9.

「お、いたいた!遙っ!」

燈鷹大学水泳部の練習が今日からだと聞いて、バイト前に足を運んでみた。さすが大学、他校生がいても何ひとつ誰ひとり怪しまれないのが助かるところ。チラッと覗いたのちに校庭のベンチでSNSをチェックしていると、遙が燈鷹大生の中から現れた。一応メッセージは送ってあったけど、見たかどうか定かではない。特に驚いた様子がないあたり、目は通してくれたのかもしれない。遙の泳ぎを見られた嬉しさを前面に押し出して手を振れば、遙はこちらへと歩いてきてくれる。

「お疲れ様!今日の泳ぎもすっごく綺麗だったよ!」
「見に来てたのか」
「やっぱりメッセージは見てなかったかぁ。大学の水泳部はどうだった?」
「広かった。あと水が綺麗だった」
「いやもっと他の感想あるだろ!」

………ん?
遙の後ろからひょこっと顔を出して鋭い突っ込みを入れた赤い髪の男の子。記憶の中の誰かと面影が被る彼が誰なのか、すぐに浮かび上がってこない。ええと。うーんと。顎に手を当てて考えていると、何やらコソコソと彼が話を始める。

「つか誰だよこの美人!………ま、まさかハル!ついに、彼女か……!?」
「何言ってるんだ、お前は」
「あっ、ハルー!旭ー!」

あさひ。向こうから駆け寄ってくる貴澄くんが呼んだ名前にピンときた。あさひ、あさひ、あさひ………−−−椎名旭。

「もしかして椎名くん?」
「えっ、と………?」

突然答え合わせをした私に本人は戸惑っているようで、目をぱちぱちと何度も瞬かせている。近くまで来た貴澄くんがそんな椎名くんを見て口を開いた。

「もー、旭忘れちゃったの?茅だよ、岩鳶中一年一組陸上部の瀬戸茅ちゃん」
「瀬戸…………瀬戸って、あの瀬戸かっ!?」
「いかにも!あの瀬戸さんだよー」
「その適当さ加減は瀬戸だな!」

んん、なんか失礼な反応をされたような。屈託の無い笑顔を浮かべる椎名くんの変わらない裏表の無さがなんだかちょっぴり安心した。

「椎名くんかー!わー大きくなったね!久しぶり!」
「いや親戚のおっさんか。にしても本当久しぶりだな!瀬戸も燈鷹だったのか?」
「ううん、霜狼学院!バイト先が燈鷹から近いから、行く前に遙が泳いでるとこ見たくて来ちゃった!」
「霜狼学院って……スポーツの強豪だよな?もしかして陸上で入ったのか?」

瀬戸めっちゃ足速かったもんな!と明るく笑う椎名くんの純粋な質問に対して、遙と貴澄くんが憂わしげな表情で顔を見合わせている。二人の優しさを垣間見ながら、私は首を横に振った。

「スポーツコーチング学科に入りたくて、今は指導者を目指してるんだよ」
「なるほどなぁ。新しく夢見つけて頑張ってんだな!」
「椎名くんこそ今でも水泳頑張ってるんだね、すごいね!」
「あったりまえだろ!いつか絶対ハルに勝ってやるぜ」
「俺も負けない」
「いいなぁ、僕も仲間に入りたいなぁ」
「貴澄はバスケで頑張ってるだろ」
「わお、ハルってば嬉しいこと言ってくれるねぇ」

心なしか遙が生き生きしているように見える。久しぶりに仲間と再会するのはやっぱり嬉しいんだろう。私も嬉しいな、と思う片隅で脳裏に一人、潮風に髪を揺らす男の子が頭に浮かんで、三人の会話が入ってこなくなる。今もどこかで水泳してるのかな。

「じゃあ次の新人戦は椎名くんも出るんだ?」
「おう!」
「そっかぁ!応援行くの楽しみだなぁ。頑張ってね、遙も!」
「ああ。茅はまだ時間いいのか?」
「あっ、よくない!じゃあまたね三人とも!」
「茅もバイト頑張ってねー」
「気をつけて行けよ」

三人に手を振りながら燈鷹大をあとにする。椎名くんがまた何か疑うような目をして口を閉ざしていたけど、一体なんだったのかな。


↑↓



…………迷子になった。
遙と椎名くんの記念すべき大学最初の試合を無事に見られたところまでは良かった。本当に良かった。遙が一番になれたことも椎名くんが泳ぐところを見られたことも本当に良かった。浮かれていた。だからこそ油断していた。とりあえず全体が見える場所にいようと観客席の適当なところへ出る。

「………んー、あれ?」

きょろきょろと見渡していると、プールサイドを歩く背中に" SHIMOGAMI "と書いてあるのが目についた。自分の学校だからだろうか。そういえば同じ授業で知り合った先輩が今年の水泳部に高校の全国大会の個人メドレーで大会記録を出した子が入ったって言ってたような。名前は知らないって言ってた、けど。


−−−桐嶋郁弥 霜狼学院大学


「………いくちゃん?」

電光掲示板の文字を見て、驚きに打たれて自然とその名前を紡いだ。準備を終えた選手たちがスタート台に上がる。手紙を待ってた人。手紙を待つのを諦めた人。ずっとずっと忘れられなかった人。表記されているレーンに目をやると、その人はそこに立っていた。

『" Take yout mark "』

なんで。どうして。留学は。いつ帰ってきたの。疑問に溢れた思考を全部置いて、観客席の一番前まで走り、手すりを力強く握った。スタートの電子音が会場に鳴り響く。一斉にプールに飛び込む選手たち。私が今やるべきことはひとつだけだった。中一の私が大会前の郁ちゃんに伝えたことが頭をよぎる。

一番大きい声で、郁ちゃんに届くように。


「郁ちゃん!!頑張って!!!」

応援するから。



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