7.

季節が巡る。
春に郁ちゃんと出会って友達になって、夏にはみんなで花火をした。秋のはじめ、郁ちゃんが入院している間は毎日病院に行った。夏也先輩とも仲良くなった。

冬、郁ちゃんと私の関係は特に変わらなかった。変わったのは、水泳部のみんな。椎名くんが突然引っ越してしまったのちに、ハルちゃんが突然部活を辞めてしまった。理由はあの橘くんでさえ分からないらしい。私もそれとなくハルちゃんに話しかけてみたけど、水泳部関連の話題になると机に突っ伏してしまったので、無理に聞くのはやめようと思った。しばらくして橘くんも家庭の事情で水泳部を辞めることになったと聞いた。

「郁ちゃん今日も部活?外練?」
「うん。陸上部休みなの?」
「先生が出張なんだって。あ!郁ちゃんの応援しに行こうかなぁ」
「………ええ」
「なんでそんなに嫌そうなのさ」
「だって茅来たら絶対うるさくするでしょ」
「しないよ失礼な!」
「はいはい。気をつけて帰りなよ」
「はぁーい。頑張ってね!」

郁ちゃんと私は今までどおりだった。部活の終わる時間が被れば一緒に下校したり、昼休みにアヤちゃんたちがいないときには郁ちゃんと一緒に過ごしたり。夏也先輩もいない、チームメイトもいない水泳部で前を向いてひたむきに頑張っていた郁ちゃんを私は変わらず、ひたすら応援していた。きっとこんな毎日が続くんだろう。そしたらいつかきっと、ハルちゃんはプールに戻ってくるかもしれない。そうしたら橘くんも。椎名くんはさすがに難しいだろうけど、またほかに素敵な仲間とチームを組めるかもしれない。そんなことを心の隅っこに置いて呑気に過ごしていた。


「わぁ、郁ちゃん!どうしたの?」

二度目の春を迎える頃、夜ごはんを食べ終えてまったりしてると、郁ちゃんが突然家を訪ねてきた。郁ちゃんはテスト勉強をしたり、私が風邪を引いたときにプリントを置きにきてくれたりで、うちに来たことがあったけど、なんの連絡も約束も無しに来たことはさすがに無かった。初めてのことに何回も瞬きして確認してみるも、やっぱり目の前にいるのは郁ちゃんだ。私に玄関を開けるように頼んだお母さんが家の奥で「茅ー?どちらさまー?」と間延びした声で聞いてくる。

「茅、今ちょっと出てこれる?」

神妙な面持ちに、ごくりと息を呑む。ざわざわと胸騒ぎがした。返事をしたら声が震えてしまいそうで、首だけ縦に振る。お母さんは郁ちゃんと言えば顔と名前が一致しているので、特に変に思われることもなく送り出してくれた。時間が分かるように腕時計をつけて、持ってきた上着に腕を通して、言葉を探す。ええと、ととりあえず口を開けば、郁ちゃんの足音がそれを遮った。ついていけばいいのかな。状況が理解できないまま郁ちゃんの後ろを歩く。海が見えるところまで来ると、まだぬるくもない風が郁ちゃんの髪の毛を揺らした。

(郁ちゃん、やっぱり綺麗だなぁ)

花火の帰りもこの後ろ姿を見ていた。少しだけあのときより高い場所に頭があるような、無いような。

「見て郁ちゃん!あれ、北斗七星だよ」
「どれ?」
「あの、星がななつ並んでるやつ!おおぐま座の尻尾になるんだよ」

海辺まで来ると街灯の数が減って星がよく見えるようになる。蓄えていた知識を披露すると、郁ちゃんは目をまあるくさせてびっくりしていた。

「茅、詳しいね」
「小学生のとき面白いなって思って覚えたんだ。あとあっちが北極星で、こぐま座の尻尾のさきっちょなの」
「そういえば、ニュースでやるより先に夏の流星群のこと教えてくれたのも茅だっけ」
「そうだよー。私も郁ちゃんと見たかったなぁ」

