31.

メッセージのやり取りは郁ちゃんにエールを送った日に途絶えていた。正確には邪魔になったらいけないからと思い、おやすみのタイミングで止めたのだけれど。さすがに例の出来事を真琴くんに言うわけにはいかず、みんなと夕食を楽しんだものの、頭の片隅ではずっと渦巻いていた。あれから数日経った今でも、少しでも思考に余裕があれば思い出してしまう。顔も赤くなってしまう。
夜、あとは寝るだけの状態になって、ベッドの上でだらだらしながらメッセージのトーク画面を開く。まだ連絡は来ていないので郁ちゃんとのトークは随分下のほうに来てしまっている。連絡するって言ってたけど、毎夜同じことで頭を悩ませていたら日曜日はもう二日後というところに迫ってきていた。私から連絡したほうがいいのかな。……して、いいのかな。でもなんて送ったらいいんだろう。

「っ、わ!」

手に持ってきたスマホが突然通知音を鳴らして震え出す。驚きでつるりと滑ったスマホは天井に伸びていた腕から胸へと落下してきた。いたい、普通に痛い。

"明後日、△△駅に13時でいい?"

痛みに悶えながら確認したメッセージにはそう綴られていた。さっきまで下のほうにあったはずのトークが一番上に来ている。郁ちゃんから、だ。認識した途端にぶわりと顔に熱が集中した。内容はこの前のことには触れていない、至って普通の内容なのに。なんて返そうか。また悶々する時間がやってきた。

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いつもよりちゃんとメイクして、髪もセットして、お気に入りのワンピースを身に纏い、控えめなデザインの揺れるピアスを付けて家を出る。約束の駅には十分前に着いてしまった。支度に時間がかかるからと思って早めに準備をしはじめたら早めに支度を終えてしまい、家で一人でいてもそわそわしてしょうがなかったんだ。だから早く来たんだ。何故誰にも届かない言い訳を頭の中で並べているのかと言いますと、改札を出て少し歩いた先、駅ビルのショーウィンドウの前に立つ彼を発見してしまったからである。エミちゃんに言われた意気地が無いという言葉を思い出す。今になっても返す言葉がございません。

「ねえ、あの子かっこよくない?」
「超美形〜」

駅の柱の影に身を潜めているとそんな言葉を耳が拾う。もう一度ちらりと郁ちゃんを見てみると、男の子を連れていない女の子たちが数名振り返っていくのが映った。いや、隣に男の子がいても振り返っている。意気地の無い心に焦りが生まれる。やっぱり郁ちゃんモテるよね。かっこいいし、身体は鍛えてるし、何より綺麗だし。

「茅?」

盗み見ていた顔を引っこめて考え込んでいると、脳内を占めていた人物が突然視界に現れて、ぎょっと肩と心臓が跳ねる。

「うえっ、あ、い、郁ちゃん!」
「ごめん。来てたの気づかなくて」
「ううん!全然!大丈夫!」

大丈夫というか私が気づいてても怯んでただけなんだけど。余計なごめんを言わせてしまった。反省しながら見上げれば郁ちゃんの大きな瞳と目が合った。う、と思わず声を漏らす。もちろん聞き逃さない郁ちゃんはきょとんと私を見下ろした。

「………もしかして緊張してる?」
「っす、するに決まってるよ!だって、この前、っ、っ!」

緊張というワードに大袈裟に身体が反応して固くなる。言葉の続きを言っていいのか分からない。自惚れているだけだったらどうしよう。ってゆうかなんで郁ちゃん、ものすごくいつもどおりなんだ。ずるりずるりと視線が地面へ落ちる。

「うん。よかった、伝わってて」
「ひえ」

言葉が思い浮かばず俯いているとそんな言葉が降ってきて、がばりと顔を上げる。伝わっててってことは、つまり、やはり、私が思っていることで合っているらしい。ぱくぱくと開閉した口からは何の言葉も出てこなかった。顔が熱い。めずらしい、と溢した郁ちゃんがくすりと笑う。自覚があるからこそ、なお恥ずかしいのだ。

「緊張してていいよ。僕もするから」

ほんの少し眉を下げて、困ったような笑顔で言われて心臓をがっしり掴まれる。どうやらこの間のことは夢ではなかったらしい。
ねえ、どうしちゃったの郁ちゃん。そんなこと中学のときは言う子じゃなかったじゃん。そんなこと、そんな、胸の奥がきゅんってなるようなこと、言わなかったじゃん。どうして?いつから?
行こう、と言って行き先も言わずに歩き始める郁ちゃんの背中を追いかける。なんだか隣を歩くのが、恐れ多い。地面に向かって降りている郁ちゃんの手を見て思ってしまう。今日は手、繋がないのかなぁ。

(………ってなに考えてんだ私!!)



