茶を持っていた左手からはぱこんと音がした。

「なんで嬉しそうなの?」
「そりゃあ嬉しいよ!悔しい気持ちをそのままにしないってすごく大事だから!」

   頑張ってきてね郁ちゃん!あっという間にいつもの調子を取り戻して言葉をかける。さっきの気まずさはどこへやら。難しく考える必要なんて全然なかったんだ。だって郁ちゃん、強い子だから。

「あー……でも、そっか、またすぐに会えなくなっちゃうんだ……」
「さっきそう言ったでしょ」
「うん……言ってた……」

   あっという間にいつもの調子を取り戻していたと思っていた数秒前の自分よカムバック。瞬く間にしゅるしゅると気持ちが下降していくのを自覚してしまう。分かってるし、分かってたこと。こればっかりはしょうがない。寂しいって気持ちだって、好きなんだからしょうがないよね。

「ごめん」

   …………うん?

「え?なんのごめん?」
「……その……彼氏らしいこととか、あまり出来なくて」

ごめん。



「いやだ」

   考えるより先に、言葉が出ていた。

「そうゆうふうに言われるの、すごく嫌だよ。ただお付き合いがしたくて郁ちゃんと付き合ってるわけじゃないのに」

   眉間のところ、無意識に力が集中する。言われた言葉に対する苛立ちが語気を強めて、眼差しを鋭くさせた。今まで郁ちゃんの行動に納得できなかったりしたことはあったけど、こんなふうに、ただただむかついたのは初めてかもしれない。揶揄われてむっとするのとは訳がちがう。私がしょんぼりしたのがいけないのかもしれないけど、ほかの人に言われたんなら全然気にならないから笑って流せるけど、郁ちゃんにだけは言われたくない。
   しばらく驚いた顔で私の視線を受け止めていた郁ちゃん。しかし何故だか、本当に何故だかくすりと笑って、しかも肩まで震わせはじめた。

「な、なんで笑うの!私は怒ってるんだよ!」
「ふっ……ごめ、ふふっ」
「全然謝ってない!」
「ごめん。もう言わないから」
「あたりまえ!!」
「ふふ」
「ふふじゃないよ!」
「茅」

   名前を呼ばれて、そっと手を取られた。コーヒーの缶であたたまったであろう郁ちゃんの手はぬくいくらいでちっとも熱くはなかったのに、触れたところから自分の身体が熱くなる。

「………ありがと」

   絡められた指先に、ゆったりと細められる優しい瞳に、気持ちが伝わったんだと教えられる。その顔は、ずるい。そんな柔らかい表情されたらもう怒れない。きゅうんって、なる。ときめく。ばか。郁ちゃんばか!ばかばかばーーか!心のなかで子どもみたいな悪態をついて、嫌な気持ちをストップさせた。

「茅」

   ふたたび、優しく名前を呼ばれる。知らぬ間に逃していた視線を郁ちゃんのほうへ戻すと、ほっぺたにもう片方の手が触れた。繋いでる手よりも、すこしつめたい。そんなことを思っている間に唇がそっと重なった。

「っ、そと、なのに」
「………誰もいないよ」
「ううう……そ、そうかもしれないけど!」

   ただでさえ早鐘を打ちはじめた胸がさらに加速する。たしかにこの時間帯に人通りは少ないし、郁ちゃんが人目のあるところでそんなことするわけないけど!会ったときより少し表情は明るくなってるようには見えるけど!それは、すごく、いいことだけど!
   一人悶々としていると握られている手にきゅっと力を入れられた。ぱっと隣を見る。やっぱり会ったときより表情に滲んでいた疲労が減っているように見えた。私に見せたくない葛藤とかはあるかもしれないけど、それでも、きっと郁ちゃんなら大丈夫だ。

「……また連絡するから」
「無理しない程度でいいから、ね」
「うん。分かってる」
「その合宿ってどこでするの?」
「まだ兄貴から聞いてない。都内だとは思うけど」
「ふふ、そっかあ」
「……今笑うとこ?」
「手が届く範囲にいるなあと思って」

   アメリカよりは近いね!そう続けてすっかり力の抜けた顔を向けると、郁ちゃんはすこし驚いた顔を浮かべてから、呆れたようにふっと口元を緩めた。

「………当たり前でしょ」

   表情と同じく、呆れを含んだ優しい声にふふっと笑うと息が少し白くなったことに気がつく。そういえばさっきよりも気温が少し低いかもしれない。試しにわざと熱をこめた吐息を漏らせば,夜空に白く映った。

「もうすっかり冬だね」
「大丈夫?寒くない?」
「うん。大丈夫だよ」

   いろいろあったおかげでむしろあったかいくらいだと言うのは黙っておいた。郁ちゃんも鍛えているし、これくらいの寒さならどうってことないかもしれないけど、あまり長いこと寒空に下にいて調子を崩さないか心配だ。菌とかウイルスとか流行ってくる頃だし。

「外じゃなくて私の家に来てもらえばよかったね」
「…………………はあ……」
「………うん?」

   おかしなことを言ったつもりはないのに、じとりとした視線を向けられる。おまけに盛大な溜め息まで吐かれてしまった。首を傾げて様子を伺えば、郁ちゃんは自分の首に手を当てて目を逸らす。

「…………ねえ、分かってる?」
「なにを?」
「…………僕も男だって」
「?? 分かってるよ?」
「…………」
「あ、そうだ、今からうち来…………ひっ!!」

   すごぶる睨まれた!!


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