ハルちゃんが羨ましいなぁ、という言葉をごっくんと飲み込む。次は一緒に見れるかなぁ、と続けた言葉の返事を、郁ちゃんはしなかった。


それから浜辺に座って私と郁ちゃんは他愛のない話をした。新しいクラスのこと、新しい友達のこと、陸上部のこと、仲良しのエミちゃんアヤちゃんのこと。話題は違えど去年郁ちゃんの隣に座っているときと会話の内容はほとんど一緒。途中くだらないことで笑い合ったりしながら。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、腕時計を確認するともう九時半になろうとしていた。

「じゃあまた明日ね!郁ちゃん!」

結局郁ちゃんがどうして尋ねてきたのかは分からないまま。もしかしたら何か落ち込むことがあったのかもしれない。またそのうち聞いてみようかな。郁ちゃんが歩き出したのを見て、私も家に帰ろうとした、束の間。

「っ、茅!!」

ぐんっと力強く腕を引かれる。突然のことに目を白黒させている間に、郁ちゃんは私の言葉を挟む間もなく言葉を並べていく。

「−−−聞いて」

「明日から、アメリカに行く」

「水泳留学した兄貴についていく」

「本当はそのこと言いにきたんだけど、茅が楽しそうに話してるの見ると、言い出せなくて」

「このままでもいいかなって、思った。でも僕は、僕まで、こんなことしちゃだめだって」

じわじわと郁ちゃんの目が滲んでいく。その目が嘘じゃないことを何より物語っているのに、事態を呑み込みきれない。ようやく出た言葉は「うそ」だった。エイプリルフールはもう終わったのに。

「嘘じゃないよ」
「いつ、戻ってくるの」
「………分かんない」

どうして今まで内緒にしてたの。どうして今日まで何も言ってくれなかったの。どうして。郁ちゃんを責め立てる言葉が頭に流れ込んでくる。けどこれは全部きっと郁ちゃんが飲み込んでいる言葉だと思うと、ひとつも口に出せなかった。

「寂しい」
「うん」
「でも、応援したい。いちばん、応援したいよ」
「………うん。茅、ありがとう」

私が聞きたいのは、ありがとうじゃない。行かないよって、嘘だよ、また明日ねって。どれでもいいからそれが聞きたい。いくら願っても郁ちゃんからその言葉が紡がれることはない。代わりにぎゅうっと抱きしめられて、おでこにふわりと温かい何かが降ってくる。やっぱり郁ちゃん、少し背が伸びたみたいだ。

「いつかは分からないけど、強くなって、速くなって帰ってくる。だからこれからも応援してて」

身体が離れたと思えば今度は両手を包まれる。私もすぐにその手をぎゅうっと強く強く握り返した。

「無茶、しないでね」
「分かってる」
「夏也先輩も、私も、怒るからね!」
「うん」
「手紙書くね」
「うん。待ってる」
「郁ちゃんも、書いてくれる?」
「そんなの、当たり前でしょ」
「忙しかったら、大変だったら、無理しないでね」
「ふ、ありがと」

今まで楽しいときにこの時間が続けばいいなと思うことはあったけど、切なくて時間が止まってほしいと思ったことはない。郁ちゃんを一秒でも長く引き止める言葉を必死に集めた。けれど油断すると今にも涙が溢れそうで、それでも絶対に泣きたくない気持ちがまだ勝っている。郁ちゃんもうるうるしているけどその涙は落ちていない。どうせなら、せっかくなら、泣き顔じゃなくて笑顔で送りたい。

「郁ちゃんは、かっこいいね」

へらりと笑って、そう言った。郁ちゃんにかっこいいと言ったのは二度目だった。赤くなったまぶたを細めて、郁ちゃんは「なんで今言うんだよ」って言いながら呆れたように笑う。

忘れられない男の子になっていく。
翌日の始業式、いつも隣にいる仲良しで大好きな郁ちゃんはもういなかった。


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