どこに行くの?と尋ねてもはぐらかされたりしながら、しばらく歩いて商業施設へと辿り着いた。もちろんまだ緊張はしている。しているけれど、あまりにも郁ちゃんがいつもどおりに振る舞ってくれるものだから、だんだんと緊張にも慣れてきて、ここに来るまで会話が途切れることはほとんど無かった。途中でくすぐったい沈黙は数回流れたけども。建物の奥へと進んでいき、郁ちゃんの目指していた目的地に到着するなり、自分の目がきらめいたのが分かった。

「プラネタリウムだぁ……!」
「来たことある?」
「ううん!むしろ来てみたかったとこ!」

興奮気味に訴えると郁ちゃんが少し安心したように笑う。岩鳶に引っ越してくる前、小学校低学年のときに行ったことならあるがそれっきりだ。しかも東京のプラネタリウムだなんて、勝手に期待値が上がってしまう。

「ここなら、茅が喜ぶと思って」

あまりにも平然と言うものだから、慣れたはずの緊張がまた主張を始める。しかもチケットはネットで購入済みだったらしく、日曜日ということもあってそれなりに混んでいる購入カウンターに並ばずに中に入ることが出来た。なんでそんなスマートなんだ。というかお金は。席に座ってから私の戸惑いに気がついたらしい郁ちゃんが「お金はいらないから」と先手をうってきた。だからなんでそんなにスマートなんだ。

「よくない……」
「じゃあほかのときに出してくれる?それならいいでしょ」
「う………わ、わかったよ」
「ほら。もう始まるよ」

上手く丸めこまれたような気もする。渋々鞄から出していた財布を閉まうとどこからかヒーリング音楽が鳴りはじめ、アロマの香りがふわりと漂ってきた。天井にきらりと一粒の星が浮かび、そこからじわじわと一面に星空が広がっていく。緊張が楽しみへとすり替わり、わぁ、と声が溢れる。それは私だけでは無かったようで、会場のあちこちから感嘆の声が漏れていた。さっきチラッと見えたけど、ソファみたいなベッドみたいなシートの席もあった。もしあそこに郁ちゃんと並んでしまったら緊張でどうにかなってしまうかもしれない。今座っている一般のシートにもリクライニングがついている。さすが東京。感心を抱いているとアナウンスがスタートする。

『−−春の星空です。まずは"北斗七星"。北の空に並ぶ七つの星をごらんください。おおぐま座の腰と尻尾にあたる星です。北アメリカの伝説によれば−−−……』

「ほわぁ……」

感嘆の声が止まらない。アナウンスも丁寧で、静かで心地いい。何度も見上げて思いを馳せた北斗七星がまだ昼間なのに輝いている。うっとりした視線をそのまま、天井から郁ちゃんのほうへと動かす。大きな瞳にきらきらと輝く星とリクライニングシートに預けられたサラサラの髪の毛を見て、きれい、と思わず呟いた。

「綺麗だね」

ゆるりとこちらを向いた大きな瞳がいつもより近くにあって、胸が早鐘を打つ。普通の声量よりも抑えられた声のせいでさらに刺激され、さっきまでぼろぼろと心の声を漏らしていたはずの口からは何も出なくなって、とにかくこくこくと頷いた。細めた目元をまた天井へと戻した郁ちゃんは少し重そうに瞼をゆっくり瞬かせている。

「郁ちゃん、ねむたい?」
「………少しね」
「いいにおいするもんね。寝ててもいいよ?」
「さすがに、それはないけど」
「喜びそうなとこ考えてくれただけで、う、うれしい、よ」

思ったことを口に出すのを躊躇ったことなんて、今まで無かったのに。小声で言っているから自信なさげに聞こえて、余計に恥ずかしい。なにも言わない郁ちゃんをおそるおそる見上げた。

「……郁ちゃん」
「やめて」

やめて、と言われた理由がなんだか分かって、声を最小限に抑えてぷはっと吹き出した。周りの迷惑にならないよう、必死に口元を手のひらで覆って笑い声が漏れないように我慢する。

「ふ、ふふ、ふ」
「笑わないでよ」
「だって郁ちゃん、照れてるから」
「言ったじゃん。僕も緊張するって」

口を尖らせる郁ちゃんの顔が赤いことは予想でしかないけど、表情を見れば照れてることくらい分かる。何度も見てきたんだから。

「へへ、可愛いなぁ、郁ちゃんは」
「………それ、こっちのセリフなんだけど」

言われた言葉が飲み込みきれず、身体も思考もフリーズした。分かりやすく言葉を失う私を見て今度は郁ちゃんがくすりと笑う。そんなふうに今まで、言わなかったじゃないか。
前言撤回、ここでも十分どうにかなりそうだ。



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